健軍神社

Last-modified: 2013-10-05 (土) 19:29:22
 

健軍神社
けんぐんじんじゃ
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(参拝日:平成24年9月16日)
住所:熊本県熊本市東区健軍本町13-1mapionlogo.gif
主祭神:健軍大神、健磐龍命
社格:郷社
巡礼:阿蘇四社(健軍神社 阿蘇神社 甲佐神社? 郡浦神社?)
主な祭礼:10月18-20日(秋季例大祭)

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
欽明天皇(二十九代)十九年勧請の由来は、
阿蘇神社神事祭祀執行の折々国司(藤原法昌)阿蘇神社へ供え物等運送するに
夏は洪水旱魃、冬は、雪霜早く降りて五穀不熟を憐れみ、
或る年冬十二月十三日国司阿蘇宮参詣の時此の原にて俄の大雪道路を塞ぎて
進退に迫り椎の樹下に野陣を張り遥拝して国司心底に阿蘇大神を勧請し
老弱者阿蘇参詣の労を救えればと念願なるに五更(現在の四時頃)の頃に至り
三歳ぐらいの童子忽然として石上に現れ国司に向かい

「汝阿蘇大神を尊信し二心なく厳寒積雪を厭はず此に来たりあまるに衆人遠路の労を憐れみ
大神を此の地に勧請せんと欲ふ神明何ぞ感応せさらんや宜くこの所に勧請すべし、
然るに阿蘇宮は皇城鎮護の為東に向かい当社は夷賊新羅鎮退の為西に向かい
健軍と号すべし汝に託す吾則阿蘇大神也」と宣り終えて去り給ふ国司驚き感じ此由、
見聞に依って、直ちに社宇を造建し阿蘇大神の荒霊を鎮祭して健軍神社と号す。
(文化四年の古文書より抜粋)

健軍神社は、承平年中肥後守保昌修宮殿と言う、健軍神社は、健諸組命を鎮祭すと言う。

健諸組命は、景行天皇の御代益城郡朝来那山の賊を誅め給いたる命にして
御功も有れば此の命を祀り給うことも有りしか此の命は阿蘇大神五世の孫と云い又、
阿蘇大神淑父に当り給ふ命なりと云う、朝来那山は当神社より東南に当り、
二里半に遠く三里に近しとある。現在は朝来山という。
(明治十八年の古文書より抜粋)

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↑拝殿↑
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↑子寶いちょう↑
(以下、余談)
市電が行き交う大通りから、少し坂を上がったところに神社はありました。
社殿によると、創建は西暦558年と長い歴史があります。

老弱の者に対して配慮して、阿蘇神社から市街地の当地に勧進したのが始まりです。
阿蘇神社は皇城鎮座のため東向き、健軍神社は夷賊鎮座のため西向きに社殿が建ちます。

加藤清正の時代には、八丁馬場(現在の参道)が騎馬訓練に使用されました。
西南戦争の時代には、熊本隊が当地から出発し、その記念碑も残されています。
また、戦役に先立つ神風連の乱では、諸氏が必勝祈願のため楯を奉納しました。

時には戦乱に包まれましたが、昭和に社殿・楼門などが再建されました。

幾度となく表舞台に登場した、長い歴史を感じられる神社でした。