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古鷹

Last-modified: 2017-08-07 (月) 13:41:33
No.052
古鷹と言います。重巡洋艦のいいところ、たくさん知ってもらえると嬉しいです。古鷹(ふるたか)古鷹型 1番艦 重巡洋艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久36火力30 / 54
装甲25 / 34雷装12 / 59
回避33 / 69対空16 / 59
搭載6対潜0
速力高速索敵10 / 39
射程10 / 49
最大消費量
燃料35弾薬50
搭載装備
220.3cm連装砲
27.7mm機銃
2未装備
装備不可
改造チャート
古鷹古鷹改(Lv25) → 古鷹改二(Lv65)
図鑑説明
重巡洋艦、古鷹です。
三川提督率いる第8艦隊の一員として、第一次ソロモン海戦では敵艦多数を撃破したんですよ!
これが、重巡なんです!

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:大坪由佳、イラストレーター:UGUME (クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

  • 古鷹型は小型・旧式の重巡洋艦であり、残念ながら戦闘能力の最大値では新型の重巡たちには及ばない。ただし燃費は良好なので資源消費を抑えたい場合に有用と言える。
    • 2013年10月16日アップデート以前は重巡の中どころか軽巡にも劣る能力だったが、同日アップデートで改善。夜戦補正と合わせれば軽巡には無い運用上の利点ができた。
    • 2014年1月15日アップデートにて改造後の火力上限が70に上昇。軽巡改の最大値(球磨改長良改名取改の69)を上回った。
    • 2014年4月23日アップデートで「弾着観測射撃」が実装。4つの武装スロットのお陰であまり火力を落とさずにを積むことが出来る重巡と抜群の相性の同システムのおかげで、改二で追い込みをかけつつあった軽巡とは一線を画する昼戦火力を比較的安定して叩き出せるようになった。やったね!!
    • 重巡はその本懐たる夜戦において、フラ戦を一撃で屠る火力を発揮出来る。 夜戦MAPでは試行回数がモノを言う為、性能と引き換えに燃費が悪化した高雄型・利根型より、古鷹型・青葉型の方が優位と言える場合もある。 敵艦のスペックを確認した上で判断しよう。
  • 本艦はクエスト「三川艦隊」を編成せよ!,「三川艦隊」出撃せよ!,新「三川艦隊」を編成せよ!,新「三川艦隊」出撃せよ!,「第六戦隊」を編成せよ!,「第六戦隊」出撃せよ!に含まれるため、クエストを消化するなら2-3をクリアできる程度に育成する必要がある。
    • また、2014年12月1日のアップデートで新任務「第六戦隊 南西海域へ出撃せよ!」、さらに2015年3月27日のアップデートで新任務「三川艦隊 を新編、突入準備せよ!」および「新編 三川艦隊 ソロモン方面へ!」が追加され、関連任務総数9(編成4、出撃5)ともはや他の追従を許さない領域に達している。さすがにもうこれで打ち止めだと思いたいが、ソロモンの狼に改二がまだ来ていない為サボ島沖メンバーでの任務が来ないと言い切れないのが恐ろしいところである・・・
      • 前者は出撃先が沖ノ島沖(2-5)と前述の3つのクエストを上回る難易度。後者に至っては夜戦型編成半固定(三川艦隊7隻から鳥海改二を含む選択6隻)での南方海域前面でのボスS勝利という過去最高クラスの難易度となっている。
        後者は古鷹の出撃は強制ではなく支援艦隊の支援も可能なものの、高難易度の昼戦マップかつ制空権喪失下でのボス艦隊の確実な殲滅が求められる。そんな不利な状況下では三川艦隊No.2の古鷹改二の火力は捨てられたものではない。是非とも彼女を改二まで育て上げ、暁の水平線に勝利を刻もう。
  • ドロップ場所は1-3ボスを皮切りに1-4および2-x全般。3-xではドロップしないが、4-xの方では全般的にドロップが見られる。
    • 道中ドロップのみの海域
      • 6-2
    • ボスドロップのみの海域
      • 1-3、1-5、2-3
    • 道中でもドロップする海域
      • 1-4、2-1、2-2、4-2、4-3、4-4、5-1、5-2、5-4、6-1
    • このように西方・南方の海域で広くドロップする。古鷹が来ないと嘆いてる提督は先に海域攻略を進め、4-3での潜水艦狩り、5-2・5-4でのレア艦娘堀りを可能にしておくと良いだろう。
  • 運営Twitterで「12月初旬に起工した初期型重巡姉妹の一番艦、そのさらなる改装を今冬予定」と予告されたのち*1、2014年12月1日に多くの提督が待ち焦がれたであろう古鷹改二が、遂に実装された。改二への改装可能Lvは65、改装設計図の必要なし。

小ネタ Edit

戦歴
  • 列強国の巡洋艦(仮想敵として目標にされていたのはアメリカのオマハ級)に対抗するため、
    夕張のノウハウを活かし小型の船体に重火力を詰め込んで開発されたのが古鷹型重巡洋艦加古型一等巡洋艦である。
『すべての重巡の姉』、古鷹誕生の経緯。


  • 排水量が原設計の10%増しで完成したが、別にミスがあったわけではなく、今までにない革新的な設計だったため、施工側の造船関係者が現場で勝手に設計変更しちゃったのが原因。
    ここまで排水量が変わると悪影響がモロに出るのだが、別にそんなことはなかった。基礎設計の時点で相当優秀だったらしい。
    • ただし重量増加による乾舷の低下だけは避けようがなく、下記のような浸水被害だけでなく水線上に出る装甲帯の高さが設計より2mも低くなってしまい直接的ではないとはいえ防御力まで悪化していた。
      一応近代化改修の際にバルジが取り付けられたものの、改修による重量増加に打ち消され最期までこの欠点が解消されることはなかった。
  • 主砲にはオマハ級を圧倒する20cm砲を単装で6基搭載。艦の前後にピラミッド状に配置され、片舷6射線を実現。この規模の艦艇としては従来の常識を超える超火力に列強各国は目を剥いた。その命中精度も極めて高く、当時の巡洋艦の散布界が15,000メートルで遠近200メートル左右40メートルほどのところ彼女は射撃公試において遠近100メートル左右13メートルという極めて優れた成績を叩き出したのである。*9
    • そう、新造時の古鷹(と加古)は単装砲艦だったのである。
      小柄な単装砲と追加装備がまだ無くすっきりした艦上構造が相俟って、この時期の古鷹は大分スマートな印象を受ける(※感想には個人差があります)。
    • しかし、小さな体に大きな砲を載せればしわ寄せはどこかに来るのである。この20cm単装砲、弾薬の運搬装填の多くを人力に頼っていた。揚弾行程も段階が多く、現場からは不満の声が続出したのである。
      揚弾機構はともかく装填や運搬まで機械化すると砲塔や揚弾部が大きく重くなり艦がアンバランスになるので、平賀先生ばっさり切り捨てたのである*10
      よって、予め揚げておいた弾を撃ちつくしてしまうと、発射速度は大幅に低下。20cm砲弾(約100kg)は日本海軍のド根性をもってしても重いのである*11*12
    • 彼女が搭載した20cm砲から駐退機が圧搾空気式になっている。それ以前は水圧かバネを使っていたが、これを機に戦艦も含めて圧搾空気式への移行がなされている。
    • 計画時から水上偵察機の搭載が盛り込まれていたのだが、なんと船体だけが先行して具体的な計画が無いまま工事が進んだという何とも締まらない話があったりする。一応在米大使館から空気式カタパルトの図面は入手していたものの「カタパルトなんて自前で開発できる」と社内開発を進めていた火薬式のものが初回試験で爆発し、実用的な水上機射出施設が手元にないという状況に陥ってしまったのである。
      そこで海軍は敗戦により不況真っ只中であったドイツのハインケル社に水上機運用設備と併せて新型水偵の発注を行い、4番砲塔上にそれを搭載することとした。これ自体は扱いが難しく、また火薬式のカタパルトが改めて開発された為短命に終わったものの、海軍とドイツの結びつきの始まりともなったのである。
    • ちなみに初代艦長/艤装員長は塩沢幸一大佐(当時)、有名な「養命酒」の開祖の一族である塩沢氏の直系にして山本五十六元帥の同期である。当然というか同期生からつけられた渾名は『養命酒』。製造元が会社化されたのは古鷹の起工後半年ほど後であり、養命酒が海外に広まったきっかけは愛飲者の一人であったかの山本大佐(当時)がロンドン海軍軍縮会議へ同行した際に持参したのが元とも言われている。同期の家元の宣伝でもしたのだろうか……。
  • 帝国海軍の伝統に違わず、居住性は完全にスルーされた。友軍艦艇の行来で飛沫が飛び込むので常に舷窓を閉めていたという、わりとどうしようもないエピソードが存在する。
    そんな残念な船体構造を揶揄され、加古ともども水族館*13というありがたくないニックネームを授かった。
    ソロモンの狼という通り名とはえらい違いだ。
    なおこんな状態でも皇族方からは人気だったようで、青葉の進水式では高松宮宣仁親王の御召艦として使用され、昭和天皇に至っては加古かどちらかを御召艦にして八丈島に行幸しようとしたこともあった。後者は未遂に終わったが、その代わり改装後に加古ともども供奉艦(御召艦の予備兼護衛艦)の栄誉を賜ることになっている。
    • ちなみにこのニックネームのネタは公式四コマ単行本二巻のオマケ四コマで「部屋に観賞魚とそれが入った水槽がたくさん有って水族館みたい」と言う形で再現されており、44話では雨が降って窓を叩く音がすると落ち着く(波飛沫が舷窓を叩く事のオマージュ)という部分まで再現されてしまった。
  • ただそれでも「5,500t型に比べればずっとマシ*14」とも思われていたようである。*15
    元海軍造船大尉で艦艇研究家の福井静夫氏は「5,500t型から古鷹型に移乗してみれば、古鷹型の居住性は天国に思えるに違いない」とも書いている。
    • ただし浸水を防ぐために四六時中舷窓を閉めていたせいで通風性が台無しで夏は(特に缶室上などは)酷い暑さだったらしく、加古や青葉衣笠共々電動送風機を貸与されて難を凌いだりと四苦八苦していたようである。
    • なお、カウンターパートとされたオマハ級の居住性はそりゃもう酷いものである。
    • さらに言えば、古鷹型のカウンターパートであるペンサコラ級も酷いうえに、古鷹型・青葉型より1門でも多く積もうとした結果の3連装の第二砲塔で…… 90度〜270度の範囲で射撃すると艦橋が吹っ飛ぶ。
      その次級のノーザンプトン級でも後方の居住区画に「水族館」が存在していた。
  • 昭和11年からの近代化改修で青葉衣笠に準じた仕様にされたのだが、この改修が大規模この上ないものだった。何せ重巡の始祖でありながら軽巡然とした様式で就役した為、主力艦として急発展した後輩たちに追い付くために手直ししなければならない部位が多々あったのである。
    • まず主砲を20.3cm連装砲に変更したのだが、バーベット径から弾薬庫様式から何から何まで違う為ほぼ造り直し。弾薬庫の位置の変更に始まり隣接していた固定型魚雷発射管も取り払い青葉で問題となった第三砲塔付近の甲板の強化まで行うという徹底した改装が行われた。さらに揚薬様式も青葉から変更され、青葉では数珠繋ぎで弾薬庫から迫り上げられていた装薬を使用量分纏めて一気に揚薬機で砲塔に運ぶという様式に改められた*16
    • 改装は機関部にも及び、船体上部を切り開いてボイラーは一度全て陸揚げされ石炭混燃の2基を撤去し残りの10基も空気余熱器取り付けの改造を行ったうえでこれまた区画改正された機関室に配置しなおすという徹底ぶりであった(タービンは手を加えられていない)。これに伴い煙突・煙路も一から作り直され、巨大な1番煙突と駆逐艦並みに小さな2番煙突という特徴ある方式に改正された。*17
    • その他の装備もほぼ全てが変更され、魚雷の酸素魚雷化はもちろんのこと高角砲は旧式の8cmから12cmに変更された上九一式高射装置との連動となり*18、主砲射撃盤も最新装備の九四式に。艦橋も密閉化され狭いながらも防空指揮所も設置されるなど初期の重巡とは思えないほどの強力な戦闘力を持った艦として生まれ変わったのである。外観の変化では最古参戦艦三段式甲板等には及ばないが*19彼女もかなり無茶な改装をしていたのである。
    • 大阪鉄工桜島造船所での改装中、同所で建造されていた駆潜艇の試運転を古鷹の妖精さんが手伝っている。時期を考えれば第五三号駆潜艇と第四号駆潜艇の可能性が高い。
      後に続く古鷹の面倒見の良さは、この頃から発揮されていた。あんよがじょうず。でも就役したばかりなのに主錨を無くしたりドジっ娘な面もあるのはご愛嬌。
  • 大改装工事を受ける前、日本重巡のなかで最も艦齢の古い古鷹と加古を練習巡洋艦に改造する案もあった。
    • この計画は具体的な形で進められたが、なにしろ前述のとおり元が居住性ガン無視のギリギリ設計である。
      航海に不慣れな士官候補生たちの疲労もさることながら、主砲塔を2〜3基撤去して候補生用施設を設置したとしても収容能力不足であった。
      しかも、有事には直ちに主砲を復旧して重巡に返り咲くという欲張った考えのため、練習設備には多くの制限が課せられることもあり、
      結局この改造計画は見送られ、専門の練習巡洋艦として型が建造されることになった。*20
  • 自己紹介にある第一次ソロモン海戦では、第八艦隊の中核戦力として米英豪の連合艦隊をどつき回して南方部隊所属の重巡4隻に引導を渡し、被害報告として挙げられるような損傷も受けずに乗り切っている。
    この時特に悲惨だったのが増援として駆けつけた連合国艦隊の北方部隊で、艦隊旗艦鳥海率いる本隊と交戦中に、炎上中の敵艦目指して突撃してきた*21古鷹率いる分艦隊の強襲を喰らい、両舷方向からフルボッコにされて文字通りの壊滅状態になってしまった。
    • 戦後に太平洋戦史を纏めたS.E.モリソン曰く、『これこそがアメリカ海軍の被った最悪の敗北のひとつである』のだとか。そりゃガダルカナルの美酒がマッハで敗北の苦杯に変わりゃあねぇ。
    • 「輸送船を沈めなかった」と批判されることの多い同海戦であるが、事前偵察及び玉砕した守備隊からの報告では「空母1に重巡洋艦4含む20隻以上の艦隊」「戦艦1隻、巡洋艦3隻、駆逐艦15隻」との報告を受けており、実際には空母は1隻どころか機動艦隊としてエンタープライズ、サラトガ、ワスプの3空母が詰めていたことを考えると(海戦時には疲労により一時的に後退していた*22*23)空母による追撃を警戒していた三川司令長官の判断も頷けるだろうが、作戦の真意を理解していなかった三川中将は、戦争の推移的に見てガダルカナルの敵上陸がどのような結果を招くかを熟知していた山本五十六大将から激怒されることになる。
  • 片目がオッドアイで輝いているのは史実(サボ島沖海戦)での最期から。
    五藤少将の戦隊司令部が敵艦を友軍艦と誤認し、集中砲火を浴びて大破、先制攻撃の混乱もあり事前の取り決めから外れ右旋回しながら同航戦状態で炎上する青葉を救援するため、
    青葉が送っていた信号と同じ物を発しながら衣笠初雪とともに事前の取り決め通り左旋回を行っていたのを急遽変更、単身で探照灯を照射しながら敵艦隊の射線上に割り込んだ。これが彼女の運命を決定してしまう。
    • 「探照灯」とは青葉生存者の目撃証言より。その探照灯も敵の砲弾によって破壊されてしまう。中破で左目を閉じるのはそのためかと思われる。
      • 「信号」の情報元が分かる方がいれば、コメント等で指摘して貰えると助かります。
    • 敵艦の砲撃や魚雷の引火による激しい火災に身を染めながらも、青葉を撤退完了させるまで盾の役割を担った。
      短時間の戦闘であり次々と砲塔が使用不能になっていく中であったがその状況下で主砲30発以上を猛射、敵の軽巡「ボイシ」に弾薬庫への直撃*24含む砲弾4発を叩き込むなど猛然と反撃するが、90発にも及ぶ直撃を受けた船体は満身創痍もいいところであり、日付変更直後の0時28分に沈没。旗艦の身代わりとなっての壮絶な最後であった。*25
      • 身を挺して旗艦を庇ったにもかかわらず、宇垣纏中将(聯合艦隊参謀長)曰く「まともに戦ったのは衣笠だけじゃないか
        古鷹さんが吶喊しなかったら旗艦撃沈も大いにありえたんですがそれは……。
        ただし、後日生還した古鷹の艦長荒木伝大佐から実際に話を聞いた宇垣中将は「其の言う処至当(極めて当然)なり」という言葉を残している。
        このとき荒木艦長が述べたのは、「夜戦が失敗したのは事前の偵察が不充分だったから」等ということで、五藤司令官らの責任には一切言及しなかったようである。
        「事前の偵察」とは恐らく同日朝に受け取った味方哨戒機の報告と思われる。それによれば「輸送船・魚雷艇以外の水上艦艇は存在しない」はずだったのだ。
      • 乗員のうち518名は初雪に救助された。その中には修理のため内地に戻る青葉に移乗し、その運航に関わった乗員もいた。
        そして修理中のごく短期間ではあるが、荒木大佐が青葉艦長を務めた(筑摩艦長と兼任)。
      • また、一部の生存者は米軍に救助されたのち、捕虜収容所でフェザーストン事件に遭遇した。詳細はリンク先参照。
      • その他、搭載していた零式水上偵察機が古鷹戦没の翌日のヘンダーソン基地への艦砲射撃の際に衣笠搭載機とともに照明弾を投下し、攻撃目標を示している。これが、古鷹の名が出る最後の作戦行動となった。
      • 古鷹が沈没した時の通信士はその後雪風に配属され、サボ島沖海戦から9ヶ月後のコロンバンガラ島沖海戦で新開発の逆探を操作。米軍の奇襲攻撃を見破って日本海軍の逆転勝利に貢献している。
        この通信士は古鷹で味わった苦い敗北から、敵のレーダー電波を探知する逆探に期待していたと言う*26
        古鷹亡き後も彼女の目は仲間を守り続けた、と考えるのは感傷だろうか。
    • 彼女たちの設計者である平賀譲造船中将は、加古と古鷹の相次ぐ戦没を聞き、我が子を失ったかのように嘆き悲しんだという。
      • 平賀氏はその後体調を崩し、翌年2月17日に愛娘達を追うように亡くなっている。
  • 生涯戦果は重巡洋艦4隻撃沈と軽巡洋艦1隻大破(全て共同、うち重巡クインシーに魚雷命中し致命打としている)。数だけでも世界トップレベルの戦果であるが、彼女の場合、開戦から一年でこの記録を叩き出している上相手は全て排水量・火力ともに格上であり、準姉妹艦含め非常に優秀な艦であったことをその戦果を以って証明している。
  • なお彼女はアイアンボトム・サウンドに眠る艦の中ではかなり北西に寄った位置に眠っており、一般的に想像される同海峡*27からは逸脱している。だが結果として海路で北西、つまり日本海軍艦艇が通ったルートでこの地に足を踏み入れる場合、鉄底海峡を切り開いた最初の8隻の1隻である彼女が最初に迎えるというある意味で彼女らしい位置関係となっている*28
    海の円卓を拓き、その円卓を駆け抜け、その円卓に散った時代の先駆者は、今もその円卓で戦った双方の数多の武勲艦たちと共に眠っている。*29
  • 艦名の由来となった古鷹山は広島県・江田島の海軍兵学校を見下ろすような位置にあり、海軍の聖地のような山。
    兵学校の行事として古鷹山登山があったほか、休日に自主的に登った者も多かった。在学中に100回以上登ったという広瀬中佐*30をはじめ、多くの海軍士官の心身を鍛えた。
    • 現在も同地には海上自衛隊の術科学校及び幹部候補生学校があるが、古鷹山登山は伝統として残っている。
  • 尚、江田島の酒造場では古鷹の名を冠したお酒を造っている。
    日本全国御当地の山や河川の名前はいくつもの銘酒に使われているのである。
  • ちなみに、呉〜江田島(小用港)を結ぶフェリーの一隻が、その名も「古鷹」である。呉や江田島には海軍から現在に至るまでの名跡が多く存在するので、この地に聖地巡礼に訪れた際は使ってみるのも良いだろう。
    その昔、榛名や青葉が力尽きた場所を臨む穏やかな海で、今日も地域の足として頑張り続ける。
    • この他古鷹の名を継いだ艦は、海自黎明期に海上保安庁の航路啓開本部から引き渡された掃海艇「ふるたか(MS-04)」が存在する。
      同艇は元をたどれば日本海軍の第241号駆潜特務艇であり、磁気機雷に反応しない木造艇であったため、掃海艇に転用されたのである。
古鷹の妹たちの行方
自由の国の妹たち
じゃあイギリスは?
フフッ、さすがライミーは体を張った Witz が得意ね!! 我が国のアドミラル・ヒッパー級の洗練された姿を見なさい!!
遅れて来た赤い妹と革新者になり損ねたお寝坊さん
  • 古鷹に直接関係のあるものではないが、日露戦争時に編成された初代第六戦隊(艦これで有名な第六戦隊は六代目にあたる)に所属していた防護巡洋艦「和泉」*46は世界初の防護巡洋艦として有名である。
    • 防護巡洋艦とは機関部のみに装甲を施し石炭庫を舷側防御の代替とした巡洋艦の一形態であり、軽巡洋艦の前段階に当たる。ロンドン条約以前の軽巡洋艦を重巡洋艦の前世代と定義するならば重巡の二世代前の巡洋艦であり、言うなれば和泉は古鷹のお婆ちゃんのようなものである。
    • 六代目と同じく旧式巡洋艦によって編成されていた初代であったが日本海海戦においてはバルチック艦隊との7時間に渡る接触と連合艦隊への通報*47という重要な役目を果たし、同海戦の勝利に重要な貢献を果たしている。
      凱旋編成では第六駆逐隊(こちらも初代。初代神風型の春風、初雪時雨初春の4隻)を指揮下に加えている。何でこうも6が多いんだ…
  • 進水式を誕生日とするならば、古鷹の誕生花はカランコエ
    花言葉は「幸福を告げる」「あなたを守る」「おおらかな心」「たくさんの小さな思い出」
    • その他にラナンキュラス(「とても魅力的」「晴れやかな魅力」「光輝を放つ」「美しい人格」)、ユッカ(「すべてを持つ」「勇壮」)、バラ(「愛」「美」、さらに色や本数によって膨大な数)と彼女らしいものが並ぶ

この艦娘についてのコメント Edit

過去ログ

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • あかん、似合いすぎやろこれは -- 2017-07-31 (月) 20:31:49
  • 浴衣mode見た。…が…思わず「誰!?」と叫んでしまった俺はたぶん悪くない -- 2017-07-31 (月) 21:06:32
    • ちょっと速吸と並べてみようかな -- 2017-07-31 (月) 21:09:05
  • いや、誰だよ -- 2017-07-31 (月) 21:08:34
  • えっちですねぇ・・・ -- 2017-07-31 (月) 21:27:36
  • さーてメンテも終わったしデイリー南西すっかー(ポロッ 誰だお前!? -- 2017-07-31 (月) 21:43:23
  • うれし泣きしたの何年振りやろ -- 2017-07-31 (月) 22:30:34
  • 浴衣姿をドロップで最初見たとき「新手の駆逐艦か!?」と一瞬思った。なんか幼女化してないか・・・ -- 2017-08-01 (火) 00:32:55
    • 改二のページでも、とある木に繋げる形で言ったけれど、数年前の、つまり艦これが始まる前の古鷹さんかも知れない。木主さんは、若い古鷹さんは好みではない? -- 2017-08-01 (火) 05:37:45
    • 同感です。一瞬新艦娘が来たかと思った。 -- 2017-08-01 (火) 21:59:03
  • こんな娘といっしょに縁日や花火大会に行きたい人生だった -- 2017-08-01 (火) 09:24:56
  • 古鷹型はBカップではなかったのか? なんか増量されたように見える中破絵。 -- 2017-08-01 (火) 12:27:20
    • 艦娘も性徴してるんだよ。駆逐艦の水着グラがいい例。 -- 2017-08-01 (火) 23:36:01
      • なにぃ? なら同じ船体を使用しているRJにもワンチャンあるか!? -- 2017-08-03 (木) 03:09:48
    • 古鷹さんはいてない -- 2017-08-02 (水) 07:39:40
  • 古鷹の浴衣グラ、髪飾りの花は何なのか調べたけど花には疎くて分からなかった。何の花だろう? -- 2017-08-02 (水) 20:57:28
  • 今日来ました!ペーペー25の提督の元に可愛い浴衣姿で。1−4高レベル娘で道中で拾ったんだよ -- 2017-08-04 (金) 13:01:28
  • 全然ドロップしないなー。1-4と2-2と4-2、どれがいいものやら -- 2017-08-04 (金) 20:08:44
    • 2-2で来ました。かわええ。 -- 2017-08-04 (金) 22:05:41
  • 重巡洋艦のイイところ、教えてほしいなぁ…教えてくれるんでしょう…? ねぇ…(じりじりと浴衣古鷹との距離を詰めながら -- 2017-08-05 (土) 21:55:22
  • 【一応】「このページから全巡洋艦のページに飛べる」ようにと間違った方向に努力している小ネタですが、ザラとポーラへのリンクが抜け落ちているので適当に追加を検討中。一応余計な文章が増えないようにする予定です -- 2017-08-07 (月) 13:29:49
  • 浴衣はだけさせて帰ってくるなんてそのまま夜戦突入 -- 2017-08-15 (火) 23:21:13
    • 憲兵「出来ると思ったか? 残念、憲兵でしたー! はい、確保」 -- 2017-08-16 (水) 08:42:23
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 古鷹 古鷹改二

古鷹の改二をどんな気持ちで、どれだけ待っていましたか?  Edit

  • 荒れる原因になるような選択肢は削除されることがあります。ご注意ください。
    選択肢 得票数 得票率 投票
    「提督、慌てないで」と言われたので、まったりと 680 26.1%
    とんでもねぇ、待ってたんだ 448 17.2%
    気に留めてなかったけど、改二で掌返しました(土下座) 252 9.7%
    いつか天使が光臨してくれると信じて。光臨したのは大天使だった 120 4.6%
    1年以上 106 4.1%
    縁側で古鷹とお茶飲みながら 106 4.1%
    この気持ち、まさしく愛だ!! 89 3.4%
    一目見たその時から 71 2.7%
    縁側で古鷹と綾鷹飲みながら 49 1.9%
    特に待っていなかったがあまりにも変わりように 46 1.8%
    古鷹が天使だと気づいた時から 41 1.6%
    1億と2千年前から 40 1.5%
    古鷹の史実最後の話を知ってから 40 1.5%
    艦これを続けていれば会えると信じて 37 1.4%
    待ちに待った時が来たのだ。ソロモンよ!私は帰ってきた! 32 1.2%
    うちの古鷹知りませんか? 28 1.1%
    既に諦めてて、せめて追加ボイスだけでもと願ってた 26 1.0%
    例え改二が来なくても使い続けていた 25 1.0%
    左目が疼き始めた時から 22 0.8%
    8千年過ぎた頃からもっと恋しくなって 19 0.7%
    僕の(ゲットじた重巡の)初めての艦(ひと)なんです。 18 0.7%
    まあ、そうなるな 17 0.7%
    木曽の雷巡化を見てから期待してた 15 0.6%
    着任したら実装されてた 13 0.5%
    こんなにも長く時間がかかってしまった… 12 0.5%
    選ばれたのは、古鷹です 12 0.5%
    必要ない 12 0.5%
    スケベティック 11 0.4%
    結婚してください 11 0.4%
    クエ消化の為 10 0.4%
    初めての建造でお迎えしてから 10 0.4%
    衣笠さんが改弐になたときから 9 0.3%
    古鷹山を仰ぎつつ 9 0.3%
    生まれる前から 9 0.3%
    まあ、そうなるな(黒インナー仲間的な意味で) 8 0.3%
    左目の光を浴びたときから・・・イエスマイロード 8 0.3%
    NKT... 7 0.3%
    なんという僥倖!生き恥を晒した甲斐があったというもの! 7 0.3%
    選ばれたのは古鷹でした 7 0.3%
    全世界の神と仏に祈ってました 7 0.3%
    待ってない 7 0.3%
    (性格が)天使だなって思ってたら(容姿も)天使になって舞い降りた 6 0.2%
    8千年過ぎたころからもっと恋しくなった 1億と2千年あとも 6 0.2%
    いつか第六戦隊任務やるんだ…そしてずっと母港の片隅にいた 6 0.2%
    嫁だ!!!!!!!!!!!!! 6 0.2%
    強靭!無敵!最強! 6 0.2%
    古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹古鷹 6 0.2%
    2013年の4月から 5 0.2%
    もっとだ!!もっと!!もっと輝けぇーーーーーーー!!! 5 0.2%
    ロリに目覚めた時から 5 0.2%
    FA古鷹ZZの画像を見たときから 4 0.2%
    フルタカエル降臨は聖書にも書き示されてるから 4 0.2%
    逆にもっと待ちたかった 4 0.2%
    生命が始まった時すでに古鷹改二は確定していた 4 0.2%
    東京が死んで僕が生まれた時から 4 0.2%
    南瓜とるてさんの古鷹を見てから 4 0.2%
    放置ボイスがアホの子っぽくて可愛いと感じた時から 4 0.2%
    一億年と二千年前からあっいっしってっる〜ぅうううう! 3 0.1%
    旗艦を庇うシステムが導入されてから 3 0.1%
    禁断の古鷹実を齧った時から 3 0.1%
    古鷹はデマゴーグに負けないと信じて 3 0.1%
    洗練されたその黒インナーをもっと愛でたい気持ちで、1年間も 3 0.1%
    ★ゲッタン★ 2 0.1%
    4コマの探照灯ペカーを見た時から、常時ワクテカしつつ 2 0.1%
    この世が始まったときから 2 0.1%
    これが重巡洋艦なんですよ 2 0.1%
    愛さえあれば時間なんて関係ない 2 0.1%
    悪く無さそうだし探しにいこうか 2 0.1%
    古鷹さんかわいいはコモンセンスだよね 2 0.1%
    古鷹と数多の戦場を駆け巡りながらその時を待っていた 2 0.1%
    古鷹を知ったその日から僕の地獄に音楽は絶えない 2 0.1%
    振り返れば古鷹がいた 1 0.0%
    その他
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過去のアンケート




*1 重巡一番艦の起工日は古鷹12月5日、青葉2月4日、高雄4月28日。
*2 キャンベラ(HMAS Canberra、D33)
*3 クインシー(USS Quincy、CA-39)、アストリア(USS Astoria、CA-34)、ヴィンセンス(USS Vincennes、CA-44)
*4 S-44(USS S-44、SS-155)。
*5 一応、ワシントン条約の後に条約いっぱいの巡洋艦を計画してはいたのだが、1番艦「ケント」の起工は1924年であり、少なくとも時系列的には加古型の通告を受けてから起工していることになる。
*6 当時の日本海軍では一等巡洋艦や二等巡洋艦の区別は排水量で行われていた。
*7 ホーキンス級の想定された敵に対抗するため大口径砲を搭載するという発想は、オマハ級に対抗するため大口径砲を積んだ古鷹型と似た部分もある。ホーキンス級の性能は古鷹型よりも大型なこともありそこまで劣る性能ではなかったという主張もあるが、プレ・ドレッドノートスタイルのホーキンス級とドレッドノートスタイルの古鷹型を比べてこの評価は「5,500トン型軽巡と阿賀野型では、実は両者の戦闘力は同等」と言ってるようなもの(川内型の主砲は7門、阿賀野型の主砲は6門)で適当ではない(ここで言うドレッドノートスタイルの意味が主砲の単一口径や主砲を中心線上に配置したという意味であれば、ホーキンス級もドレッドノートスタイルと言えるかもしれない)。竣工時の比較ではホーキンス級の片舷指向門数は6門と古鷹型と同じであり、装甲厚は古鷹型とほぼ同等。ただ、主砲の砲弾重量で劣るので火力では古鷹型に及ばないとの意見もある。
*8 ロンドン条約以後の米海軍においてCAは重巡洋艦を示すものであるが、ロンドン軍縮条約以前の米海軍では第一次大戦後に艦種記号改正がされた際に装甲巡洋艦を示すものとされていた。6インチ砲搭載の防護巡洋艦(カテゴリーC)として建造されたセントルイス級が装甲巡洋艦(1920年カテゴリーCAに変更)にカテゴライズされた理由は不明であるが、他の艦のカテゴリーCL(軽巡洋艦)などへの統合に伴う書類上の処置と、ワシントン条約での日本の反発を和らげる目的があったと思われるとの推測があるが定かではない(セントルイス級は建造時で、定格時の排水量9,700トンで、1922年のワシントン条約における「巡洋艦」カテゴリのボーダーライン上にあった。ちなみに日本も似たようなことはやっており、軍縮条約体制下では旧式の装甲巡洋艦を雑役艦である「海防艦」に分類していたが、1942年の「海防艦」の定義変更に伴い「一等巡洋艦」に変更している。)。ロンドン軍縮条約締結時には退役していたがこれは米海軍における「退役」(所謂モスボール状態)であり日英の基準と異なったため(日英では退役とはすなわち海軍籍を離れることを言う)、ロンドン軍縮条約にはセントルイス級3隻が米海軍の保有枠に含まれている。セントルイス級のミルウォーキーは事故でワシントン条約前に除籍されており、ロンドン軍縮条約時の保有枠に含まれていたかについては不明な部分がある。
*9 散布界は狭ければよいという訳ではないが、正確な照準で射撃した場合の加害確率は向上する。逆に散布界が広い場合照準誤差が大きかったり射撃後に目標が転針しても命中を得られる可能性が出る他、対飛行場などの対地射撃時には優位に働くこともある。
*10 単に20cm連装砲が未完成だったという説あり。
*11 15.2cm砲弾でも苦労したのに20cm砲弾とか無理ですよ先生!当然現場には不評で、後の大改装の際に20.3cm連装砲に換装された。
*12 一応砲弾を砲塔に上げるのは機力だったものの、装填が人力メインではあまり意味がない。装填だけにしても、屋外ならともかく狭い室内では無理ゲーである。
*13 上記のように乾舷が低く、ちょっとした波でも舷窓を通して海中がよく見えるから。
*14 下級士官の憩いの場である士官次室もスクリューシャフトの振動のせいで騒音・振動地獄だった。そりゃ古鷹型がマシに見える。
*15 ちなみにこれが改善されたのは夕張から。
*16 これは省力化よりも装薬の連鎖誘爆で弾薬庫にまで被害が及ぶのを防ぐ意味合いのほうが強い。後に青葉も同様の様式に改められている。
*17 ただし機関部の中央隔壁は撤去できなかった。これは船体強度上の問題もあるが青葉の時点で船体重心の危険さが限界に近いレベルであり、バルジ等も考慮してもこれ以上船体が軽量化するのは危険だったというどうしようもない事情による部分が大きい。そしてこの隔壁が彼女の命を奪う切っ掛けにもなってしまった。
*18 ちなみに青葉と衣笠は九四式高射装置
*19 三段式甲板はともかく金剛型は主砲配置が換わったわけでもなく、それに比べたら古鷹加古は素人目にだって別モンだろう……。
*20 福井静夫著『日本巡洋艦物語』より。
*21 この時は夜戦であり、重巡『アストリア』は鳥海麾下分艦隊の砲撃を受け絶賛炎上中だった。撃沈フラグである。
*22 ただしこの後退時、米空母の搭載機の損害率は22%を超えていた。指揮官は「アメリカ版原忠一」ことフランク・ジャック・フレッチャーで、ソロモン支援への再開に消極的だったとされている。これには日本の基地航空隊の戦力を警戒したことやニミッツから空母の喪失を極力さけてほしいと要請されていたことが関係しているとされる。その後第二次ソロモン海戦で龍驤の生死をかけた一発芸に一杯喰わされた彼は最前線から遠ざけられ、ハルゼー・スプルーアンスの体制にかわっている。手探り状態の空母同士の戦闘で当時のフレッチャー少将は最も空母戦の経験のある指揮官の一人であった。フレッチャーが更迭された理由として消極的な指揮が要因とされるが、一説にはキング合衆国艦隊司令長官との間に不和があったのが原因の一つとされている。ニミッツ太平洋艦隊司令長官はフレッチャーを前線に戻すように要請したが実現しなかった。
*23 さらに付け加えるならワスプにとっては死への片道切符しか用意されていなかった
*24 火災も併発しあと一歩で弾薬庫爆発、場合によっては撃沈まで持ち込むところであったが、破孔からの浸水で消火されてしまい果たすことはできなかった。
*25 これでも早く沈んだと言われている。平賀設計の特徴である缶室の中央隔壁のため片舷への集中浸水に弱いという欠点がもろに出た結果となった。
*26 この通信士はコロンバンガラ島沖海戦の働きにより瑞鶴の電探指揮官に栄転。その後も戦争を生き延び終戦を迎えている。
*27 サボ島、フロリダ島、ガダルカナル島の3つの島に囲まれた地域。アイアンボトム・サウンドに眠る艦艇の八割以上が集中している。
*28 ちなみにその数キロ東には霧島が眠る、もしくは鎮座している。
*29 ただし肝心の彼女自身の船体は見つかっていない。海域は水深900m近く、仮に見つかっても直接会いにいくのは非常に難しいであろう。
*30 日露戦争時の旅順港閉塞作戦の指揮官。同作戦で戦死し、日本海軍の軍神第一号となった。
*31 実際巡洋戦艦の大元は日本重巡と同じく偵察巡洋艦であり、進化の果てに同じものが待っているのは至極当然であったといえる。
*32 従前、米軍は最上型が重巡の船体として建造されていたことを知らなかったとされていたが、近年ブルックリン級も8in Mark.9連装砲に換装する案があったという説も流れている。
*33 阿賀野型が回帰したように見えるのは水雷戦隊旗艦を務める5,500トン型の更新が予定されていたことや予算の関係もある。次型の改阿賀野型では大型化している
*34 アメリカ巡洋艦はブルックリン級以降魚雷を廃止していたことも大きい。この時期のアメリカ巡洋艦は砲力を重視していた。水雷戦隊の旗艦として建造されたアトランタ級は魚雷を装備していた。これらの巡洋艦は数次の建艦計画で建造が承認されており、不経済だから打ち切られたというよりも必要数が揃ったためとする説も存在する。
*35 南米三国に売却された艦は長く三国海軍の象徴として君臨し、長い艦では1990年代まで現役にあった
*36 こんごう(III)型の原型とされる。
*37 もっとも極東の某国は20,000トン超・全通飛行甲板付の「駆逐艦」を建造しているが。
*38 機械室を吹き飛ばされて航行不能になりおまけに漏れ出た油に引火し火達磨になってしまい、撤退のために青葉よろしく島の一角にカモフラージュしながら修理する有様であった。アメリカ版ソロモンの狼である。
*39 というか、“アレ”である……。
*40 ちなみに彼女はサボ島沖夜戦で古鷹と火砲を交えている。
*41 第二次大戦中には1万6500トンの重巡洋艦の建造が計画されるが、最終的には中止になった。
*42 実際にシュペー追撃戦など対ドイツ海軍の戦いではその性格が遺憾なく発揮されている
*43 巡洋戦艦の原語はbattlecruiserであり、厳密には戦闘巡洋艦が正しい。なんで戦艦に変換されたかはこの紅茶戦艦のインパクトのせいであろう。
*44 ブリュッヒャーは北欧方面侵攻作戦の最中の1940年4月9日、ノルウェー軍の地上要塞からの砲雷撃であえなく撃沈。4番艦ザイドリッツは空母改装計画もあったが未完成のまま終戦を迎えた。5番艦リュッツォウは未完成状態でソ連に売却されペトロハヴロフスクと改名、独ソ開戦により完成度70%でレニングラード攻防戦に投入され撃沈されたが1年後に復活し終戦を迎えた後、練習艦・海上兵舎と役割を変えながら1958年まで現役であった。
*45 ぶっちゃけ言うと、ヨシフおじさんはアドルフおじさん以上に海軍を軽視していた。
*46 元チリ海軍巡洋艦「エスメラルダ」、日清戦争に伴う戦力増強のため1895年1月8日に同海軍より購入。
*47 「敵艦見ユ」「敵艦隊二百三地点ニ見ユ 敵ハ東水道ニ向カウモノノ如シ」。この通報で連合艦隊は出撃している。