白崎八幡宮

Last-modified: 2013-11-17 (日) 10:55:04
 

白崎八幡宮
しろさきはちまんぐう
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(参拝日:平成25年7月20日)
住所:山口県岩国市今津町6-12-23mapionlogo.gif
主祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
社格:郷社
主な祭礼:4月第1日曜日(春季例祭)、10月第2日曜日(秋季例祭)
webサイト:白崎八幡宮

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↑手水舎↑
(由緒:パンフレットより)
白崎八幡宮は鎌倉時代の建長二年(1250)、時の領主清縄左衛門尉良兼が、
遠石八幡宮の御神霊が白鷺と化して室木に垂跡することを知り、
氏族の繁栄と領内安民守護の神として今津琵琶首に創建奉斎したのが始まりです。

南北朝時代の貞和4年(1348)には弘中堂内源兼胤を願主として現在地の白崎山に壮麗な社殿を造営、
社領を寄進・奉遷し、旧岩国十七ヶ庄(錦見・川西・今津・室木・牛野谷・中津・車・向今津・門前・
平田・海土路・藤主・黒磯・青木・保津・六呂師・叶木)の産土神と仰ぎ、領民と共に深く尊崇しました。

その後戦国時代の明応5年(1496)兵火に罹り本殿が炎焼しましたが、明応7年(1498)宝殿を修築。
文亀3年(1503)に舞殿・寵所などを再建。以後弘中三河守隆兼に至るまで代々弘中氏が大宮司を奉仕。
弘治元年(1555)三河守失脚により孫の今地良房が宮司を継承し、今地家が代々奉仕しています。

江戸時代には初代藩主吉川廣家が慶長5年(1600)岩国に入府した後、
慶長16年(1611)に社殿を再建すると共に社領を献じ、武運長久と国群豊饒を祈願しました。

歴代の藩主も八幡宮を尊崇し、療民は等しく産土神と仰ぎご加護を祈願して八幡宮を崇拝、
現在に至っています。

社殿は元和(1615~)・万治(1658~)・天和(1681~)・宝永(1704~)・寛政(1789~)と
5回に亘り改修築古れましたが、現在の建物は明治17年(1884)に社殿を、
大正10年(1921)に拝殿を桧皮葺で再建した後、昭和44年(1969)に拝殿を、
昭和59年(1984)に本殿を銅板葺にしたものです。

他にも明治39年(1964)には表参道を、昭和59年(1984)には裏参道を改修、
平成元年(1989)には斎館を改築、祖霊舎を奉遷しました。

平成12年(2000)には創建以来750年の式年を迎え、後世に残る平成の大造営事業として境内地を拡幅、
社殿を北側後方へ移築し、神楽殿・社務所を改築して、大駐車場を完備しました。

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↑拝殿↑
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↑境内摂社↑
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↑干支の石像↑
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↑有名人のサイン↑
(以下、余談)
岩国の東西を貫流する錦川に面する白崎山に鎮座します。
錦帯橋や岩国城などの観光地から距離があるので、あまり付近では観光客を目にしないです。

神社本庁傘下ではなく単立神社です。有名な例だと、伏見稲荷大社揖宿神社も単立の宗教法人ですね。
社務所に入ると、パワーストーンなどスピリチュアルグッズがずらりと棚に並んでいます。
webサイトをのぞいてみると、お守り通販ができると書かれています。
他にも、神社の一角にずらりと芸能人や有名人の色紙が並べてあります。

神社の本業(?)だけでなく、敷地内には瀬戸内バイキング『エグレッタ』という施設が今年オープンし、
駐車場はちょっとした混雑でした。何とも商売熱心な神社で感心してしまいます。