No.412 | ||||
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屋代(やしろ) | 御蔵型 6番艦 海防艦 | |||
艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
耐久 | 9 | 火力 | 4 / 16 | |
装甲 | 4 / 16 | 雷装 | 0 | |
回避 | 39 / 81 | 対空 | 9 / 37 | |
搭載 | 0 | 対潜 | 40 / 79 | |
速力 | 低速 | 索敵 | 3 / 15 | |
射程 | 短 | 運 | 20 / 80 | |
最大消費量 | ||||
燃料 | 10 | 弾薬 | 10 | |
装備 | ||||
12cm単装高角砲E型 | ||||
25mm連装機銃 | ||||
装備不可 | ||||
装備不可 | ||||
改造チャート | ||||
屋代 → 屋代改(Lv45) | ||||
図鑑説明 | ||||
御蔵型海防艦六番艦、屋代です。マル急計画で生まれました。 苦しいヒ船団の護衛や対潜掃討、戦後は機雷掃海任務、そして、引き渡し後は正安として、対馬と共に戦いました。 屋代、覚えていてください。 |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。
最大値はLv99の時の最大値を指します。
CV:松岡美里、イラストレーター:A士
定型ボイス一覧
イベント | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | ||
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屋 代 | 屋 代 改 | 追加 | ||||
入手/ログイン | 御蔵型海防艦、六番艦、屋代。参ります。 どんなに困難な状況でも、屋代、頑張り抜きます。 皆さんを護る、それが勤めですから。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
母港*1 | 編集 | |||||
母港1 | 詳細 | 参りましょう? | ◯ | ◯ | 編集 | |
母港2 | 朝霜さん……無理はしないで。お願いします。私が援護は引き受けます。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
母港3 | 戦いの状況は厳しいですね。……でも、ここを、この航路を護らなければ。私達の、明日は……。 提督と皆さんと共に、出来ることを、頑張ります! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
ケッコンカッコカリ | 提督、私に何か御用が? え、これを、屋代に?! ありがとうございます! 私、いつまでも大切にします。 | ◯ | 編集 | |||
ケッコン後母港 | 提督、お茶にしましょ? 台湾の良いお茶が有るんです。 | ◯ | 編集 | |||
放置時 | 提督、いろいろなことを思い出します。いろいろと……経験しました。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
編成出撃 | 編集 | |||||
編成 | 第一海上護衛隊、海防艦屋代、出撃します! | ◯ | × | 編集 | ||
第102戦隊、海防艦屋代、出撃します! | × | ◯ | 編集 | |||
出撃 | 御蔵型海防艦、屋代、抜錨! 皆さん、続いてください! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
開戦・攻撃*2 | 編集 | |||||
戦闘1 | 昼戦開始 | 敵……ですか。やらせはしません。戦闘用意! | ◯ | ◯ | 編集 | |
戦闘2 | 昼戦攻撃 | てぇーっ! | ◯ | ◯ | 編集 | |
戦闘3 | 夜戦開始 | 夜は危険です。慎重に進みましょう。 | ◯ | ◯ | 編集 | |
戦闘4 | 夜戦攻撃 | 護ってみせます! | ◯ | ◯ | 編集 | |
戦闘時ステータス*3 | 編集 | |||||
小破 | いやああああっ! | ◯ | 編集 | |||
痛い! 目が……前が、見えないわ。 | ◯ | ◯ | 編集 | |||
中破/大破 | いやああああっ! 浸水!? なんとか、戻らないと……! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
轟沈 | 身体が……沈んでいく。……これが沈むということ。……冷たくて、寂しくて、悲しい。 ……皆さん、ごめんなさい……! | ◯ | 編集 | |||
戦闘終了*4 | 編集 | |||||
勝利MVP | 海防艦屋代が、お役に立てましたか? ……よかったあ! 苦しい戦局ですが、支え合って行きましょう! | ◯ | × | 編集 | ||
私がお役に立てましたか? ……よかったあ! 苦しい戦局ですが、支え合って行きましょう! | × | ◯ | 編集 | |||
旗艦大破 | 痛い! 目が……前が、見えないわ。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
装備・改修*5 | 編集 | |||||
装備1 | 改修/改造 | この装備、大切に使います! | ◯ | ◯ | 編集 | |
装備2 | 貴重な装備、屋代、大事にします! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
装備3 | 改修/改造/開発/バケツ/遠征/発見 | ここまでは、無事です! | ◯ | ◯ | 編集 | |
その他 | 編集 | |||||
帰投 | 艦隊、無事帰還しました。ホッとします。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
補給 | 貴重な補給、ありがとうございます。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
入渠(小破以下) | 修理、助かります。 | ◯ | 編集 | |||
入渠(中破以上) | 提督、ご迷惑をおかけして、すみません。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
建造完了 | 新戦力です! 頼もしいですね。 | ◯ | ◯ | 編集 | ||
戦績表示 | 屋代、情報をお持ちします。こちらですね。 | ◯ | ◯ | 編集 |
時報ボイス一覧
時刻 | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | |
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屋 代 | 屋 代 改 | 追加 | |||
00 | 編集 | ||||
01 | 編集 | ||||
02 | 編集 | ||||
03 | 編集 | ||||
04 | 編集 | ||||
05 | 編集 | ||||
06 | 編集 | ||||
07 | 編集 | ||||
08 | 編集 | ||||
09 | 編集 | ||||
10 | 編集 | ||||
11 | 編集 | ||||
12 | 編集 | ||||
13 | 編集 | ||||
14 | 編集 | ||||
15 | 編集 | ||||
16 | 編集 | ||||
17 | 編集 | ||||
18 | 編集 | ||||
19 | 編集 | ||||
20 | 編集 | ||||
21 | 編集 | ||||
22 | 編集 | ||||
23 | 編集 |
季節ボイス一覧
季 節 | イベント | セリフ | 改装段階 | 備考 | 追加 | |
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屋 代 | 屋 代 改 | 追加 | ||||
春 | 桃の節句 | 編集 | ||||
春の訪れ | 編集 | |||||
ホワイトデー | 提督、お返しを? ありがとうございます! 頂きます! | ◯ | 編集 | |||
春 | 編集 | |||||
春本番 | 編集 | |||||
夏 | 梅雨 | てるてる坊主、台湾にもあるんです。……ほら、出来ました! | ◯ | 編集 | ||
初夏 | 編集 | |||||
夏 | 編集 | |||||
盛夏 | 編集 | |||||
夏祭り | 編集 | |||||
秋 | 秋 | 浴衣、どうでしょうか? ……そうですか、良かった。 | ◯ | 編集 | ||
秋刀魚 | 秋刀魚漁ですね。近海はよくわかっています、お任せを! | ◯ | ◯ | 編集 | ||
晩秋 | 編集 | |||||
ハロウィン | 編集 | |||||
秋のワイン | 編集 | |||||
冬 | 冬 | 編集 | ||||
師走 | 編集 | |||||
クリスマス | 台湾ではあまり、クリスマスって……でも、楽しそうです! | ◯ | 編集 | |||
年末 | 編集 | |||||
新年 | 提督、謹賀新年! 今年も、何卒よろしくお願いいたします。 | ◯ | 編集 | |||
節分 | 節分を、択捉型と対抗戦ですか? ……あ、はいっ、頑張ります! | ◯ | 編集 | |||
バレンタイン | 提督、こちらをどうぞ。少しビターです。……どうですか? | ◯ | 編集 | |||
周 年 | 二周年記念 | 編集 | ||||
三周年記念 | 編集 | |||||
四周年記念 | 編集 | |||||
五周年記念 | 編集 | |||||
六周年記念 | 編集 | |||||
七周年記念 | 編集 | |||||
八周年記念 | 八周年、おめでとうございます! 嬉しい。 | ◯ | 編集 | |||
九周年記念 | 九周年、おめでとうございます! 嬉しいですね。 | ◯ | 編集 | |||
十周年記念 | 十周年、おめでとうございます! 提督、本当に感謝です! | ◯ | ◯ | 編集 |
ゲームにおいて
- 2020/07/11実装。
- 初登場イベント『侵攻阻止!島嶼防衛強化作戦』ではE-6とE-7でドロップした。
- 一応海防艦の中では対空がトップタイだが、戦闘ではほぼ影響はない。ごく普通の海防艦と見ていいだろう。
キャラクター設定について
- 艦名の由来は山口県屋代島から。一般的には周防大島と呼ばれ、町の名前も周防大島町であるが、国土地理院の正式名称は屋代島である。
- 頭についているのは周防大島町の花であるみかんの花である。周防大島が所在する山口県は高知県と並んで年間5000トン以上(2016年)のみかんを生産しており、その80%は周防大島産。
- 胸に金魚のバッジをつけているが、周防大島は形から金魚島とも呼ばれている。
- 周防大島の北、江田島との間にあるのが柱島。柱島諸島と周防大島に囲まれたこの海域こそが、かつて柱島泊地と呼ばれた海域である。
- その柱島泊地で爆沈した「陸奥」は周防大島からわずか3kmの場所で沈んだ。周防大島東側の伊保田港のそばに陸奥記念館があり、副砲や艦首が今も残されている。
- 2019年12月にはとある「オブローダー」*6が周防大島にある廃道と県道の自動車交通不能区間の探索を行っており、彼が執筆したサイト「山さ行がねが 道路レポート 山口県道60号橘東和線 和佐狭区[https://yamaiga.com/road/ypr60/main.html]」には周防大島について詳しく記述されている。
- 現在は本土と大島大橋で結ばれているが、かつては本土から国鉄運行の連絡船が出ていた。就航船の中には山口県光市の旧海軍工廠で使用されていた魚雷運搬船を改造した貨客船や特大発動艇を改造した自動車運搬船なども在籍していた。
- 長野県にはかつて屋代町という自治体があったが、艦名とは一切関連はない。こちらは1959年6月1日に周辺の埴生町・更級郡稲荷山町・八幡村と合併して更埴市となり消滅。現在はさらなる合併で千曲市の一部となっており、地名として屋代の名は残されている。
- 御蔵のような堅さはないが、性格はやはり真面目。
- 実は結構太眉。通常時はわかりにくいが、中破時や限定グラフィックだとわかりやすい。
期間限定グラフィック
- 2020年8月27日のメンテナンスで、期間限定グラフィック「浴衣mode」が追加された。
- みかん柄の浴衣に金魚柄の帯とリボンをして、イルカと金魚のぬいぐるみを抱いている。この辺の元ネタは上記キャラクター設定にある、艦名由来の土地が元ネタ。イルカは御蔵由来だろうか。
- 中破するとイルカのぬいぐるみ(涙目)を抱えたままうずくまって泣いてしまい、なんとも罪悪感が……。
- ちなみに手提げ袋には信号拳銃が入っており中破グラで確認することが出来る他、発砲したのか空薬莢も1つ確認できる。
限定グラフィック:浴衣mode
- 2022年4月1日のメンテナンスで、期間限定グラフィック「花束mode」が追加された。
- 春らしいピンク基調の衣装に、柏餅型のバッグ。左手にはうぐいすも止まっていてなんとも微笑ましい。
右手で抱えたおっきな花束の中には、提督宛なのだろうか封筒も入っている。 - 中破するとそんなよそ行きも、右手で持ってた花束も、ボロボロになってしまう。
限定グラフィック:花束mode
- 春らしいピンク基調の衣装に、柏餅型のバッグ。左手にはうぐいすも止まっていてなんとも微笑ましい。
小ネタ
- 屋代(やしろ)は御蔵型海防艦第6番艦。
1943年11月18日、日立造船株式会社桜島造船所で起工。1944年2月16日に進水し、5月10日に竣工。竣工後は横須賀鎮守府籍となり、海上護衛総司令部第一海上護衛隊に配属された。略歴
- 戦争中は主に海上護衛・哨戒任務にあたった。
- 初めての任務は1944年6月11日に門司を出港しボルネオのミリへ向かうミ07船団で、駆逐艦朝風と共にミリまで護衛。以降は朝風と共にミシ04船団、シミ06船団で昭南とミリの間を往復し、ミ10船団を高雄まで、ミ13船団を高雄からマニラまで護衛している。
- ミ10船団護衛中の7月28日には白馬山丸が、ミ13船団護衛中の8月7日に姉妹艦の海防艦草垣(未実装)が雷撃により撃沈されている。雷撃したのはいずれもアメリカ潜水艦ギターロだった。
- 9月14日早朝、出港する船団の護衛につくため高雄を出港したところ、磁気機雷に触れて損傷する。この触雷で一時行動不能になり、艦首に浸水。乗員数名が負傷した。屋代は海防艦三宅に曳航されて高雄に戻り、応急修理を受ける。
- 1944年12月10日、第一護衛艦隊に編入。30日、ヒ87船団を護衛して門司を出港。航海中の1945年1月1日、屋代は第百二戦隊に編入。船団は8日夜に高雄に到着した。翌9日、高雄はアメリカ軍艦載機の攻撃を受け、屋代は被弾小破する。
- 当時屋代の後ろにいた二等駆逐艦朝顔(未実装)の森栄艦長(大尉)によれば、朝顔に向けて急降下してきた艦上爆撃機へ向けて対空戦闘を開始したところ、それをひらりとかわした敵機は屋代に目標を変更*7。「屋代が危うい! 」と思って双眼鏡で屋代艦橋の窓ガラスを見た瞬間敵は投弾し、海面すれすれを飛んで逃げた。直後、屋代の艦橋窓ガラスは透き通しになって、前方の空間が真っ白く見え、思わず 「屋代の艦橋全滅!」 と叫んだという。
- 艦橋に爆弾が直撃した屋代の人的被害は甚大で、艦長の山下貞義少佐、航海長、機雷長、操舵長、信号長を始め艦橋にいた信号員、見張員等、そのほとんど全員が戦死するという被害を受けた。そのため、砲術長が艦長代理として指揮を執った。同日夜、屋代は朝顔と衝突事故を起こした。
- 突如 「ドスン!」 という近い大きな昔に飛び起きた朝顔の森艦長は、「どこかの艦の艦首が右舷第1缶室横にぶつかり、その艦はすぐ後進をかけて見えなくなった」との当直見張員の報告で被害を確認したところ、直径約2mの穴が開いているのを確認。衝突相手はわからなかったが、暗夜の中右後方から血の臭いがしたため「被爆した屋代ではないか?」と思っていたところ、信号員から相手が屋代であると伝えられた。予感が的中し、深夜の上甲板で全身が氷で包まれたようにゾッとした森艦長は、対空戦闘で戦死した屋代艦橋員の亡霊が、艦長を先頭にして縦1列となって挨拶に来てくれたのではないか?と思い、右舷斜め後方に頭を下げ、目に見えぬ暗夜の彼方の、今しがた血の臭いが流れてきた風上側の屋代に向かって、「申し訳ありません、お許しください、さぞ御無念のことでしたでしょう」 と謝り続けたという*8。
- 13日、本莊卓爾少佐を臨時艦長とした屋代は14日に朝顔らとともに門司行きのタモ37船団を護衛*9。門司到着後、屋代は呉海軍工廠へ、朝顔は舞鶴海軍工廠へ回航され、それぞれ修理を受けている。
- 4月7日正午過ぎ、奄美大島周辺での哨戒を終えて佐世保へ向け帰投中、奄美大島西方沖で複数の水上艦を電探が探知する。この複数の水上艦は沖縄水上特攻作戦により沖縄へ向かう大和以下第一遊撃部隊と判断された。
- 6月9日、第百二戦隊は九州および対馬海峡の北西で対潜掃討を実施することとなった。屋代は第41号海防艦と共に、木浦南東沖に割り当てられた。同日早朝、麗水湾口で対潜哨戒中、アメリカ潜水艦シーオウルの雷撃を受ける。魚雷1本が第41号海防艦の中央部弾薬庫に命中し、大爆発を起こし沈没。艦長の高橋輝藏少佐以下乗員173名が戦死した。屋代は他の哨戒艇2隻とともに爆雷攻撃を始め、続く14時間で84発の爆雷を投下したものの、シーオウルは損傷を受けなかった。
- 8月9日早朝、羅津へ向かう輸送船団と合流し羅津へ向かうも、羅津はソ連軍機による空襲を受けているところだった。そのため行き先を雄基に変更するも、ソ連軍機が空襲を開始するのを目撃。まもなく船団に対しても空襲が開始され、屋代はソ連軍機11機を撃墜したが、機銃掃射等で戦死2名、負傷者19名を出す。結局船団は目的地を元山に変更し、10日に到着した。
- 終戦時は元山から内地へ向かって回航中だった。
- 戦後は機雷掃海任務に従事したのち、1947年8月29日、青島において賠償艦として中華民国政府に引き渡された。
- 同国海軍に所属後はまず「接19」その後「威臺」と改名されたが、主機の状態が悪く放置されていた。
- 1949年2月に国共内戦に際して青島から台湾への脱出に成功し、「正安」と改名。
- 1950年、左営にて日本が残していった12cm砲2門を装備した。その後再び改装し、アメリカの5インチ砲2門にボフォース40mm2門、エリコン20mm8丁を装備した。
- 1956年4月7日、臨安とともに鷺鷥島にあった中華人民共和国の砲台を砲撃。
- 1958年、中華民国海軍の政策変更により、艦艇の一斉更新が行われることになり旧日本海軍の艦艇の大量除籍が決定。同年11月1日付けで中華民国海軍より除籍された。
- 戦争中は主に海上護衛・哨戒任務にあたった。
- 戦後「屋代」の艦名は海上自衛隊の掃海艇に受け継がれたが、現在は退役している。
- 2代目「やしろ(MSC-603)」は1956年就役の掃海艇で、1972年に特務船に種別変更され、1981年に除籍された。
この艦娘についてのコメント
- 昭南狙いでE2-2回っていたら、出たわ。御蔵ちゃん、やっと妹を我が鎮守府に連れてきたよ -- 2021-12-06 (月) 20:56:58
- きょうE2-2で夕雲さんのレベリング中に出てきました。 -- 2021-12-07 (火) 17:51:55
- 屋代ちゃん5隻目お迎え。今まで巡り会えなかった分、いっぱい出してあげようねぇ -- 2021-12-07 (火) 21:30:51
- ドロップ祈願に来ました。うちには -- 2021-12-09 (木) 18:56:33
- 海防艦で未着任のなのは、この子だけなんだ。来てください! お願いします!! -- 2021-12-09 (木) 18:58:47
- やっと、やっと来てくれた! 長かったわ。 -- 2021-12-10 (金) 05:43:52
- 今も掘ってる提督の所へも、来てくれますように。諦めなければ、きっと来るはず。 -- 2021-12-10 (金) 05:47:08
- 海防艦で未着任のなのは、この子だけなんだ。来てください! お願いします!! -- 2021-12-09 (木) 18:58:47
- 干支に因んで、虎に翼。屋代にスリット。ぱんつは正義 -- 2022-02-02 (水) 18:40:19
- ありがたやありがたや… イラストと縁起物らしい虎羽に対してですよ? -- 2022-02-02 (水) 19:38:23
- これはいいぱんつ(直球) -- 2022-02-02 (水) 19:41:19
- A士さん、画力上達したなあ -- 2022-04-01 (金) 21:33:07
- ひょっとして、これが本来の画力では? -- 2022-04-01 (金) 22:08:19
- 二次創作系の絵は上手いのになんで艦これだけ描き方違うのとか言われてたみたいだし、他と同じ描き方にしたのかも -- 2022-04-01 (金) 22:12:04
- 例によって初期グラと追加グラの納品時期に相当差があるせいだと思われ -- 2022-04-03 (日) 06:11:01
- 線の太さが今時の絵風になったからだと思う。 -- 2022-04-04 (月) 04:41:52
- ひょっとして、これが本来の画力では? -- 2022-04-01 (金) 22:08:19
- 龍驤、お前負けてねえか?(何がとは言わんが -- 2022-04-02 (土) 02:47:57
- 衣服の形状が膨らんでいるだけで、中身は詰まってはおらんじゃろうて……勝敗は知らん。 -- 2022-04-02 (土) 17:04:53
- どこにでも出張ってくるから龍驤嫌い 人気キャラなんだか知らんがこういうマイナーキャラに何かあった時まで話題とりにこないでほしい -- 2022-04-02 (土) 22:02:12
- まさか屋代が坊ノ岬沖で大和と遭遇していたとは(4月7日正午過ぎ)。その約2時間後に大和沈没。大島輸送隊が大和と遭遇で有名だったけど屋代も遭遇してたのね -- 2022-05-05 (木) 20:24:48
- ついでに朝霜とも遭遇してますね -- 2022-05-21 (土) 00:17:28
- 大和も錨を下ろした柱島泊地は屋代島と柱島の間の海域。そういう縁もあります -- 2022-06-26 (日) 01:16:07
- (全然関係ないけどたしか屋代島の東端を挟んで柱島と所謂ダッシュ島は南北に位置していて ともに10kmも離れてなかったはず) -- 2022-06-26 (日) 01:25:39
- 中破ボイスが迫真過ぎて毎回ビックリするのは自分だけではないと思う -- 2022-10-15 (土) 19:29:38
- 浴衣モードが何かデジャブと思ったら。。緑壱さん・・・?! -- 2022-10-15 (土) 20:09:46
- いや、浴衣姿かわいいな。すっごく良い -- 2022-11-18 (金) 15:40:30
- いけませんお屋代さま…お身体にさわりますよ…(原点回帰) -- 2022-11-18 (金) 17:14:12
- 花束mode解説のうぐいす、メジロだと思う。とうかA士さんが22年4月1日のツイートでそう言ってる。 -- 2023-01-29 (日) 11:00:17
- 今年の花束modeはまだお預けかな。イベ終了メンテで来てくれるかなあ -- 2023-04-11 (火) 10:43:39
- 花束モードやばいな、控えめな胸の膨らみが控えめだけど確かな柔らかさがやばいな -- 2023-04-30 (日) 19:59:17
- 花束モード来て良かった。めちゃめちゃ可愛い -- 2023-05-05 (金) 23:32:15
- (響き渡るハイエースのブレーキ音)(慌ててハイエースの扉を開閉する音)(急発進でその場から去るハイエースのエンジン音) -- 2023-06-13 (火) 08:09:14
- 丹陽、対馬と並んで貴重な台湾艦娘として可愛がってる。改二が実装されて正安にならないかなぁ。性能は海防枠として使える丹陽(雷装なし)みたいな感じを希望。 -- 2023-09-17 (日) 02:34:27
- うちの爺さん、屋代の進水から乗艦してて、終戦まで乗ってた。ちなみに赤紙招集の炊事兵。終戦時の艦長はクリスチャンで尊敬するあまり爺さん本人もクリスチャンになって、90過ぎで亡くなるまで田舎の教会で伝道してた。 -- 2023-10-12 (木) 15:28:07
- 本莊さんってクリスチャンだったんか -- 2024-02-11 (日) 16:44:25
- 龍瑞雲天。目出度い屋代を愛でたい。 -- 2024-02-11 (日) 15:27:49
- 日向「新しい瑞雲だと?」 -- 2024-02-12 (月) 15:55:56
- 屋代乗艦してた祖父の遺品から、屋代会(戦友会)が戦後50年に発刊した非売品の書籍が出てきたよ。「海防艦屋代 歴戦の足跡を偲んで 終戦五十周年 屋代会だより特別号」。ウィキペディアの屋代の項目の参考文献一覧では記載されてなかった。内容は防衛庁に提出されていない戦闘詳報の空白日を含む乗員の体験談。13歳で即成された機銃手が佐世保で配属され、名前を覚えてもらう間もなく高雄の対空戦闘で戦死され、戦後の乗員が防衛庁に問い合わせたりしたけれど記録が無かったという逸話も。 -- 2024-03-12 (火) 01:05:27
- 追記・衝突した朝顔艦長の話として、「よく使われたが、これでやっと母港舞鶴へ帰れる」とお礼を言われて衝突事故についてはお咎めなしだったとも。 -- 2024-03-12 (火) 01:10:19
- 艦長の訓示では、その後の反省会と称する古参兵の物理的な精神注入という行為が罷り通っていたが、初代艦長の山下少佐は初訓示で愛の精神を説き、修正という名の暴力を禁止したそうです。艦長訓示に続いて先任将校手塚大尉の訓示があり、「艦長を親父と思い、俺を・・・そうだなぁ・・・母と思うんだな」とニヤッと笑っていたそうな。 -- 2024-03-12 (火) 01:21:56
- この記事を書いた屋代第三分隊の電探員・宮田氏によれば、屋代配属前の昭和18年、三重海軍航空隊の古瀬司令から各分隊にあるバットを残す事なく集めろと厳命されたと。狩られたバットには達筆な墨跡あざやかに「軍人精神注入棒」「鬼畜米英撃滅」「山本元帥に続け」などの金言が書いてあったが、この霊験あらたかな材木を心置きなくゴミ焼却炉で処理し、快哉を叫んだとも。 -- 2024-03-12 (火) 01:28:36
- バシー海峡で撃沈された商船の漂流者救助では、先行した船団指揮官から本体に戻れと繰り返し電報が入るものの、山下艦長はこれを無視して救助を続行。救助がなかなか進まない中、当直将校が「日本人だけ助けろ」と叫んだが砲術長が反論。救助されてる中国人は日本語を理解できる者もいてゲンナリしていたが、山下艦長が「区別なく、一人残らず助けろ」と大声で指示し、中部甲板にいた中国人たちは艦長に手を合わせて何度も頭を下げていた。救助された人たちには国籍に関係なく、乗組員と同等同量の食事を提供するように主計長に指示した。救助された中国人の多くは福建省の人たちだった。 -- 2024-03-12 (火) 01:37:36
- ソ連参戦後の対空戦では砲術長が北朝鮮の雄基に上陸していたが、船団護衛の命令が届いて屋代は夜には帰れるだろうと判断し、砲術長が戻るのを待たずに出航したところソ連機と戦闘、そのまま舞鶴へ。隠岐島あたりで終戦のラジオを聴き舞鶴入港すると、そこには北朝鮮に置いてきた砲術長が待っていた。砲術長は波止場へ行ったが屋代はおらず、丘に上って見ると対空戦闘しつつ港外へ出る屋代を見た。砲術長は南へ向かって歩きに歩き、塩の不足は汗を舐めて凌ぎ、列車に乗れるところは利用し、元山で海防艦を捕まえて山口の海岸で降ろしてもらい、貨物列車にぶら下がって舞鶴までやってきたという。上陸場へきたら沈められたと思ってた屋代がいたので驚いた、との話。ちなみに金銭も食糧も持っていなかったという。 -- 2024-03-12 (火) 02:04:26
- 終戦の詔のあと、なぜか司令が舞鶴にいて、横須賀へ向かえと命令されたので武装解除もままならないまま津軽海峡へ。司令座乗の保高に意見具申「新潟に入港されては如何」即答「横須賀に向かう」。再び意見具申「秋田に入港されては如何」即答「横須賀に向かう」。その後、判別不明な小艦艇7隻が接近、ソ連艦隊の可能性を考慮して横一線の陣形で増速直進、結果は味方北方の海防艦隊で秋田沖海戦は幻となった。屋代、保高と同行していた三十四号海防艦には朝鮮からの引揚者として田中角栄が乗っていて、舞鶴で降りられると思ったら青森まで連れて行かれたと戦後の日経新聞に書いてあると。意見具申「大湊に入港されては如何」返信「貴艦と三十四号は大湊に入港すべし、我は横須賀へ向かう」後刻になって保高も大湊に入港したとの事、武装解除として乗組員の3分の2はここで退艦。屋代艦内の屋代神社は久保木工長により本荘艦長の横浜の自宅に届けられた。 -- 2024-03-12 (火) 02:18:46
- 海防艦屋代 歴戦の足跡を偲んで 平成7年5月5日刊行 非売品 監修者 横田吉雄(屋代会会長・第二代航海長) 編集者 星喜平(電信員長) 発行者 屋代会事務局、高田多三朗(烹炊員) 寄稿者 手塚一郎(初代航海長・故人)、横田吉雄(第二代航海長)、池森勇次郎(軍医長)、富田岩芳(主計長)、東海林滋(航海士)、川渕公博(航海士)、菅野静紀(水測士)、山本視敍(砲術士)、高山政太郎(探照灯管制器員)、宇梶照夫(一番高角砲射手)、佐藤良吉(一番高角砲旋回手)、植松和雄(探信儀員)、吉村國典(聴音器員)、高田義兼(聴音器員)、輿石実(聴音器員)、星喜平(電信員長)、小野正喜(電信員)、小野寅三(信号員)、松谷明(電探員長)、宮田秀雄(電探員)、高田多三朗(烹炊員)、大津富士(機関科)、石原金一(機関科倉庫長)、坂入茂(機関科運転員)、 -- 2024-03-12 (火) 02:46:53
- 高雄の対空戦闘ののち、呉で修理を終えて門司へ向かう2月中旬、主計長の手腕により酒保物品が満載になっていて、倉庫も居住区も物品が押し込まれ、残りは甲板に山積みされていた。艦長からGM(重心と浮心の関係位置で決まる艦の安定性を示す数値)を航海長に問われたが、結局計算しなかったという。ビールを積みすぎて砲が回らないと砲術長が怒り、他の艦に「ビール要らないか」と分けてやるほどだった。主計長の富田中尉は戦艦伊勢で庶務主任をしていた経歴がある。乗組員は「食糧艦屋代」と称していたりした。 -- 2024-03-12 (火) 03:13:31
- 砲術長の小関勇次郎中尉は空母赤城の先任衛兵伍長の経歴があり、海軍体操は創始者の折り紙つきの達人。機関長付きの川島健吉郎少尉は穏やかな人でロン毛。山下艦長は食後に紅茶を飲む人で、ズボンの右ポケットにはウィスキーの小瓶が。 -- 2024-03-12 (火) 03:20:41
- 高雄対空戦の被害は、二発同時に投下されたらしく、一発は艦橋正面から直撃して爆発。もう一発は救助艇を砕いて海中に落下。直撃弾は艦橋の真正面に大穴を開けて爆発し、舵取装置を破壊して艦橋の床を抜け、下の艦長室を斜めに通って隣の海図室で止まっていた。その残骸は直径十センチ、長さ一メートルくらいの金属の円筒で、その長さ三分の一ほどのあたりに縦の亀裂があり、そこから捻れて転がっていた。後部甲板で至近弾の煽りを受けて海中に転落した乗組員の一人は戦闘後に他の海防艦で救助されていた。呉で入渠修理の際、九三式探信儀を修理したほか、三式探信儀が増設されて二基の併用が可能となった。黄海南部を対潜封鎖する作戦中、電探に反応したものを浮上潜水艦として高角砲を水平射したところ「タレ タレ ワレ ツシマ」と発光信号があり攻撃中止。「ワレ ヤシロ シツレイス」と返信。対馬艦長は呉から定海まで屋代に便乗してきて対馬に着任した人で、便乗中に屋代士官室で巡洋艦青葉に乗艦中の戦訓を話してくれていた人だった。・・・海防艦四十一号の撃沈のときの記事はあとで追記します -- 2024-03-12 (火) 03:41:58
- 貴重なお話ありがとう。だが、このコメ欄だといずれ流れてしまうし長文は他のコメも押し流してしまう。せっかくだから小ネタの方で編集して掲載してくれるとありがたいしお祖父さんも喜ぶと思うぞ。 -- 2024-03-12 (火) 07:01:38
- wikiの類の編集の仕方がわからないんだよね(笑)なお爺さんはすでに故人ですが、烹炊員で階級は不明だけどたぶん水兵、上原常雄(旧姓は細木)で大正13年生まれだから当時19歳くらいかな。戦友会の方々もご存命の方は少なかろうし、コメを目にされた皆さんの記憶に留めて頂ければ供養にもなろうと思います。 -- 2024-03-12 (火) 22:07:24
- 貴重なお話ありがとう。だが、このコメ欄だといずれ流れてしまうし長文は他のコメも押し流してしまう。せっかくだから小ネタの方で編集して掲載してくれるとありがたいしお祖父さんも喜ぶと思うぞ。 -- 2024-03-12 (火) 07:01:38
- 備忘録・追加つもりの逸話について。四十一号海防艦の撃沈される前日に屋代乗員が四十一号にて通信機器の修理をしてた話、食糧が減ってきた時に探信儀で魚群を探して爆雷訓練と称して一発投下し、カッターをおろして山のように魚を獲った話、艦内で戦死者を二名看取った話、赴任したての電探員がすぐに習熟できず、マストの見張部屋(鳩の巣と呼ぶ)に入れられた話、艦橋全滅後の操艦の様子、屋代の乗組員の共通認識であったジンクス・・・ -- 2024-03-12 (火) 23:13:12
- 屋代艦内に祀られた屋代神社は、件の本の記載により伊勢神宮からの分祠のようです。本荘艦長がクリスチャンだったという話は祖父から直接聞いていましたが、戦友会の「屋代会」の定期刊行物「屋代会だより第18号1993年7月」の記事に書いてありました。その記事によれば艦長職は艦内神社の祭祀主宰義務があり、過去に山本信次郎少将はクリスチャンゆえに艦内神社に親しめないため艦長職を経験しないまま少将になったとか。『終戦後の8月25日復員予定の細木常雄ニ工曹は艦長の特命により屋代神社を艦長の自宅宛に発送すべく、中部甲板において梱包作業に従事していた。同日中に作業は終わり彼は翌早朝、大湊駅始発の一番列車に乗車すべく内火艇に只1人復員して行った。(中略)本荘艦長はかくして艦内神社祭祀主宰の最終的な義務を果たしたわけである。屋代が戦利品として敵国に接収される前に屋代神社を焼却することなく自宅に送らせたのである。本荘艦長はクリスチャン(メソジスト)であった。艦長は幼少期からイギリス人牧師及びその家族と親交があり牧師の同年代の子供とよく遊んだそうである。(中略)敗戦後ほどなくしてフレッチャー中将率いるアメリカ第七艦隊が大湊に進駐することになった。艦長は鍵山信号長を従えて水先案内人として敵艦隊に出向く事になった・・・』艦長自宅の屋代神社がその後、事務局預かりになったか靖国へ持ち込まれたかは屋代会だより16号を参照のことと書いてありますが、私の祖父の遺品中に「屋代会だより」はこの1通だけです。 -- 2024-03-15 (金) 19:27:43
- 多くの記事で、桜島造船所について誤解があります。屋代会の記事では、大阪の桜島にあった藤永田造船所です。現在では跡地がUSJになっています。 -- 2024-03-15 (金) 19:42:27
- コメ欄多く占有してすみません、明日以降に小ネタのページに少しずつ移して行きます。コメ欄の表示が少し崩れる心配がありますが、がんばります -- 2024-03-15 (金) 21:05:56
- エモい -- 2024-04-12 (金) 02:58:25