生まれ
いちはしながかつ
1557年生まれ
1620年没
どんな人?
戦国時代の武将
美濃の豪族・市橋長利の長男
おいたち
最初織田信長に仕えており、信長が本能寺の変で死ぬと豊臣秀吉に仕えた
九州征伐・小田原征伐にも参戦した。
1600年の関ヶ原の合戦では東軍に入り、西軍の丸毛兼利のいる福束城を落とすという活躍をした。
その功によって徳川家康より1万石か像となった。
1609年に中村一忠が後継ぎがいないまま死去し、中村家が改易されるとそのまま移封となった。
大阪の陣でも徳川方に参戦し活躍。そこでまたも加増。
徳川家康に気に入られており、家康が死ぬ直前に堀直寄や松倉重政らと共に枕元に呼ばれるほど。
ちなみに長勝にも後継ぎがいなかったんだけど、甥を養子にすることを許可された。
逸話
●家康にかなり気に入られており、譜代同様に扱われたといわれています
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関連のある人々
徳川家康・・・主君
市橋長政?・・・甥っ子で養子
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ