生まれ
いしかわやすかつ
生まれは不明
1615年没
どんな人?
戦国時代の武将
父親は石川数正で、徳川家康に仕えていた(しかも、かなりの重臣)
が、父親が突然徳川家康を寝返り、豊臣秀吉についてしまったため、康勝も父に従い豊臣秀吉に仕えた
関ヶ原の合戦では兄の石川康長とともに東軍についたため所領を安堵されるが、1613年に兄の石川康長が大久保長安事件に連座し改易されてしまう
そのため浪人となってしまい、大阪夏の陣で旧領回復のため豊臣方に参加
真田幸村の下につき、真田丸にて奮闘するが、康勝の部下がまちがって火薬を爆発させてしまった
これを徳川方が内応の合図と勘違いし、猛攻してきたため討死となった
逸話
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関連のある人々
父親・・・石川数正
祐筆の人物批評
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●一番手・・・ハガクレ