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紫電改二

Last-modified: 2017-03-27 (月) 21:56:58
No.055
weapon055-b.png紫電改二艦上戦闘機
装備ステータス
火力雷装
爆装対空+9
対潜索敵
命中回避+3
戦闘行動半径3
装備可能艦種
駆逐艦軽巡洋艦重巡洋艦戦艦
軽空母正規空母水上機母艦航空戦艦
備考
開発実装日:2013年5月15日
本土防空の切り札、局地戦闘機「紫電改」の艦載機型です。
大馬力エンジンと空戦フラップの採用などによる優れた空戦能力で、開発・配備の遅れた烈風の穴を埋めるべく計画されました。
空母信濃が就航した暁には、たとえ烈風や烈風改が揃っていても、あえて搭載して欲しい幻の…
そして実在した最後の艦上戦闘機です。

ゲームにおいて Edit

  • 開発可能な艦戦においては烈風と並ぶレアリティのホロ艦載機。
  • 開発できる確率は低いが、性能は対空+9零式艦戦52型の対空+6を大きく凌駕し、烈風の対空+10に次ぐ優秀な値を誇る。
    • 数を揃えれば高難度MAPでも制空戦闘を優位に行えるはずである。
      烈風が開発できなくて紫電改二ばかりになってしまうという史実再現システムを実装した提督も多いだろうが、烈風の数が揃うまでの繋ぎと考えれば特に問題はないだろう。
      などというのは昔の話、現在では回避値が+3追加された事で、むしろ利便性では烈風を上回る性能となったと言えるかも知れない。
  • 余談であるが、史実において烈風が開発できなかったために代用として紫電改が投入されているため、運用としては間違ってはいない。
  • とはいえ、烈風の方が+1だが対空値で上回る都合上、烈風の必要性が消滅したわけではなく、その点は使い分けが重要と言える。
  • 図鑑埋めのためにこれを開発しようとして烈風ばかり開発できる物欲センサー発動中という提督もいるようだ。
  • ちなみに烈風との制空値の差は、11〜24スロット装備で4。最大で32スロット以上に装備したときの6。
    • つまりほとんどの場合で4の差になる。烈風が揃うまでは併用して上手な運用をしたい。
  • 2015年10月30日のアップデートで回避値が+3追加された。長らく烈風の下位互換装備として不遇な立場だったが、有力な選択肢の一つとなった。
    • ただし他にも有力な艦戦が複数実装されており、有用性はともかく不遇さはあまり改善されていないかもしれない。
      どうやら艦これ世界の艦載機の性能は、機体自身の性能よりも搭乗員の技量によるところが大きいようだ。
  • 2017/1/10アップデートでF6F-3の改修素材指定(★+6以降)された。

  • 余談であるが、震電改同様実装時は制空値が0になる特大のバグがあった。

装備名対空索敵命中回避火力半径入手方法改修
震電改+15----2イベント-
零式艦戦53型(岩本隊)+12+3+2+4-6任務
烈風改+12----5イベント、ランキング-
烈風(六〇一空)+11-+1+2-5任務、イベント、ランキング
零戦52型丙(付岩井小隊)+10+1+1+2-6任務
Fw190T改+10--+2+23初期装備、イベント-
烈風+10----5開発、初期装備-
零式艦戦52型(熟練)+9+1+1+2-6任務
紫電改二+9--+3-3開発-
零戦52型丙(六〇一空)+9-+1+1-6任務、初期装備、ランキング
零式艦戦21型(熟練)+8+1+2+2-7任務、初期装備
F6F-3+8+1+1+2+15改修、ランキング
Bf109T改+8--+4+12初期装備、イベント-
零式艦戦32型(熟練)+8-+1+4-5改修
Re.2001 OR改+6--+2+34ランキング、初期装備-

小ネタ Edit

  • 帝國海軍の艦上戦闘機、紫電改二(試製紫電四一型)が元ネタ。試作機が空技廠所属の山本重久大尉*1の操縦で空母信濃(未実装)での発着艦試験に成功している。
    • 説明文の実在した最後の艦上戦闘機はこれが由来。烈風や零戦六四型(未実装)は空母に載った実績がない。
    • 実は紫電改の派生型はいくつかあり、紫電改二は紫電改一(試製紫電三一型、N1K3-J)の艦載機型である。
      • 紫電改の基本となる紫電二一型(N1K2-J)、製造機数は99機、強すぎる安定性を緩和するために垂直尾翼を13%縮小し、爆撃装備の強化を行った紫電二一型甲(N1K2-Ja)は100機製造されている。
      • 試製紫電三一型(N1K3-J)は機首を延長、13mm機銃2丁を増設したタイプ。「試製」とあるが,川西で約200機生産されているほか、この形式から川西の姫路工場製の紫電改も制作されている。
      • 試製紫電改二(N1K3-A)、艦これに実装されているのはこの機体で、三一型に着艦フックを追加し機体後部を補強、着艦時のバルーニング(接地時に地面効果などによって目標点を行き過ぎてしまう現象)防止目的でフラップの開閉角度を減少、重武装にも関わらず、運用テストを行った山本少佐には「零戦より着艦が容易」と言われており基本設計の優秀さが窺える。ちなみに、紫電改の艦載機化を最初に持ち出したのは、烈風の海軍側責任者である小福田租少佐で、試製烈風の状況が思わしくないことから、当時テスト中で評判の良かった紫電改を烈風の代わりと言う思い付きであったようである。……艦上戦闘機の本命がアレでピンチヒッター登場という話は水平線の向こうでも存在する。
      • 紫電改三(試製紫電三二型、N1K4-J)は発動機を低圧燃料噴射装置付の「誉」二三型に換装したもので、三一型を改造して2機が試作されている。
      • 紫電改四(試製紫電四二型、N1K4-A)もう一つの艦載型、紫電改三(試製紫電三二型、N1K4-J)を艦載化したものであるが、実機が製作されたかは不明である。
      • 紫電改五(試製紫電二五型、N1K5-J)二一型甲をベースに、発動機を烈風と同じ三菱ハ43に換装したもの、発動機の変更により、増設した機銃の除去とカウリングの形状変更が行われたが、工場の被災により完成せず。この発動機変更の理由には諸説あり、烈風との比較用に制作していたとする説や陸海ともに「誉」が増え、無理な増産で品質が下がっていたため、「誉」を生産していた中島の負担を減らすためだったとも言われている……エンジンが原因で新型機の生産が遅れる/配備しても稼働しないというのは洋の東西を問わず発生しており、日本でも彗星飛燕をめぐる騒動、第二次世界大戦後のアメリカ軍でも朝鮮戦争中にエンジン供給の滞りF-86F型の生産が遅れ、穴埋めにありあわせの部品でE型を作ったり、70年代末期に、エンジンに起因するトラブルで、F-15の稼働率が三割切ったと言う笑えない話があったりする。
      • また、紫電改ベースの練習機(仮称紫電練習戦闘機、N1K2-K)の試作、ボーキサイトもとい、ジュラルミンの節約目的に鋼製紫電改や仮称紫電性能向上型の設計も行われていた。
        また戦後になってから、頭部戦線で戦局打開の決戦兵器として、薬用紫電改を名乗る商品も出てきている。 「紫電改○」シリーズ多過ぎだろ……
    • 因みに肝心の紫電改二は殆ど生産されていない。空母に搭載して出撃するような時期では既になかった。


  • 紫電に「改」が付く前の紫電一一型は水上戦闘機「強風」を局地戦闘機として改設計したもの。そのためフロートが無くなった以外殆ど同じ、と思うであろうが……。
    • 実際はエンジンが「火星」から「誉」に変更された。また、胴体に中翼で繋がる主翼とそれに合わせた二段引き込み脚を作り、これがまたトラブルを起こすなど散々の出来栄えだった。
      • 紫電改の特徴である自動空戦フラップは、強風や紫電も装備していたのだが、生産数が少ない強風では目論見どうり作動していたが、紫電では試作品をそのまま量産した結果、速度計測機器に使用されている水銀漏れによる電気系統の不具合、圧力系配管の設計ミスによる高速飛行時の意図しないフラップ展開と言った初期不良が多発したことが尾を引き、現場からの評判はあまり良くなかった。
      • 余談だが、自動空戦フラップの設計グループに参加していた人物が、世界の傑作機No124に開発時の状況を寄稿していたり、艦これに提督として着任しているという噂*2もある。
      • 例によって誉エンジンはgdgdだわ、自動空戦フラップは信用できないわ、翼内機銃の増強で設計時に予定していた速度が出ないなどの問題だらけで、出来た機体は零戦より速度こそ出るものの着陸時の視界の悪さと複雑な機構が原因で着陸時の事故が多発し、九六式艦戦時代の戻った感のある航続距離、零戦に劣る運動性、「誉」に起因する低い稼働率など、見るべきところはあるが現在必要とされている要求に達しない代物だった。
    • とはいえ紫電は「改」までのつなぎとして約1,000機が製造され、不満はあるものの老いつつある零戦の穴を埋める成果を上げたといえる。
      紫電改の生産数は400機程に過ぎないが、同時期の陸軍四式戦は3,600機が製造されたことと比較して、川西の企業規模で紫電・紫電改合わせて1,400機と中島新式機の半分近く作ったのは大健闘と言うしか無い。
  • 即席で作るという目的は達成できたものの「誉エンジンが完全に熟するのも時間かかりそうだし、二段引き込み脚のトラブル解消に時間かけるより新設計したほうがよくね? ついでに部品の一体化を進めて部品点数減らそう!」となって紫電二一型(紫電改)が生まれる。
    火星のために図太かった胴体形状を見直し、主翼を低翼に改め、さらに400ミリほど胴体尾部を伸ばした上で尾翼形状を変えた。抵抗が減り視界がかなり改善された上、普通の内方引き込み脚が使えるようになったのが大きなメリットだった。
    • 特に着陸脚が一般的な長さになったことと胴体が延長されたことで地上での安定性が増し、滑走中の事故が大幅に減ったことが紫電改の高評価に繋がったとも言われる。
      何しろ、紫電は撃墜されるより事故で壊れる機体のほうが多いほどだったのだ。
    • 自動空戦フラップの動作も高い評価を得ている一方で、自動空戦フラップによる速度低下を嫌って、動作させずに空戦をしたパイロットも居たという。
      特にベテランになるほど自動空戦フラップを嫌う傾向があったという。彼らからしてみれば、変なタイミングでフラップが勝手に出てふわっと浮き上がるという、搭乗員本人が意図しない挙動が邪魔だったらしい。
    • 機銃のほかに250kg爆弾2発までの搭載が可能であり、戦闘爆撃機(戦爆)としてみても非常に優秀な機体である。
  • 設計製作は世界最高峰の飛行艇と名高い二式大艇の開発を手がけた変態水上機メーカー川西航空機。
    戦後は新明和工業となり、海自の哨戒飛行艇PS-1、救難飛行艇US-2の開発・製造元でもある。
    • 元型となった「強風」は昭和15年に西川1社指名の形で海軍側から開発指示が出されたが、国際情勢の悪化から必要とされる時期に配備が間に合わないと判断された。そのため、すでに艦上戦闘機として採用されていた零戦の中古機体を流用した一号水上戦闘機の開発を中島に依頼*3。十五試水上戦闘機の完成までのつなぎとすることにした。
    • そして、昭和16年12月の開戦直後に二式大艇の大量配備計画が取り消されてしまう。開発中の「強風」も主力としての大量発注が見込めない機種であったため会社存続の危機に陥ることが予測され、川西は海軍に「強風」のパーツを流用した局地戦闘機計画を提案。川西への救済措置も兼ねて、「紫電」の開発がスタートしたのである。
  • 紫電改は局地戦闘機とあるように、本来は迎撃戦闘機であるゆえに航続距離が零戦に比べると短い。
    それ以外は、零戦に不足していた防弾装備、大型機としては極めて良好な機動性に加え、高速の一撃離脱も可能な速度を有するなど、本来の烈風のポジションを埋め合わせるほどの素晴らしい戦闘機であった。
    • 航続距離が短いと言ってもそれは零戦と比べての話で、当時の米主力艦戦であったF6Fヘルキャットとほぼ同じ航続力を持っている*4
      • ただ、同じ系統の発動機を使用し燃料の搭載量も大きく変わらない陸軍の四式戦が沖縄へ制空や爆撃に向かっていたことを考えると、「紫電改は航続距離が短く九州-沖縄を往復できない」というのは、沖縄での損耗を避けたい三四三空の意向だったのではないかと言われている。
    • 烈風がいつまでたっても完成しないことに業を煮やした日本海軍は、本機の試作機が完成した1944年初頭の段階で烈風を差し置いて、なんと艦載機も含めた次期主力戦闘機に選定した。
      • ただし書類を書き換えるのが面倒臭かったらしく、機体分類上は局地戦闘機のままだった。しかし前線ではもっぱら制空戦闘機として運用され、配備を熱望する若手が続出した。
      • ところが元々水上機メーカーの川西、鳴尾村(現:西宮市)の工場で完成した紫電を送り出そうにも飛行場がなく、伊丹の飛行場(現在の伊丹空港)まで大阪湾を横断し、市電の走らない深夜に陸路を輸送せざるを得なかった。
        そのあたりは名古屋港の水上機用の工場で作った機体を各務原まで輸送した三菱も一緒だが。
        この問題を解決するため、海軍の鶉野飛行場と隣接する形で1943年に姫路製作所を開設している。
        さらに大阪地区防空の強化(陸軍任せで当初は何もなかった)もあって、隣接の阪神競馬場やグラウンドを接収して飛行場にしたのだ。
        本館は管制塔に転用された他、スタンドも残されており、三三二空の戦闘機隊員のスナップ写真が残されている*5
    • 本機の需要の大きさは前線部隊で『ゼロ戦に乗るなんて死にに行くようなもんだ! 噂の紫電改に乗りたーい!』と嘆かれるほどのものだった。
      • しかし、川西航空機の生産力が中島飛行機や三菱重工業などの大手に劣っていた上、各地の航空機メーカーや海軍工廠での転換(ライセンス)生産準備や工場の疎開に技術者が駆り出されたり、エンジンや降着装置といった、官給品の部品供給が遅れて生産できないのに、海軍主導の無意味な増員で川西の生産ラインの稼働率が低下していたことに加え、鳴尾や姫路の工場が爆撃で破壊されたこともあり、とても三四三空や横須賀航空隊以外に回せる余裕どころか、すでに紫電改が配備された部隊の定数維持すらおぼつかない状況で、全部隊への配備は叶わぬ夢であった。
      • この転換生産先として選ばれたのは、三菱水島航空機製作所(現:三菱自動車工業水島製作所)、愛知飛行機徳永工場(現:愛知機械工業徳永工場)、昭和飛行機、第11航空廠(呉)/第22航空廠(長崎)/高座海軍工廠(神奈川)だが、これらの工場で製作された紫電改は、すべて足しても15機前後と非常に少ない数であった。
      • だが343空や横須賀航空隊などの数少ない部隊での本機の活躍と元搭乗員たちの手記により戦後の国民に強く印象を遺し、後年の1960年代の戦記漫画ブームにおける名作『紫電改のタカ』や三四三空を題材とした映画『太平洋の翼』で一気に知名度を拡大。
        いつしか遅すぎたゼロ戦の後継機と認知されていった。現在においても団塊の世代の人々は零戦の正統後継機は本機であると信じており、三菱重工業が開発したと信じてる者もいるらしい……実際は烈風と紫電改の二本立てなのにね
      • 紫電改との比較で「零戦は練習機」との言葉がある。これはより大型化した紫電改には従来の九六艦戦を中間練習機とするのでなく、零戦を中間練習機にする必要があるという意味であったが、「紫電改は零戦と比べ物にならない高性能機!」と誤用されてしまった。
    • 日本軍機の常として、高高度性能は高くなかったそうな。四発の重爆撃機を迎撃する局地戦闘機(≒迎撃機)としては今一つであった。雷電のほうが最適だと判断されたのが、雷電の延命に繋がった。
      ただし、実際の運用法である制空戦闘機では、一定以上の高高度性能は不要という考えも存在する上、適正高度での戦闘力は流石の新鋭機といったところだったという。
    • B-29迎撃戦にはほとんど参加していないが、本機もB-29にはやはり苦戦させられた。雷電に高々度を任せていたあたり、制空戦闘機としては成功したが、本機の元々の開発目的の局地戦闘機としては成功したとは言いがたかった。
      なお、海軍によるB-29撃墜の大半は局地戦闘機「雷電」によるもの。
      • 戦後日本人の『B-29にはまったく歯がたたずに手が出せなかった』などの日本軍は脆いというイメージとは裏腹に奮戦している。
        その数300機以上が日本軍に撃墜されており、これは対日戦に投入されたB-29の1割以上に達する。不時着、被弾による破棄等も含めると700機以上対日戦で喪失している。
        護衛戦闘機であるP-51Dが随伴してくるまで、B-29は出撃の度に1割以上の損害を食らうことも珍しくなかった。
        「超重爆」とも呼ばれるB-29を迎撃するのは非常に困難で危険な任務であったが、日本陸海軍の防空隊は意外にも善戦していたのである。
    • ちなみに終戦前に1946年を見込んだ更なる新鋭機の開発がやけくそのように開始されていたのだが、次期主力戦闘機のベースになったのは烈風ではなく、本機である。
      • 実は違う。恐らく次期主力戦闘機と書いてあるので二十試甲戦闘機と思われるが、こちらのベースは烈風であり紫電改では無い。
      • 対案に根本的な新型として、紫電と同時期に開発が中止された「陣風」の開発再開も検討されていたあたり、川西航空機がいつしか中島飛行機や三菱重工業と並んで海軍の信頼を得ていたかが窺える。
      • 余談だが紫電改を開発した菊原静男氏はYS-11の製作にも参加した人物である。
    • 川西航空機としてはあくまで本機は局地戦闘機として開発したのであって、目的外とも言える制空戦闘機として運用され、しかも成功したのは嬉しい誤算であった。
      そのために川西航空機は、三菱重工業から『二流メーカー如きが俺たちのお鉢を取りやがったぁ!』と見苦しい嫉妬を買ってしまったあんたらは自分達の新型機をちゃんと軍に納入してから文句言えよ
      • ただし1944年10月になるとエンジンをハ-43に換装したA7M2が登場し、海軍航空本部は艦上運用で重要な運動性、航続距離を誇るA7M2を艦上戦闘機/極地戦闘機として烈風11型の名で制式採用する。海軍では烈風と紫電改両方を決戦戦闘機として使う予定だった。
  • なおその設計思想のためか、「紫電」はF4Fワイルドキャットさんに、「紫電改」はF6Fヘルキャットさんにシルエットがよく似ている。
    お陰で味方から誤認され、攻撃される事が多かった*6
    • あまりに味方から誤認されるので、わざわざ見せ合いっこしたという心温まる(?)エピソードも存在する。
    • 上記「雷電」も、米戦闘機P-47にシルエットがよく似ていて同じような逸話も有る。ついでに名前も同じ(P-47サンダーボルト=雷電)である。???「JAZZが聞こえたら俺がきた合図だ」
  • 終戦後に連合軍が紫電改を接収しアメリカ式過剰整備したところ、速度が100km/h近く向上し*7米軍で行われた実戦演習でもあらゆる米軍機を圧倒してしまったという*8
  • 連合軍コードネームは「George(ジョージ)」。
    • 紫電改はあまりに紫電と姿が違うので、違う機種と思われていたらしい。情報不足もあって零戦や疾風と誤って報告されていた。
      紫電を「George11」、紫電改を「George21」と呼び分けるようになったのは戦後からである。


  • 紫電改と言えば、二代目第343海軍航空隊、通称「剣部隊」が有名である。
    これは海軍航空参謀「源田実」によって編成された航空隊でベテランやエース揃いで有名。
    • 戦闘機隊は「戦闘第701飛行隊」「戦闘第407飛行隊」「戦闘第301飛行隊」の3つに分かれており、結成当初、701は「鴛淵孝」、407は「林喜重」、301は「菅野直」が隊長を務めていた。
      また、各々の戦闘機隊員には「杉田庄一」、「武藤金義」、また一時期「坂井三郎」なども所属していた。
      関東圏の防空を担った厚木の第302海軍航空隊と並んで上層部から注力された部隊でもあった。
      • アメリカ軍パイロットからもその実力を称賛され、落日の日本海軍航空隊の中において有終の美を飾った。特にその徹底した組織的戦闘は、日米ともに幾度となく語られることとなっている。
      • 戦後も多くの関係者が手記や雑誌記事などを発表し、それが「敗戦色濃くなる中で少数精鋭のエース集団が大活躍をした」と実態以上に喧伝されたことで知名度向上へと繋がった。
    • 他の部隊より熟練下士官を多く集め、ボトムアップを促すことで戦力の底上げを狙っていた。このことが「他所の部隊からエースばかりを引き抜いた」と批判される一因にもなっている。
    • 人員育成に励んだのみならず、連合軍の戦術を研究し日本の弱点(無線機や僚機との連携の不徹底)を解消することに務めたことも評価されている。
    • ただ、主に紫電改を運用した343空は陸上基地部隊なので、紫電改二の艦上機部隊として艦これに登場するのは難しい……かも。
      • イベントや中部海域に基地航空隊システムが実装されたことにより、今後局地戦闘機としての紫電改(343空)実装があり得るかもしれない。
      • 343空飛行長*9を務めた志賀淑雄少佐は開戦時の加賀戦闘機隊長であり、空母信濃が沈没しなければ信濃飛行長に就任するはずだった人物でもあるので、
        艦上機隊として紫電改二(志賀隊)登場の可能性はある……かもしれない。
        ちなみに志賀少佐は、海軍航空技術廠のテストパイロットとして紫電の開発段階から関わっており、紫電から紫電改への改良を高く評価する一方で、誉を搭載した試製烈風については、格闘戦に必要以上にこだわりすぎた故に零戦より機体が大きい点、上昇6000mまで10分、速度零戦52型と変わってない点を挙げ酷評している。ただし志賀少佐は烈風11型、つまり試製烈風が生まれ変わった改良型には搭乗していない点には注意。


  • イラストに描かれてる機体の元は"ヤ-1155" 谷田部海軍航空隊所属 紫電一一型甲、つまり紫電改ではなく紫電だったりする。
    • その為か後部こそ二一型(紫電改)のものの、エンジンカウル等前部は紫電改ではなく、機銃穴が残されている一一型のような形状になってしまっており、翼も中翼か低翼か怪しい位置にあったりと、紫電と紫電改が混ざったキメラのような機体となっている。

この装備についてのコメント Edit

過去ログ

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • これを持参した信濃が実装される日はいつになるんだろうな -- 2017-02-28 (火) 20:38:44
    • プレイヤーもう殆どいなくて起死回生狙う時、つまりまだやろな。 -- 2017-03-01 (水) 20:34:13
      • 正直そんなときに信濃実装してもしただけ損になりそう -- 2017-03-02 (木) 03:42:23
      • いうてもうとっくにピーク過ぎたコンテンツだし今更信濃程度で損もクソもないと思うが -- 2017-03-04 (土) 03:34:27
      • 信濃待ち多いからなあ。早い実装が待たれる。尤もゲットしたらもうやることも無くなるしなあ -- 2017-03-04 (土) 03:47:57
      • だから出すに出せないんじゃないのかな。 -- 2017-03-04 (土) 03:48:58
      • 単純に信濃の調整がムズイだけじゃないかな -- 2017-03-04 (土) 12:55:04
      • 大和型だったし、一番強い装甲空母でええやん。強すぎるとか云々言う連中は無視で。 -- 2017-03-08 (水) 23:26:53
      • 性能面は初期状態で装甲も搭載数も低くして、要設計図改装にして改装後に下駄履かせれば良いんじゃない。どっちかというと運営は予告したコンバートの仕様で悩んでいそうだけど。 -- 2017-03-09 (木) 19:08:08
      • まだまだ艦これ続きそうだからまだ先だろうね。実装されても今度はミッドウェー級がひかえてるから心配しなくて良い。。 -- 2017-03-10 (金) 05:11:36
  • 強風が実装されそう (コンプ情報 -- 2017-03-08 (水) 23:03:59
    • ここではまだ話題になってないのか。紫電経由の先祖返りみたいだからネジ食いそう。 -- 2017-03-09 (木) 08:51:40
    • 紫電改二から経由して、って言う話だっけ?ジェット震電くらい存在があやふやな強風二二型とかいうのになるのかな -- 2017-03-09 (木) 19:11:24
    • グラは半分紫電だから問題ナッシグー -- 2017-03-11 (土) 03:30:15
      • ある意味問題まみれなんですがそれは・・・ -- 2017-03-11 (土) 14:45:24
  • 今歴史秘話ヒストリアを見たんだけど、紫電改の開発設計者達が日本初のジェットコースターを作ったんだって。 -- 2017-03-17 (金) 20:51:00
    • アレは驚いたな。戦後の復興に携わった人って大抵戦闘機とか爆撃機作ってんだよなあ..。平和な世の中になって良かったよ -- 2017-03-17 (金) 21:20:35
      • ロケットの父「糸川秀夫」なども戦中は「中島飛行機」で戦闘機開発(九七戦、隼、鍾馗の開発に携わる)にいそしんでいた人だしな。まぁ、この頃から独自にジェットエンジンなど噴進エンジンを構想、開発していたそうだけど。(この辺の技術が同社開発の橘花制作の手助けに?) -- 2017-03-19 (日) 11:25:40
    • こう言うとあれだけど、戦争があったからこそ発達した、または出来た技術があると思う。それを転用して今がある、と考えると中々深いね。 -- 2017-03-21 (火) 15:14:55
      • ってか現代の科学技術と医療技術なんて殆ど戦争が発達させてくれたもんばっかやし リソースも道徳も無視してぶっこめる口実が出来るからな -- 2017-03-23 (木) 19:09:21
    • アメリカの自動車産業を食ってデトロイトを廃墟にしたのは戦後に航空機生産を実質禁止されたからだと思ってる。ちょっと挙げるだけで愛知→愛知機械工業、中島→富士重工、三菱→そのまま車生産。日本の頭脳が全力で車生産にいったようなものだからな。 -- 2017-03-31 (金) 10:01:35
  • 溜まった工廠任務を片付けるために、航空機レシピを140回ほど回したんだけれど、紫電改二だけは1機も出なくて笑った。ここまでレアだとは思わなかったよ -- 2017-03-18 (土) 20:18:15
  • 96艦戦のグラよりこっちをはやく直して・・・ -- 2017-03-19 (日) 01:26:32
  • この間、「このせか」観てきたんやが(良かったで〜)、呉空襲の迎撃にあたった2000馬力云々の戦闘機は何やろね〜、時期的に紫電改かな?と気になった。上の小ネタを見ていて、関東の防空にあたった剣部隊とかは有名やけど、広島・呉も要衝やから同じように強い防空隊がおったんかな〜、と気になったΣ(・ω・ノ)ノ! -- 2017-03-24 (金) 15:28:34
    • 海軍廠で誉を作ってたお父さんの自慢してた飛行機なので紫電改で合ってますよ。そして剣部隊もとい343空は四国や九州を拠点にした西日本側の防空部隊です。たぶん小ネタの関東圏の防空を担った厚木の第302海軍航空隊を剣部隊と早とちりしているのではないでしょうか。つまりあれは343空(剣部隊)そのものですね。監督のオリジナル部分のこだわりが実にミリミリしてて面白い作品でした。 -- 2017-03-24 (金) 19:28:11
      • おお〜、ありがとうございます(`・ω・´)b (このまま右手を失ったままで終われんばいと)このせかから続けて、”海賊と呼ばれた男”も梯子して、冒頭の油切れの月光妖精さん観てきたり、そういえば3式戦飛燕(第244戦隊)とか艦これのネタもあったよね〜とか盛り上がっていて楽しくアタマゴチャゴチャになってました (^Q^おっしゃる通り、剣部隊は基地松山で広島の対岸でした。眼福でした (// -- 2017-03-25 (土) 09:40:14
  • A7M2って艦上運用できないよね?>小ネタ -- 2017-03-25 (土) 14:53:00
    • 量産前の試作型はフックが無いし折りたたみも廃止したから艦上運用は出来ないだろうけど 本来はできるよ多分 彗星33型と一緒で出来る出来ない以前に運用する空母もなけりゃ空母が外洋に出れる訳もないしなんなら動かないので艦上機なんて用意する必要がない以上要らない機能を外して陸上機になっただけ -- 2017-03-26 (日) 03:18:27
    • マジレスすると烈風一一型(A7M2)量産型は着艦フック云々は無いが、試作機にはA7M1をA7M2に改修したので着艦フックはあったとされる。折り畳み機構に関してはA7M2試作三号機以降から廃止されたが、これを考えると少なくともA7M2試作一号〜三号までは着艦フックなど艦上運用で必要な装備がそろっていたと思われる。実際A7M2試作機をテストした後の1945年6月には「艦上戦闘機」として海軍で制式採用されてる。 まあ量産型では陸上運用を目指して局地戦闘機に再分類されてるけど -- 2017-03-26 (日) 04:11:18
      • マジレスすると試作機の写真にフックは着いてない 日本海軍は基本艦戦を陸上機的な部分から試作するので試作機にフックがあったかどうかは正直不明 -- 2017-03-26 (日) 17:59:37
    • 艦上戦闘機として採用されたから艦上運用はできるよう設計されてた 着艦フックがない?着艦フックは実家に帰ったよ まあ状況が状況だからね それに着艦フックなんて強度さえあれば後付けでも大丈夫だし -- 2017-03-26 (日) 22:06:52
      • 実際のところA7M2になっても軽量化の為に主翼設計がガバガバすぎて折りたたみ無くしてもまだ満足いく強度ではなかったから艦上戦闘機として使えたかっていうのも怪しいしそもそも艦上機として採用されたってのはもう名目上だろうね。あの時に稼働出来る空母なんていないし。実際には甲戦的特性の紫電改が乙戦分類なままなのと一緒な終戦間近のガバ。なんにしても着艦試験もしてない戦闘機だし、仮にも艦上機を目指してた以上やろうと思えば出来たかもしれないが、すくなくとも史実ではそこまでたどり着けなかった。が正解かな。(着艦フックが初期にはあったかどうかは正直ソースがこのWikiの烈風のページにしか無いので何とも言えない)そもそもA7M1だろうがA7M2だろうが着艦発艦ができても当時の日本空母で烈風の発艦距離じゃ到底木主の言う「運用」は無理だと思う。できても大鳳や信濃が生き残ってたら・・・程度 -- 2017-03-27 (月) 04:50:52
      • ? 長文書いてまで申し訳ないが結局何が言いたいんですかね? -- 2017-03-27 (月) 05:33:15
      • あと烈風の発艦距離って記録あったの?ぜひ教えてほしい。 ついでに主翼の強度不足はA7M1試作5号機で折りたたみ無くして要求性能をクリアしてるけど…満足行かなかったというのは聞いたことないです -- 2017-03-27 (月) 05:40:51
      • 着艦フックの有無について、烈風のページに書かれてるって言ってたから探してきたが無くないか? -- 2017-03-27 (月) 05:44:46
      • ↑2 烈風はまず発着艦試験やってないので記録なんてないです 一応比較としてここの研究してる人によると烈風より機体重量が重くて主翼面積が同じくらいのF6F-3が正規重量で74m(母艦の速度は25ノット)、機体重量が烈風とほぼ同じで代わりに主翼面積が小さいF8Fが88m(条件は左に同じ)だから、F6Fより機体が軽くてF8Fより主翼面積が大きくさらに低翼面荷重の烈風は74m以下もしくは74〜88mの間くらいだと思われる。 主翼強度に関しては、折り畳み翼は諦めて接合することになっており、これで主翼強度が確保されてますね まあ結局末期になると紫電改二もそうだが艦載機なんてほぼ見向きもされず、主力戦闘機は全部陸上運用する予定だったので誰も烈風が艦載機運用できたか知らないのよ。 結局艦載機運用できたか、なんて当時のことを全く知らない連中の想像に過ぎないのよ。自分自身も含めてな -- 2017-03-27 (月) 06:17:36
      • 記録無いのかぁ。でも烈風でもその気になれば艦載機運用できそうやね。 -- 2017-03-27 (月) 09:29:54
  • ランカー報酬で強風(改)が配られたとな、ネジを費やして紫電、さらにここへやってくると?! -- 2017-03-27 (月) 18:49:49
  • 新規グラくるかな? -- 2017-03-27 (月) 20:28:00
  • 局地戦闘機版が実装の際は菅野隊も出るといいな -- 2017-03-29 (水) 00:30:48
    • 菅野隊・・・武藤さんや杉田さんもいる歴戦の部隊だな まぁそこまで行かずとも343空でいいや -- 2017-03-29 (水) 02:22:48
  • 紫電改(三四三空)来たら甲戦かな?乙戦かな??まさか・・・丙戦!?はないか -- 2017-03-30 (木) 10:05:42
  • これとか32型に少しで良いので対爆、迎撃ステを付けてくれんかなあ。局戦の少ない艦隊で代用になると思うんだけど。 -- 2017-04-09 (日) 20:36:07
  • 烈風求めて艦載機レシピ回してたらついに紫電改二33機、烈風0機... 史実かな? -- 2017-04-11 (火) 18:40:57
  • 局戦や水戦が実装された後に登場していれば。。。強風改のエサとか逆だろ本来 -- 2017-04-12 (水) 23:31:11
    • 強風22型とかなら別に逆じゃないけどな -- 2017-04-14 (金) 13:52:35
  • これって駆逐じゃ開発できないんですね。10回回して理論値確認したら載ってませんでした -- 2017-04-15 (土) 20:07:36
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*1 真珠湾攻撃時には赤城戦闘機隊所属で艦隊の上空直衛を担当→翔鶴戦闘機分隊長で珊瑚海海戦→二五二航空隊分隊長でソロモンで負傷→内地勤務
*2 信用できるマスコミの情報ではないため
*3 後に無理があることが分かり、結果として改設計の上新造されることとなった。
*4 零戦のラバウルからガダルカナルや、P-51のイギリス東部からベルリンまで飛んで行って戦える等、日米単発機の航続距離が世界水準で見たら異常という話も……
*5 終戦後、本館だけが残され、飛行場跡地には住宅団地や学校が建設された。本館は武庫川女子大学の付属高校・中学校の教室として使用されたが、建設当時に準じる形で復元されて保存されている。一方、宝塚の川西航空機の土地を結果的にトレードするような形で建設されたのが現在の阪神競馬場である。その隣には新明和工業の本社がある。
*6 今も当時も有名で一般的な戦闘機、ゼロ戦と比べると"デカい""太い"であり、このシルエットはどちらかと言うと米海軍機に近い。勿論、風防周りや細部でかなり違うのだが、空中で遥か遠くから見分けるのは難しいのだ
*7 Pierre Henri Clostermann中佐(フランス軍エースパイロット)の著書「空戦」より。日本軍の公試記録は580km/hであったが連合軍に引き渡され良質な燃料を充填された紫電改は680km/hで飛んでいたらしい。またアメリカ製の高品質点火プラグの影響もあったと言われている。
*8 ライトフィールド基地(現ライトパターソン空軍基地)で紫電改に乗って演習に参加したという米軍中佐の発言、同基地内の博物館には今も紫電改が保管されている。
*9 飛行隊長と紛らわしいが、飛行長は基本的に飛行機ではなく陸上もしくは空母艦上から指揮を執る