末次元康

Last-modified: 2010-01-07 (木) 16:40:16

生まれ

すえつぐ(もうり)もとやす
1560~1601年

どんな人?

毛利元就の八男
母親は側室

出雲国の末次城主になったので「末次」と名乗るようになった
32歳の時に豊臣秀吉による朝鮮出兵に参加した

40歳の時に関ヶ原の合戦が始まると、毛利家は「石田三成につくか徳川家康につくか?」でモメまくった
元康は家内をまとめようと画策しまくった

毛利本家の毛利輝元が西軍の総大将になったため、西軍につき、関ヶ原の本戦前日は大津城を攻め、京極高次を降伏させた

が、本戦には間に合わず、結局西軍は敗北してしまう

それを聞くとすぐさま大阪城へ行き、徹底抗戦の準備をすすめたんだけど、毛利輝元が大阪城を出たため、仕方なく退去した

その後所領を減らされ、42歳で死去した

逸話



関連のある人々

父親・・・毛利元就


毛利隆元
吉川元春
小早川隆景
二宮就辰
穂井田元清
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小早川秀包
正室・・・杉原盛重の娘
後妻・・・吉見広頼の娘・矢野局

息子・・・毛利元宣?

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ