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朝霜

Last-modified: 2016-06-19 (日) 14:05:19
No.225
なんだよ清霜しつけーな! やめろって! ……って司令かよ! イイ覚悟だほら! 壁に手ぇつきなよ! いくぜ!朝霜(あさしも)夕雲型 16番艦 駆逐艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久16火力10 / 29
装甲6 / 19雷装24 / 68
回避47 / 80対空9 / 44
搭載0対潜35 / 64
速力高速索敵6 / 19
射程16 / 59
最大消費量
燃料15弾薬20
装備
12.7cm連装砲
九三式水中聴音機
装備不可
装備不可
改造チャート
朝霜朝霜改(Lv45)
図鑑説明
あたいは夕雲型駆逐艦、その十六番艦、朝霜さ。よーく覚えとくんだよ。
戦況が悪化した頃にデビューしたんだ。でも、その末期の戦線を、文字通り縦横無尽に駆けまわったぜ。
やるだけ…やったさ!

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:茅野愛衣、イラストレーター:藤川 (クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

  • 2015年2月6日のアップデートで新規に実装。同時に実装された他のと異なり、イベント海域クリア報酬では無くドロップ艦。
    同日から始まった冬イベント:期間限定海域【迎撃!トラック泊地強襲】のE2以降のボスやE5道中のドロップで入手できた。
    • 2015年夏イベ以降は、毎回イベントでのドロップが確認されている。しかし武勲艦なだけあって配置されている場所が癖のあるマップ・マスであることが多い。
      作戦難易度を低くしての周回も考えられるが、後述する4-5での周回も考えられる。
      • 上記のように入手が難しい艦娘の一人だが、実装から1年後の2016年冬イベント礼号作戦ではE2の史実艦ルート固定に関わるためか高ドロップ率だった。(周回しやすいE1ボス高確率かつE2道中でも出た)
  • 2015年6月12日のアップデートで実装された4-5にて、待望の通常海域でのドロップが確認された
    ただし同海域は通常海域の中でも屈指の強ボス&道中編成で、イベント海域深部並みの探索難易度。
    探索する際は、十分な余力を確保して臨むか、勲章のついでと割り切ろう。


  • 改造前で九三式水中聴音機、改造後で三式水中探信儀と、初期装備だけでソナーを2個回収可能。開発が難航している提督やより上位のソナーへの改修更新を目指す提督には有難い。
    • 特に四式ソナーの改修材料である九三式ソナーについては、未改造で持ってくる唯一の艦である。
    • 三式ソナーについては磯風と同様に駆逐艦としては2位のLv45が必要な一方、5-4まで進めていれば多くドロップする同じ夕雲型の巻雲長波がLv30で持ってくるためそちらが楽だろう。
  • 現時点で夕雲型の中で唯一時報ボイスが実装されていない。改二で追加フラグ?
  • 2015年12月8日のアップデートで追加された「礼号作戦」(小ネタ参照)の編成出撃任務(2-5ボスS勝利)で必要となる。
    これらには比較的低ドロップ率の大淀清霜も必要なのでその点、現在最難関クラスの編成・出撃任務かもしれない。

小ネタ Edit

  • 夕雲型駆逐艦十六番艦。1942年度(マル急計画)仮称第344号艦として藤永田造船所で1943年1月21日に起工、1943年11月27日に竣工。
    • 夕雲型で同じ藤永田造船所出身の艦娘は巻雲と長波(2015冬イベント時点)。他にも駆逐艦を多く建造しているので、興味のある人はググってみよう。
    • 同型艦の中で起工から就役までが最速であるため、「○霜」クラスの16番艦ではあるが、就役順では下に岸波と沖波という「○波」クラスの名前を冠した艦が二隻いる。
  • 夕雲型は艦隊決戦型駆逐艦の最終形ながら、戦線の不利や水雷戦の衰退が起こり始めた時期に就役した艦が多く、満足に結果を残せず短い生涯を終える艦が多かった。
    そのような中、この朝霜は図鑑での本人の言の通り、戦争末期に投入され実働期間は一年程度ながらも、非常に濃い経歴を持つ夕雲型屈指の殊勲艦である。
  • 竣工後は龍田幼稚園第十一水雷戦隊で訓練を行う。この頃就役した駆逐艦は22号対水上電探の訓練を行っており、朝霜はその成果を対潜活動などでしばしば発揮することになる。
    1944年に2月10日、岸波・沖波と共に長波一隻となっていた第三十一駆逐隊に編入され第二水雷戦隊付けとなる。(もっともこの時期はその長波も修理中で不在)*1
    • この時の艦長は杉原与四郎中佐、彼はこの後の朝霜での全ての艦歴において、艦長として指揮を取り続けた。
      謹厳実直で家族思いの人柄で、艦上においては僅かなミスも許さない厳しい艦長だったが、普段は穏やかで下士官や兵士にもきつい言葉を一切使わなかったという。乗員たちからは優しい兄のように慕われており、規律を守りつつ艦内の雰囲気は良かったという。
      • 朝霜の雰囲気の良さは定評があり、艦長から一水兵に至るまで感じの良い乗員ばかりで居心地がよく、酒や食料や煙草にも恵まれていたといわれる。
        転勤等で生き残った元乗員は皆口を揃えて「朝霜ほど和気藹々とした人間関係の良い艦はなかった」「嫌なことや辛かったことは無かった」と述懐している。
        そのような暖かな絆に結ばれた艦だったため、乗員たちはおざなりな仕事などせず、自然と自分の役割に全力を尽くしていたという。
        このため、天一号作戦直前に転勤した航海長の芦田収大尉などは後述の「機関整備の手抜きによる故障」など絶対にあり得ないと、心ない噂を一笑に付している。
  • 再編された第三十一駆逐隊は初めての任務として、貨客船安芸丸・東山丸・崎戸丸の「松輸送」の護衛を行う。
    • この船団は米潜水艦ロックに補足されるが、朝霜は浮上したロックに探照灯射撃を行い、12.7センチ砲で潜望鏡を破壊。沈没を逃れたロックは船団発見の報を潜水艦トラウトに報告するが、この破損により哨戒を打ち切らざるを得なくなる。
      朝霜は22号電探で浮上したトラウトを発見し、探照灯射撃を行うがトラウトは潜行。朝霜はこれを沈没と誤認してしまうものの、潜没箇所に爆雷投下を行うなど念入りに対潜哨戒を行った。
    • だが、歴戦の潜水艦トラウト*2はその後10時間にもわたり潜行したまま船団を追跡し、ついに魚雷を発射。朝霜は航跡に気づくが手の打ちようはなく、安芸丸は航行不能に陥り、崎戸丸は沈没し多くの将兵の命が失われてしまう。直後にトラウトの潜望鏡を発見した朝霜は、返す刀とばかりに爆雷攻撃を行いトラウトを撃沈する。
    • 同日に複数の潜水艦を撃沈・損傷させた駆逐艦はこの朝霜一隻のみであり、初陣ながら大手柄といえる。*3
  • その後は船団護衛や対潜警戒に従事している。マリアナ沖海戦では二水戦旗艦能代の指揮の下で第三航空戦隊・第四戦隊に所属している。
    また、後にも縁がある浜風とは日栄丸船団のバリクパパンからタウイタウイへの護衛任務、島風とは空襲を受けた榛名の佐世保帰投までの護衛で行動を共にしている。
    この間、第三十一駆逐隊所属ながら修理のため面識のなかった長波が復帰。岸波・沖波と合わせてようやく四隻が勢揃いする。
    (レイテ沖海戦)
  • その後、二水戦旗艦を継承した島風と共にブルネイからマニラに向かう。そして多号作戦において長波と再びコンビを組む(岸波・沖波は別任務)。
    この時第三次船団は出撃予定日の前日に起こったマニラ空襲(那智が沈没、が大破)により延期せざるを得ず、第四次船団が先に出撃することになった。この空襲において朝霜も対空戦を行っており、砲術長が戦死するなど十数名の戦死者を出している。
    • 朝霜は第四次多号作戦に編入され、ヒゲのショーフクこと木村昌福司令官の乗る率いる・長波・秋霜・若月と共に第四次船団護衛を行う。
    • この船団は幸運にも空襲をさほど受けず、また輸送船が比較的高速であったため、オルモック湾への人員の輸送には成功する。しかし、輸送のための大発は木村司令官の事前の希望の一割しか用意されていなかった。これは敵の機銃で穴だらけになり使えなくなったり、前日の暴風雨のより埋もれてしまったためだという。
      そのため激しくなっていく空襲の中で武器の陸揚げは困難だと判断し、人員のみの陸揚げで打ち切りとなった。このためほぼ丸腰で揚陸された兵士も結局陸上戦闘で大多数が犠牲となってしまう。
    • 更に帰還中の空襲で高津丸・香椎丸・海防艦11号が沈没し、秋霜が大破。人命救助に定評のある木村司令官はこの時も現場に留まり、輸送船には海防艦を、秋霜には潮を付け先に退避させた。霞・朝霜・長波は香椎丸らの生存者を救助し、帰路についた。
  • オルモック湾からの帰還途中、遅れて出撃した第三次船団と遭遇し、朝霜・長波・若月は第三次船団の護衛(島風・浜波・初春・竹・掃海艇30号・駆潜艇46号)に移るよう指示される。島風に座乗し船団護衛を率いる早川幹夫少将は第二水雷戦隊司令官であり、第三十一駆逐隊の朝霜と長波は元の所属に戻った形になる。
    • 朝霜らの代わりに第三次船団からは初春・竹が第四次船団に移った。これは事前の予定通りであったという。
      ――そして、これが一水戦と二水戦、両者の運命の分かれ目となるのである。
      (第三次船団、その顛末)
  • 朝霜を残してこの大惨事第三次多号作戦の船団は全滅。ただ一隻この地獄の海から生還した朝霜は、他の駆逐艦と共にマニラから脱出しシンガポールに到着し、ここで駆逐艦勢は艦隊の再編成を行う。朝霜は第三十一駆逐隊から清霜と共に第二駆逐隊を結成する*9。そして第一水雷戦隊からほぼスライドする形で再編された第二水雷戦隊は、礼号作戦に挑むことになるのである。
    (礼号作戦での朝霜)
  • 北号作戦によって伊勢日向・大淀・朝霜・霞・初霜ら完部隊は内地に帰還する。朝霜はゴムと錫を各50鼎困沈僂鵑任い拭この時既に清霜を喪ったことで第二駆逐隊は解散されており、初霜のいる第二十一駆逐隊に編入されていた。
  • 数々の激戦を生き延びてきた朝霜だが、その船体は多くの損傷を受けており、一刻でも早いドック入りを望まれていた。そして呉第四船渠(戦艦用)へ冬月・初霜・朝霜の三艦同時入渠することとなる。
    損傷程度の軽かった朝霜が最後になっていたが、二水戦司令部は「最重要優先事項」として矢矧の電探交換にかかった。杉原艦長も「矢矧電探の件、早急に解決されたし」と意見具申している。「現時点でも戦闘航行は可能だし、当面朝霜の出番はないのだから」と思っていたからである。
  • しかし、その僅か数日後沖縄方面での作戦が決定し、朝霜は満足に修理もできないまま呉から佐世保に移動することになる。
    その途中、僚艦のが触雷し航行不能となり、朝霜はこれを呉への帰還の途中まで曳航する。響はこの損傷により後の作戦に外れることとなった。
    艦長は再度機関補修を依頼していたが、呉は空襲に遭っていたことなどから拒否されている。
    (天一号作戦と朝霜の喪失)
  • 朝霜の慰霊碑は静岡県三島市の妙法華寺に建立されている。戦後に朝霜乗員の遺族が駆けまわって「朝霜遺族会」を作り、私財で建立したという。
    またその隣には愛宕の慰霊碑も並んで建っている。朝霜の慰霊碑が建立されたことを聞いた愛宕乗員たちが、
    かつて朝霜によって愛宕乗員492名の生命を救われた恩に感じ入り、傍らに建碑することを望んだためである。
    (参考文献)
  • ゲームでの見た目は(清霜+早霜)÷2といったところ。はすっぱな性格は長波を想像させるが、実際にコンビを組んでいた作戦も多い(ボイスでは「第三十一駆逐隊」としか触れていないが)。ドロップ時に「忘れんなよ!」とやたら念を押してくるのは、一人取り残されて最期を迎えた史実からだろう。というか、ほとんどガキ大将
  • 長波や清霜と同様に特徴的な髪色、こちらは銀髪(もしくは灰色)に内側紫となっている。
    • そして改になると内側の色が紫→蒼のグラデーションになる。今までにない変化。
    • 右目は髪に隠れており、早霜と違って中破しても見えないまま。実艦の朝霜の「右側」に関わるエピソードは撃沈状況の一説として右舷から集中攻撃を受けたというものがあるが、それが関係しているのだろうか。
      左目の特徴として瞳孔は極端に上向きについている。艦これイラストコラムの表紙描き下ろしだと特に顕著。
  • 普段の立ち絵では解像度の関係でわかりにくいが、改造画面の顔アップで確認するとギザ歯である。
  • 家具の『鎮守府カウンターバー』を使うと、時間帯によってビール→日本酒→ワイン→ウィスキーと変える「ちゃんぽん朝まで飲み勢」であることがわかる。とんだ呑兵衛である。
  • 4月23日のアップデートでは夕雲型の中から唯一記念ボイスが用意されている。それにしてもいつも以上にテンションが高い。もしかしてこいつ酔って……
  • 2015年12月、某雑誌のTVCMにフル出演を果たす。突如テレビから「朝霜出るよ〜!」と流れてきて茶を吹いた提督が続出したとか何とか、、、
  • 朝霜の名は海上自衛隊には未だに受け継がれていないが、海上保安庁の巡視艇にはその名が存在した。
    • 旧・海軍17メートル内火艇「あさしも(CL-63)」がそれである。後に改造され、あさしも型巡視艇「あさしも(CL-302)」となった。
    • なお、いずれの時期においても「はつゆき」と「みゆき」は姉妹艇であった。あさしも型時代には「きよしも」(旧・海軍25トン内火艇(砲艇型)からの改造)と「はつはる」(旧・陸軍AB艇からの改造)も姉妹艇となった。

この艦娘についてのコメント Edit

過去ログ

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • この子、骨格と体幹がしっかりしてそう。 -- 2016-05-28 (土) 08:35:13
  • 普段の言葉使いは蓮っ葉なのに、やられて入渠する時の面目ないってしおらしさが可愛いすぎるだろ -- 2016-05-30 (月) 04:34:15
  • 朝霜に掘られたケツが疼く・・・。これが恋!? -- 2016-06-01 (水) 17:28:05
  • 限定ボイスで阿藤快を思い出したのは自分だけで良い -- 2016-06-01 (水) 19:35:22
    • なかーま。今書こうと来たら一番下にまさに書こうとしたことがあってワロタ。なんだかなぁ -- 2016-06-02 (木) 06:08:46
  • 今更だけど、朝霜さんとゆーちゃん、同じ人が声やってるんだ… 声優さんのことあんまり知らないけど、ホント凄いなぁ… -- 2016-06-03 (金) 11:36:07
  • 今回の春イベントでも来ませんでしたねぇ・・・まぁ4-5でも来ますから良いが・・・来てほしかった。 (..; (--; -- 2016-06-04 (土) 11:22:04
  • ヤンチャ駆逐艦の嵐 -- 2016-06-06 (月) 11:21:20
  • ヤンチャ駆逐艦の嵐と演技がまったくかぶらない上にU呂鹿島香取だもんな。演技の幅広さには感服するしかない -- 2016-06-06 (月) 11:22:57
    • (葛城ェ・・・) -- 2016-06-07 (火) 05:20:28
      • 最初の機会逃した人には入手の可能性すら与えられてない子だからね、仕方ないね -- 2016-06-14 (火) 14:33:07
    • ヤンチャ駆逐艦とヤンヨ駆逐艦の違い -- 2016-06-12 (日) 00:06:04
      • ヤムチャ駆逐艦?(難聴)  まぁたしかにいつも霞にちょっかい出して「ヤムチャしやがって……」になってるが -- 2016-06-23 (木) 20:56:43 New
    • ヤンチャか? -- 2016-06-15 (水) 23:50:45
  • 演習の夜戦にて、武蔵を緑ゲージから大破までもっていきました。その日のうちに改になりました。1-5で潜水艦絶対殺すウーマンになる事を期待してもっと育てよう… -- 2016-06-07 (火) 22:19:47
    • 相手の武蔵がlv40くらいだったからできたこととはいえ驚いた… -- 木主? 2016-06-07 (火) 22:20:34
  • 駄菓子屋の女番長って感じ。 -- 2016-06-12 (日) 01:11:45
  • 初陣のトラウト轟沈後、沈没船乗員救助と大破船の復旧、中破船の護衛でパニクって救助を求めた結果、救援に駆けつけたのが千歳護衛中だった雪風初霜コンビである -- 2016-06-16 (木) 13:19:30
  • 提督「ほら、壁に手ついて・・・」 -- 2016-06-16 (木) 20:23:34
  • 勲章目当てで4-5割ったら来てくれた記念。あとはキヨシ殿と既に鎮守府に居る筈の大淀さんだな…(白目   あと、壁に手をつくとナニをしてくれるんだろう…。オシリほじほじしてくれりゅ? -- 2016-06-20 (月) 22:43:11
    • \デデーーン/ 朝霜「提督、↑上の木とまとめて、アウトー!」(スパーーーン スパーーーン) -- 2016-06-20 (月) 23:23:45
    • 野獣朝霜先輩 -- 2016-06-23 (木) 05:42:36
  • 口調こんなだけど、めちゃくちゃ可愛い -- 2016-06-23 (木) 20:47:46 New
  • 4-5周回中・・出る気配はない・・ -- 2016-06-25 (土) 23:27:26 New
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White




*1 2015春イベントで実装された姉の高波も「第三十一駆逐隊」を名乗っているが、朝霜らが就役した際には既に三十一駆隊の長波以外の三隻(巻波・高波・大波)は喪失しており、関わりは無い。
*2 8度の爆雷攻撃を生き延びた猛者であり、ミッドウェー島砲撃を行う漣と潮を目撃したり、バラスト代わりにフィリピンの銀行から運び込まれた金の延べ棒を積み込んで輸送したり、第三次ソロモン海戦で霧島を雷撃したなどのエピソードを持つ
*3 日本の駆逐艦が単独で潜水艦を撃沈した例はこれを合わせて4例であり、他はシャーク(山風あるいは)、パーチ(潮)、スカルピン(山雲
*4 一方で栗田長官の旗艦となった大和に艦隊司令部通信員は収容されず、第一戦隊司令部の通信員が第二艦隊司令部の通信業務まで代行するオーバーワークで、その後栗田艦隊の情報分析は混迷を増していく。同じく愛宕乗員の救出を行った岸波は大和に乗員移乗させているが、朝霜は直後に高雄の護衛に回っているために移乗させる機会がなく、この愛宕沈没と通信員の戦線離脱が栗田艦隊反転の一因となったと指摘する研究者もいる。
*5 あの坊ノ岬沖海戦でも敵機の総数は386機である。この数の機体が狭い湾内にいる駆逐艦部隊に襲いかかる光景は想像に余りある。
*6 駆潜艇46号については各証言や記録で若干の食い違いがあるが、この直前に挫傷した輸送船せれべす丸の護衛に回っており、湾内には突入していないようだ
*7 浜波から救助された乗員は十数名とする記述もあるが(『日本水雷戦史』など)、朝霜や浜波乗員の証言から判断しこのページでは269名とした。
*8 陸軍気象班の予測では実行期間中の三日間は豪雨が続くとのことで強く輸送を要望されていたという事情もあったのだが、「仮に晴れたらどうするつもりなのか」という早川司令官の抗議は無視された。懸念の通り、出立時には雨天だったものの、オルモック湾突入時には空は晴れ渡っており(相手にとって)絶好の空襲日和となってしまう。
*9 その後、残った岸波が潜水艦によって撃沈させられ第三十一駆逐隊は解体した
*10 この時期の連合艦隊司令部は神奈川県日吉の地下壕内にあった。
*11 伊藤正徳「連合艦隊の最後」より。公の場での上級司令部批判はもちろん最大級のタブーであり、駆逐隊司令が連合艦隊司令部を公式の作戦会議で堂々と罵倒までするのは日本海軍の歴史上でも稀な異常事態である。
*12 映画「聯合艦隊」で、小滝司令による司令部非難が再現されている