御祭神は主神に大己貴命・少彦名命二柱の薬祖神を、相殿に菅原道真公をおまつりしてあります。
(大己貴命は大国主命と同じ神様です)
第十二代景行天皇の御代、日本武尊が東夷征伐の為、上野忍が岡がお通りになられた時、
薬祖神二柱の大神に御加護を頂いた事を感謝なされて、
此の地に両神をおまつりされましたのが当社の御創祀であります。(約一九〇〇年前)
尭恵法師の北国紀行に
「正月の末武蔵野のさかい忍ヶ岡を優遊しはべり鎮座の社五條天神と申しはべり、
折ふし枯れたる茅原を焼きはべり契りをきて誰かは春の初草に忍ヶ岡の露の下萌え」云々とあり、
この正月は文明十八年(約千五百年前)ですので相当の古社である事がわかります。
相殿におまつりしてあります菅原道真公は、寛永十八年(約三百七十年前)に合祀され、
歌の道の祖神として俗称・下谷天満宮とも云われました。
社地は御創祀以来、天神山(今の摺鉢山)瀬川屋敷(飴横の入口辺り)他、
幾度か変遷を重ね、昭和三年九月に御創祀の地に最も近い現地に御遷座になりました。
尚、日本橋本町にある薬事協会ビルの屋上には、薬祖神社として御分霊をおまつりし、
毎年十月十七日に薬業関係者により盛大なお祭りが行われています。
上野公園の一角にあります。境内には花園稲荷神社があります。
社名に「天神」が入っていますが、主祭神には大己貴命・少彦名命が祀られています。
相殿には菅原道真公が祀られていますが、通称・下谷天満宮から寛永18年(1641年)に合祀されたそうです。
ちなみに、五條天神社は京都市にもありますが、主祭神は少彦名命、配祀は大巳貴命・天照皇大神で、菅公とは関係ありません。
天神と名が付く神社であるのに、菅公を主祭神としない神社は珍しいと思います。
毎月10日に医薬祭が行われ、人形の依代に病気平癒・健康祈願の祈祷を行います。
社紋はこの「薬草」と天神の「梅」をデザインしたものが使われています。
尭恵法師の北国紀行に神社の様子が記されており、少なくとも500年前からある古社みたいです。