生まれ
ひらのながやす
1559年生まれ
1628年死去
どんな人?
戦国時代の武将
賤ヶ岳の七本槍の一人
若い頃、豊臣秀吉に仕えた。
本能寺の変の後、対立していた秀吉と柴田勝家がとうとう戦うことになる
これが賤ヶ岳の戦い。
この時、大活躍をした7人の武将が賤ヶ岳の七本槍と呼ばれ、長泰もその一人に数えれ、五千石を与えられた。
関ヶ原の合戦では東軍に付き、その後旗本として徳川秀忠に仕える。
が、大坂の陣では豊臣方に合流しようとして、江戸留守居役を命じられてしまった。
逸話
●大阪の陣では豊臣につこうとした忠義心のため、七本槍の中でただ一人だけ大名になれなかった。
●子孫は明治まで存続した
●
関連のある人々
父親・・・平野長治
息子・・・平野長勝?
●
祐筆の人物批評
ハガクレ・・・他の豊臣恩顧の武将はみんな徳川についたのに、豊臣方に行こうとした気骨がいい!!
祐筆
●一番手・・・ハガクレ