大島光義

Last-modified: 2010-03-03 (水) 14:38:34

生まれ

おおしまみつよし
1508~1604

どんな人?

戦国時代の武将

江戸時代の美濃関藩主

幼い頃は孤児だったという。

美濃出身だったため、斎藤家に仕え、斎藤家が滅びると織田信長に仕えた。

弓が得意だったため織田信長から大層誉められていた。

本能寺の変の時は安土城におり、その後は丹羽長秀に仕えた。

姉川の合戦長篠の戦いなど、有名な戦いに多く参加し、生涯で53回の合戦に出たと言われている。

丹羽長秀が死ぬと、羽柴秀吉の家臣となり弓大将になる。

そして摂津・尾張・美濃に1万1200石をもつ大名となった

関ヶ原の合戦では東軍に入り徳川家康に従い会津へ従軍した。

関ヶ原で武功をあげたため1万8000石に加増となり、97歳まで生きた。

逸話

関ヶ原の合戦の1年後に猪子一時船越景直堀尾可晴?とともに徳川家康に呼び出されて昔話をしたという。
●所領は4人の息子達にきっちり分けたため、1万石以下となったので息子たちは旗本になり、藩は廃藩となった

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祐筆の人物批評

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●一番手・・・ハガクレ