桶狭間の戦い

Last-modified: 2010-01-07 (木) 15:25:05

戦国三大奇襲の一つ、そして織田信長の名を天下に知らしめた戦いが、この桶狭間の合戦です

今川義元は、軍師の太原雪斎が死んでから、下降線をだどっておりました
ってことで、義元は雪斎が死んでからの悪いムードを一新するために京都へ上洛し、天下を取るべく動き出す決心をしたのです

さーて、今川の上洛を聞いた織田家は混乱に陥りました
通り道だからね
なんせ今川といえば、このへんじゃ実力NO1
織田はまだまだ弱小

家臣らは「これで織田の終わりか・・・」落胆の色を隠せませんでした

信長はというと、敵は目前というのに軍議もせず、夜遅いからもう寝ろとまで言う始末
家臣らはほとほと呆れ果てました

が、夜中の2時

突然信長が「具足を持て!法螺を吹け!」出陣命令を出したのです
そして湯漬けを立ったままかきこみ、「敦盛」を3度舞いました

人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻ごとくなり ひとたび生をうけ 滅せぬもののあるべきか 

そして馬を走らせ突然の出陣。熱田神宮で勝利を祈願したのです
織田軍は精鋭を率いて進軍していきました。
すると、信長のもとに梁田政網が「義元軍、田楽狭間で休憩中!」という情報を持ってきたのです

田楽狭間は桶狭間の東北にあり、周りは丘に囲まれている低地で、5000人ほどがやっと収容できるほどの場所でした

義元はここで兵を集めて祝宴を開いていたのです

といのも、松平元康(家康)が砦を破ったという情報が入ったりと、続々と砦を破ったという連絡が入ってきており、勝利間違いなしの余裕モードに入っていたのです

さらに近隣の農民達が義元たちに酒を献上したりして、義元たちは酒宴をやっていたのでした

信長らは、今こそ勝機!と、桶狭間目指して進軍

もう少しで到着という時に、突然稲妻が走り大雨が降り始めたのです

今川軍はこの大雨により避難しだしました
そのため大将・義元の近くに兵が300人ほどになったのです。
さらにこの雨の音により、信長軍の音は一切かき消されました。

天も我らの味方をしている!!!

信長は、桶狭間で休んでいる今川軍を見つけると、全軍に突撃命令を出しました

今川軍は、突然の襲撃に大混乱

信長軍の攻撃を、味方の裏切りか謀反かと勘違いしたほど
武装していない今川軍は次々と討たれていきました

そしてとうとう義元を発見したのです

服部小平太(はっとりこへいた)が、義元に一番槍として切りつけましたが、逆に義元にひざを切りつけられちゃました

倒れた義元を、毛利新助(もうりしんすけ)が斬りかかりましたが、必死の義元に小指を食いちぎられてしまった

が、とうとう毛利新助が義元の首を討ち取ったのです!

「義元の首、討ち取ったり!!」この声に今川軍呆然

大将を失った今川軍はみな逃げていきました

弱小国・織田信長が強大国・今川義元を討ち取ったというニュースはまたたく間に広まりました

天才風雲児・信長の表舞台デビューとなったのです

ちなみにこの時、どさくさに紛れて徳川家康が今川を出て独立しちゃいました