花園稲荷神社
住所:東京都台東区上野公園4-17
主祭神:倉稲魂命
主な祭礼:5月25日(例祭)
関連:五條天神社
webサイト:五條天神社・花園稲荷神社
↑境内↑
(由緒:パンフレットより)
御創祀の年月は不詳です。古くから此の地に鎮座し、忍岡稲荷が正しい名称ですが、
石窟の上にあった事から俗称、穴稲荷とも云われていました。
御創祀の年月は不詳です。古くから此の地に鎮座し、忍岡稲荷が正しい名称ですが、
石窟の上にあった事から俗称、穴稲荷とも云われていました。
承応三年(今から三百四十年年前)、天海大僧正の弟子、本覺院の住僧、
晃海僧正が霊夢に感じ(家光の命とも云う)廃絶していたお社を再建し上野の山の守護の神としました。
幕末、彰義隊の戦では最後の激戦地(穴稲荷の戦)として知られています。
後、明治六年に岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家によって再興され、花園稲荷と改名、
五條天神社が現地に御遷座になるに及び、社殿も南面して造営され神苑も一新されました。
(旧社殿は俗称お穴様の処です)
お穴様の左奥にありますお社は、古書に弥左衛門狐と記され、寛永寺が出来る時、
忍岡の狐が棲む処が無くなるのを憐れみ、一洞を造り社を祀ったと云われています。
社地はお穴様を中心にし約二千坪(今の精養軒や韻松亭を含む約六六〇〇㎡)ありましたが、
明治の上地の為、現在は五條天神と併せて約一千坪になりました。
↑拝殿↑
約400年余前、晃海僧正が霊夢を感じ、廃絶していた社を再興し、穴稲荷として上野の守護神として祀られたとされます。
幕末、彰義隊が最後の激戦・穴稲荷の決戦を行った地です。明治6年に花園稲荷として再興されました。
名物ともいえるお穴様は忍岡の狐の住処を再現したものです。
寛永寺が出来る時、狐の住処がなくなることを憐れんで一洞を造ったものです。