赤井忠家

Last-modified: 2010-03-17 (水) 10:10:07

生まれ

あかいただいえ
1549年生まれ
1605年没

どんな人?

戦国時代の武将

最初は織田信長の家臣
9歳の時にお父さんが死んでしまうが、なんとか所領を安堵される
その後、織田信長に離反し信長に対抗するも明智光秀によりやっつけられてしまい、逃亡した。
が、豊臣秀吉が天下を取ると、朝鮮出兵の時から豊臣秀吉に仕える。
でも、豊臣秀吉の弟の豊臣秀長と仲が悪くなっちゃったため、大久保忠世を仲介に徳川家康に仕官を願ったんだけど、叔父の山口直之の元に在るよう命じられる。
でもって再び豊臣秀吉に仕えるんだけど、またもやめちゃった

関ヶ原の合戦の時は、石田三成与力である矢田部助兵衛が、忠家の家臣であてに密書を送ってきたのを徳川家康にちくった。
で、合戦は東軍として参加。
戦後、1,000石を賜り、戦前に与えられていた領地と合わせて2,000石となる。
その後、伏見にて死去した

逸話



関連のある人々

もと・主君達
萩野正元
織田信長
豊臣秀吉
徳川家康 

赤井家清・・・父親
波多野元秀の娘・・・母親

赤井忠泰・・・息子
赤井公雄・・・息子

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ