生まれ
ゆあさごすけ
生まれは不明
1600年没
どんな人?
戦国時代の武将
大谷吉継の家臣
大谷吉継の家臣の中でも、特に武勇に秀でた者として有名だった。
関ヶ原の合戦では小早川秀秋の攻撃によって大谷隊が壊滅したとき、切腹した大谷吉継の介錯を務めた
おいたち年表
名前が出てくるのは関ヶ原の合戦の時
ハンセン病だった大谷吉継が自害する時、湯浅五助に「自分の崩れた醜い顔を敵に晒すな」と言い自害した。
五助は主君の命令を守って吉継の首を戦場から離れた場所に埋めることに。
が、埋め終わったときに、藤堂高虎の甥(藤堂高刑?の母は、高虎のお姉さん)藤堂高刑?に発見されてしまう。
五助は、「私の首の代わりに、主君の首をここに埋めたことを秘密に欲しい」と頼んだ。
藤堂高刑?はそれを了解し、五助の首を取った。
藤堂高虎は、名高い湯浅五助の首を取ったことを大喜び。さっそく家康の本陣に報告。
そして徳川家康に五助の首を見せた。
家康は手柄を褒めつつ、大谷吉継の側近中の側近である五助なら主君の居場所も知っているはずと、高刑に質問した。
高刑は「首のありかは知っているが、五助と秘密にして欲しいと誓って首を取った。このことはどなた様にも言えませぬ。どうぞ、私を御処分くだされ」と高刑は答えた
吉継の首の在処を言えば、更なる大手柄になるというのに頑として在処を言わない姿勢に家康は感心し、自分の槍と刀を与えた。
逸話
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関連のある人々
祐筆の人物批評
ハガクレ・・・この話しは好きです
祐筆
●一番手・・・ハガクレ