宇喜多秀家

Last-modified: 2010-02-02 (火) 09:40:06

生まれ

うきたひでいえ
1573年生まれ
1655年没

どんな人?

戦国時代の大名

宇喜田家の嫡男として生まれたお坊ちゃま

おいたち年表

1573年0歳宇喜多直家の子として誕生!
1580年8歳織田信長の命令で中国地方へやってきた豊臣秀吉の人質になる  
1581年9歳父親が死んだため家督を継ぐ  
1585年13歳大将として出陣  
1589年17歳前田利家の娘で豊臣秀吉の養女・豪姫と結婚  
1592年20歳文禄の役、慶長の役で朝鮮へ戦いに行く   
1598年26歳豊臣政権で五大老の一人になる   
1598年26歳豊臣秀吉が死去   
1600年28歳関ヶ原の合戦   
1606年34歳八丈島へ流罪になる   
1655年83歳八丈島で死去   

生涯

秀吉に気に入られ、前田利家の娘と結婚。ラブラブだった

さらに若くして「五大老」のメンバーに抜擢されウッキウキ♪

が、ダイスキなおじちゃんの秀吉が死に、徳川家康がエラソーにし始めると「なんだよ!あのタヌキオヤジ」とムカつきはじめる

そこを石田三成が「一緒に家康やっつけませんか?」と相談

「OK!まかせときな!」とノリノリで副大将に

関ヶ原の合戦では、一番の主力としてバトルしまくったが、小早川秀秋の裏切りによりあえなく退却

熱い男・秀家は「秀秋を殺してオレも死ぬ!」と怒りをあらわにしたが、家臣に止められた

その後は、前田利家の娘と結婚してるということで死罪を免れ八丈島に流された

死んだのは江戸幕府 三代将軍・徳川家光の時代

すごく切ない老人となった

その他

性格・・・義理堅い・熱い

口癖・・・「若いからってなめるなよ」

好きな人・・・豪姫

嫌いな人・・・小早川秀秋!「あいつって、秀吉殿にあれだけ世話になっておきながら、よくあんなことできるよな」

感謝してる人・・・前田家の方々

ヒトコト・・・八丈島は寂しいところです

逸話

●辞世「涙のみ流れて末は杭瀬川水の泡とや消えむとすらむ」
●関ヶ原で戦った大名の中では一番長生きした

●秀家ぶちきれる!!が、家臣に止められる

関ヶ原の合戦で一めちゃくちゃ頑張って戦ったのがこの人!
が、小早川秀秋の裏切りにより西軍は全滅
秀秋の裏切りを知った秀家は、「くそーーー!あのバカ!!こうなったらあいつだけでもぶっ殺してやる!」と、一人敵陣に突っ込もうとした
それを何とか押しとどめたのが家臣の明石全登だったのでした

関連のある人々

宇喜多直家・・・父親
豊臣秀吉・・・義父
豪姫・・・正室
前田利家・・・義父
織田信長
石田三成

宇喜多秀高 ・・・息子
宇喜多秀継 ・・・息子

祐筆の人物批評

ハガクレ・・・大好きな武将の一人です

祐筆

●一番手・・・ハガクレ