枚聞神社

Last-modified: 2013-12-15 (日) 16:38:51
 

枚聞神社
ひらききじんじゃ
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(参拝日:平成25年8月13日)
住所:鹿児島県指宿市開聞十町1366mapionlogo.gif
主祭神:大日孁貴命
一宮:薩摩国一宮
社格:式内小社、国幣大社、別表神社
主な祭礼:10月14-16日(ほぜ祭)

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
御鎮座年代を詳かにせずと雖も、社伝には遠く神代の創祀なりと伝う。

既に貞観二年(八六〇年)三月、薩摩国従五位下開聞神加従四位下と三代実録に載せられて居るのを
始めとして、同書には数度の神位昇叙の事を記され、
事に貞観十六年(八七四年)七月には開聞神山の大噴火の状態を大宰府より言上、
神意を和むる為勅命により封戸二千を奉られたことを記載して居る。

延喜式には頴娃郡枚聞神社と枚聞の文字を用いられて居る。

古来薩摩国の一宮として代々朝廷の尊崇厚く度々奉幣あり、殊に島津氏入国の後はその崇敬絶大にし、
正治二年(一二〇〇年)社殿再興以来、歴代藩主の修理、改造、再建等十余度に及び、
元亀二年(一五七一年)頴娃領主家の内乱に依り千九百余町の神領を失ったのを、
天正二十(一五九二年)年九月には島津家より改めて田畠合計二十四町歩を寄進され、
旧藩時代は別当寺瑞応院と共に祭祀を営んで来たもので、明治御治定の折、
明治四年(一八七一年)五月国幣小社に列格仰出され、現在薩摩の国の一宮として、
また神社本庁所属別表社として地方の崇敬を集めている。

南薩地方一帯の総氏神として、また地方開拓の祖神として厚い崇敬が寄せられて居るが、
特に交通安令、航海安令、漁業守護の神として附近航行の川入等から厚く信仰されて居る。

往年島津家に入貢して居た琉球人等は特に航海中開聞岳の雄姿を遥かに拝するや神酒を
奉って無事を祈ったものの由、現に神社には琉球王の名に依って航海安全の神徳を
奉謝して献納された額面等が数面保存されて居る。

その他旧二十三日には他国に出稼ぎに出かけている肉親の人達の無事安泰を祈ってお参りする風習が
今でもなほ氏子崇敬者の間に盛に続けられて居る。

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↑拝殿↑
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↑長庁↑
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↑門神と御神木↑
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↑宝物館↑
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↑玉の井↑
(以下、余談)
薩摩半島の南端にある薩摩富士・開聞岳北麓にあり、神社の歴史と深く関わっています。
九州南端にあるこの山が航海の目印となり、古くから航海安全の信仰があつい神社でした。
JR最南端の西大山駅も近いですね。沖縄にモノレールが開業するまでは最南端の駅でした。

御祭神は「オオヒルメムチ」。あまり聞いたことがないですが、記紀によると天照大御神の別名だそうです。
もともとは山そのものが御神体でした。古くは「枚聞(ひらきき)岳」と言われました。

日本最古とされる井戸が神社から少し離れたところにあります。
天孫二代目の彦火火出見尊と海神の娘・豊玉姫命が出合ったそうです。
ここに竜宮城があったとされていますが、辺りは一面の田園風景でした。
謡曲「玉の井」の舞台となりました。