阿蘇神社

Last-modified: 2013-04-28 (日) 07:16:25
 

阿蘇神社
あそじんじゃ
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(参拝日:平成24年9月16日)
住所:熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1mapionlogo.gif
主祭神:健磐龍命、阿蘇都比命、国造速瓶玉命、他10柱
一宮:肥後国一宮
社格:式内社(名神大社)、官幣大社、別表神社
主な祭礼:7月28日(御田祭り)
巡礼:阿蘇四社(阿蘇神社 健軍神社 甲佐神社? 郡浦神社?)

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↑楼門↑
(由緒:パンフレットより)
社記によれば、阿蘇神社の御創立は孝霊天皇九年(紀元前二八一年)と伝へています。

祀ってある神様は全部で十三座ですがその中で1000年の昔から歴史の本にも
記載されている神様が三座居られます。

その神様の御名は
 一の宮 健磐龍命(神武天皇様の孫神とつたえています)
 二の宮 阿蘇都媛命(一の宮御妃神)
 十一の宮 国造速瓶玉命(阿蘇初代の國造)

右三座の神様は他の神様より特に重く祀られて来て、
これらの神様の御陵墓と云われて居る古墳が阿蘇神社より三キロほど離れた地点に点在しています。
(中通古墳群と云い六世紀頃築造されたもの)

他の十座の神々は近親の神様です。

古い昔のことですがこの阿蘇谷は満々と水をたたえた湖水でした。

阿蘇大神健磐龍命は湖水の水を切って落して美田を開き、農耕を教え国土の開拓に尽されました。

十一世紀以降、肥後一の宮と仰がれ肥後の国の総鎮守神として県民の尊崇をうけられる様になりました。

国土の開拓とはただ産業の振興のみならず吾々人間生活にかかわりある
交通、文化、学芸、結婚、医薬、厄除、等―生活守護の神として限りない御神徳をいただいております。

阿蘇大宮司は御祭神健磐龍命より綿々、累世、相継ぎ現大宮司は九十一代目にあたり、
皇室に次ぐ旧家として世に知られています。

特に中世以降は肥後の国の大半を領有して皇朝のため尽すいし、
御綸旨、軍忠状等の古文書も数百通保存してあり、
足利尊氏の軍勢催促状「もとどり状」等の貴重な宝物も宝蔵されて居ります。

社殿は度々の天災で焼亡しましたが、天保六年より弘化、嘉永、安政年間に至る二十余年の歳月をかけ
現在の社殿が建立されました。

神殿は天保十一年より十三年にかけて三神殿、嘉永二年に楼門が竣工しています。
白木の総けやき作りで見事な彫刻がほどこしてあります。

楼門の規模は宏壮で神社建築には珍らしく二層の屋根になっています。
また両脇門があって神幸門・還幸門といい平常は閉じているが御田・植祭の神幸の時のみ使用します。
これは皇居の制にならったと伝えられています。又拝殿・翼廊は昭和二十三年の建築です。

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↑拝殿↑
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↑還御門↑
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↑願かけ石↑
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↑銘水・神の泉↑
(以下、余談)
台風が迫る悪天候の日でしたが、阿蘇へ向かう国道は渋滞していました。
神社から南方向に阿蘇山火口がありました。そちらに向かう車が多かったように思います。

最近ではパワースポットとして、願掛け石が取り上げられています。
石に3回なでてから、願い事を唱えると叶うそうです。

毎年7月28日は御田祭りが行われます。
全身白装束をまとい、頭には神餞を入れた唐櫃を載せて14の神様へ運ぶ祭りです。
大きな楼門の隣にあります、御幸門と還御門はその日しか使用されません。

全国(多くは熊本県ですが)に末社を450社を抱えますが、それだけの社格がある神社でした。