蜂屋頼隆

Last-modified: 2010-01-13 (水) 11:04:31

生まれ

はちやよりたか
1534年生まれ
1589年没

どんな人?

戦国時代の武将

美濃で生まれたため、最初は土岐家に仕えていた
その後、斎藤道三に仕えた。

織田信長が美濃を攻撃してくるようになると、織田信長の家臣に
信長のもとで黒母衣衆となった

その後も数々の合戦に参加し、荒木村重が謀反をした時は、村重の一族を処刑したあとの処理なども行った

信長の重臣だった佐久間信盛親子が追放されると、そのあとを任された

48歳の時に信長の三男・織田信孝が四国攻略へ向かうことになると、津田信澄丹羽長秀とともに信孝についた

が、そのあとすぐに本能寺の変がおき、信長が死んでしまい、山崎の戦いに参加

そして秀吉と柴田勝家らが対立するようになってくると、頼隆は秀吉側についたため所領安堵となった

逸話



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祐筆の人物批評

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