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朝霜

Last-modified: 2017-11-20 (月) 21:11:40
No.225
なんだよ清霜しつけーな! やめろって! ……って司令かよ! イイ覚悟だほら! 壁に手ぇつきなよ! いくぜ!朝霜(あさしも)夕雲型 16番艦 駆逐艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久16火力10 / 29
装甲6 / 19雷装24 / 68
回避47 / 80対空9 / 44
搭載0対潜35 / 64
速力高速索敵6 / 19
射程16 / 59
最大消費量
燃料15弾薬20
装備
12.7cm連装砲
九三式水中聴音機
装備不可
装備不可
改造チャート
朝霜朝霜改(Lv45)
図鑑説明
あたいは夕雲型駆逐艦、その十六番艦、朝霜さ。よーく覚えとくんだよ。
戦況が悪化した頃にデビューしたんだ。でも、その末期の戦線を、文字通り縦横無尽に駆けまわったぜ。
やるだけ…やったさ!

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:茅野愛衣、イラストレーター:藤川 (クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

  • 2015年2月6日のアップデートで新規に実装。同時に実装された他のと異なり、イベント海域クリア報酬では無くドロップ艦。
    同日から始まった冬イベント:期間限定海域【迎撃!トラック泊地強襲】のE2以降のボスやE5道中のドロップで入手できた。
    • 2015年夏イベ以降は、毎回イベントでのドロップが確認されている。しかし武勲艦なだけあって配置されている場所が癖のあるマップ・マスであることが多い。
      作戦難易度を低くしての周回も考えられるが、後述する4-5での周回も考えられる。
      • 上記のように入手が難しい艦娘の一人だが、実装から1年後の2016年冬イベント礼号作戦ではE2の史実艦ルート固定に関わるためか高ドロップ率だった。(周回しやすいE1ボス高確率かつE2道中でも出た)
  • 2015年6月12日のアップデートで実装された4-5にて、待望の通常海域でのドロップが確認された
    ただし同海域は通常海域の中でも屈指の強ボス&道中編成で、イベント海域深部並みの探索難易度。
    探索する際は、十分な余力を確保して臨むか、勲章のついでと割り切ろう。
  • 清霜+早霜)÷2といった感じのビジュアル。
  • 長波や清霜と同様に特徴的な髪色、こちらは銀髪(もしくは灰色)に内側紫となっている。
    • そして改になると内側の色が紫→蒼のグラデーションになる。今までにない変化。
    • 右目は髪に隠れており、早霜と違って中破しても見えないまま。実艦の朝霜の「右側」に関わるエピソードは撃沈状況の一説として右舷から集中攻撃を受けたというものがあるが、それが関係しているのだろうか。
      左目の特徴として瞳孔は極端に上向きについている。描きおろしイラストでは通常の位置にある時と上向きについている時の両方があるが。
  • 普段の立ち絵では解像度の関係でわかりにくいが、改造画面の顔アップで確認するとギザ歯である。
  • ガキ大将のような喋り方が強烈な印象を与えるが、性格は意外に真面目で素直。ただし提督のセクハラに対しては容赦無い対応を見せる。
    • 「壁に手をつけ」とは、海軍でよくあった制裁「バッター」を受けるポーズ。汚い大人は修正されるのであるっ!
  • ドロップ時に「忘れんなよ!」とやたら念を押してくるのは、一人取り残されて最期を迎えた史実からだろう。そのような艦歴を「やるだけやったさ」とまとめるさっぱりとした子である。
  • 更に家具の『鎮守府カウンターバー』を使うと、時間帯によってビール→日本酒→ワイン→ウィスキーと変える「ちゃんぽん朝まで飲み勢」であることがわかる。とんだ呑兵衛である。
  • はすっぱな性格は長波を想像させるが、実際にコンビを組んでいる(ボイスでは「第三十一駆逐隊」としか触れていないが)。
  • 4月23日のアップデートでは夕雲型の中から唯一記念ボイスが用意されている。それにしてもいつも以上にテンションが高い。もしかしてこいつ酔って……
  • 2015年12月、某雑誌のTVCMにフル出演を果たす。突如テレビから「朝霜出るよ〜!(しかもいつもより高い声で)」と流れてきて茶を吹いた提督が続出したとか何とか……。


  • 改造前で九三式水中聴音機、改造後で三式水中探信儀と、初期装備だけでソナーを2個回収可能。開発が難航している提督やより上位のソナーへの改修更新を目指す提督には有難い。
    • 特に四式ソナーの改修材料である九三式ソナーについては、未改造で持ってくる唯一の艦である。
    • 三式ソナーについては磯風山風と同様に駆逐艦としては7位のLv45が必要な一方、5-4まで進めていれば多くドロップする同じ夕雲型の巻雲長波がLv30で持ってくるためそちらが楽だろう。
    • また改造すると対潜値が全駆逐艦の中でも五指に入る高さとなり、対潜先制攻撃を行う際に有用となる。(朝霜改を参照)
  • 現時点で夕雲型の中で唯一時報ボイスが実装されていない。改二で追加フラグ?
  • 2015年12月8日のアップデートで追加された「礼号作戦」(小ネタ参照)の編成出撃任務(2-5ボスS勝利)で必要となる。
    これらには比較的低ドロップ率の大淀清霜も必要なのでその点、現在最難関クラスの編成・出撃任務かもしれない。
  • 2016年8月31日のアップデートで季節限定グラフィックとして秋祭り法被modeが実装。
    • 法被の下はサラシ一枚と威勢がいいが、やっぱり肌寒さが勝る模様。
限定イラスト:鎮守府秋祭りVer.
  • 2017年初夏のローソンとのコラボキャンペーンで朝霜の浴衣modeグラフィックが描き下ろされ、同年7月31日のアップデートで季節限定グラフィックとしてゲーム内にも実装された。
    • 白い浴衣でべっこう飴を舐めながらお祭りを楽しんでいる模様。
    • 浴衣modeのグラフィックは立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。
      限定期間終了後に図鑑に格納された。
      なお浴衣modeの艦娘の中で朝霜のみ、同年9月29日のアップデートで秋祭り法被modeに切り替わる形で一足先に浴衣modeが終了している。
限定イラスト:浴衣mode

小ネタ Edit

  • 夕雲型駆逐艦十六番艦。1942年度(マル急計画)仮称第344号艦として藤永田造船所で1943年1月21日に起工、1943年11月27日に竣工。
    • 夕雲型で同じ藤永田造船所出身の艦娘は巻雲長波藤波(2017冬イベント時点)。他にも駆逐艦を多く建造しているので、興味のある人はググってみよう
    • 同型艦の中で起工から就役までが最速であるため、「○霜」クラスの16番艦ではあるが、就役順では下に岸波と沖波という「○波」クラスの名前を冠した艦が二隻いる。
  • 夕雲型は艦隊決戦型駆逐艦の最終形ながら、戦線の不利や水雷戦の衰退が起こり始めた時期に就役した艦が多く、満足に結果を残せず短い生涯を終える艦が多かった。
    そのような中、この朝霜は図鑑での本人の言の通り、戦争末期に投入され実働期間は一年程度ながらも、非常に濃い経歴を持つ夕雲型屈指の殊勲艦である。
  • 竣工後は龍田幼稚園第十一水雷戦隊に編入し呉に移動。当時呉には修理復帰艦艇の満潮不知火がおり、彼女らとともに柱島に移動する。
  • 柱島では上記のメンバーに加え、同型艦の浜波(12月15日に転出)や第二艦隊所属の山城伊勢日向春雨矢矧らといった面々と訓練に励んでいる。
  • また、沖波・時雨・春雨と共に山城を護衛して横須賀まで回航するという任務も請け負っている。
    この頃就役した駆逐艦は22号対水上電探の訓練を行っており、朝霜はその成果を対潜活動などでしばしば発揮することになる。
  • 1944年2月10日、岸波・沖波と共に長波一隻となっていた第三十一駆逐隊に編入され、能代旗艦の第二水雷戦隊付けとなる(もっともこの時期はその長波も修理中で不在)。*1
    • この時の艦長は2代目の杉原与四郎中佐、彼はこの後の朝霜での全ての艦歴において、艦長として指揮を取り続けた*2
      謹厳実直で家族思いの人柄で、息女の道子さんは幼いながら*3も久方ぶりの父の帰宅に喜んだ道子さんら兄妹が、はしゃいで晩酌をする父の身体まつわりついていると、艦長はニコニコしながら「静かにしなさい」と言いながら御猪口で飲み続けた、おとなしく優しい父の姿を覚えているという。
      • そんな杉原艦長が、一度だけ龍子夫人に厳しい態度をとった事がある。
        最後の出撃も近い1945年3月下旬、島根県の出雲に住む夫人は、急な夫からの呼び出しを受けて呉に向かい、指定の旅館で待っていた。
        やがて杉原艦長が驚いた顔で現れたのだが、艦長は一顧だにせず妻の腕をとり、「今は一番大切な時だ。私情を差し挟む暇も気持ちもない。駅まで送るから」と言って引きずるように呉の駅まで連れて行って汽車に乗せてすぐ返してしまった。
      • 呼んでおきながら会って早々に家に帰した夫の行動に夫人は「せっかく人を呼んでおきながら、なんと薄情な人だろう」とショックを受け、汽車の中で声をあげて泣いたという。そしてこれが夫人と艦長の今生の別れとなった。
      • だが夫人を呼んだのは、実は艦長ではなかった。実はこの日は出撃前の最後の乗員が上陸を許された日で、多くの乗員が家族と最後の再会をしたりしていた。只中には間に合わないからなどの理由で家族と会わない乗員たちもおり、艦長はそういった人々と一緒に酒を酌み交わしていた。そういった艦長に、奥さんと会ってもらおうと、水雷長の水野大尉が艦長の名で夫人を呼びだし、こっそりと会わそうと気を利かして行った行為だった。水雷長から妻が来ている事を知った艦長は、どの様な思いですぐ返したのかは分らないが、家族との最後の別れも出来ない乗員がいる中で、自分だけが夫人に会うことは出来ないと考え、敢えて妻に厳しい態度で追い返したのではないだろうか。
      • 後年、水野大尉の妹さんと会い、呼び出しの本当の経緯を知った夫人は、あの時汽車に乗せられた際に夫が言った最期の言葉「子供たちを頼む」と、敬礼しながら妻を見送った夫の姿を最後まで忘れず、「山も哭く、野も哭く、花も哭く、この世の分れの、夜を星降る」という詩を残した。そして夫の遺言を守り、3人の子と自身と夫の両親など10人の家族の世話を一人でこなし、夫の買ってくれたミシンで放出された布をシャツに仕立てて売り歩いたり、農作業に従事したり、出雲と大阪間を満員の汽車で往復してそれらを売り払ったりなどして必死に生きぬいた。そして大和の慰霊碑などがある徳之島犬田布岬には龍子さんの詠んだ上記の歌碑が建立され、現在も他の艦艇の慰霊碑と共に残されている。
    • 艦上においては僅かなミスも許さない厳しい杉原艦長だったが、普段は穏やかで下士官や兵士にもきつい言葉を一切使わなかったという。乗員たちからは優しい兄のように慕われており、規律を守りつつ艦内の雰囲気は良かったという。
      • 朝霜の雰囲気の良さは定評があり、艦長から一水兵に至るまで感じの良い乗員ばかりで居心地がよく、酒や食料や煙草にも恵まれていたといわれる。
        艦の厳しい生活で乗員が一番欲しい食べ物は「生野菜」であった。しかし保存がきかないため出航すると数日で食卓から消えてしまうのがどの艦でも見られる光景だった。
        そんな中で一番保存が利き、手に入れやすいのが「玉ねぎ」で兵たちの銀蠅行為の対象の第一位と言ってもよかった。乗員たちは寄港時の物資搭載作業の際、主計科の食糧搬入の応援要請が分隊毎に来ると、派遣された隊員が甲板から艦内の倉庫への途上で見張る主計科の兵たちの目が届かぬうちに食料の一部をちょろまかすのだが、よく狙われるのが「玉ねぎ」であり、多い時は甲板から倉庫に移動したら玉ねぎの量が半分になっていたという事もあった。朝霜でも玉ねぎは無論のことこういった銀蠅行為は他の艦と同様あったのだが、担当の主計科士官は「どうせみんなが食べるんだから、どこの分隊が保存してても同じこと」と笑って見逃してくれていたという。
        転勤等で生き残った元乗員は皆口を揃えて「朝霜ほど和気藹々とした人間関係の良い艦はなかった」「嫌なことや辛かったことは無かった」と述懐している。
        そのような暖かな絆に結ばれた艦だったため、乗員たちはおざなりな仕事などせず、自然と自分の役割に全力を尽くしていたという。
        このため、天一号作戦直前に転勤した航海長の芦田収大尉などは後述の「機関整備の手抜きによる故障」など絶対にあり得ないと、心ない噂を一笑に付している。
    (トラウト撃沈)
  • その後は船団護衛や対潜警戒に従事している。リンガでは4月14日に第六十一駆逐隊(秋月初月・若月)と共に対潜哨戒を行うなど、第十戦隊と共に行動することもあったようだ。
  • マリアナ沖海戦では先立って浜風五月雨と共に日栄丸船団のバリクパパンからタウイタウイへのタンカー護衛任務を命じられ、本戦では二水戦能代の指揮の下で第三航空戦隊・第四戦隊に所属している。
    海戦後は島風と共に空襲を受けた榛名の佐世保帰投までの護衛を行った。
  • この間、第三十一駆逐隊所属ながら修理のため面識のなかった長波が復帰。岸波・沖波と合わせてようやく四隻が勢揃いする。
    (レイテ沖海戦)
  • その後、二水戦旗艦を継承した島風と共にブルネイからマニラに向かう。そして多号作戦において長波と再びコンビを組む(沖波は熊野の護衛で一足早くマニラに着いていたが、岸波は別任務のため多号作戦に参加していない)。
    この時第三次船団は出撃予定日の前日に起こったマニラ空襲(那智が沈没、が大破)により延期せざるを得ず、第四次船団が先に出撃することになった。この空襲において朝霜も対空戦闘を行っており、砲術長が戦死するなど十数名の戦死者を出している。
    • 朝霜は第四次多号作戦に編入され、ヒゲのショーフクこと木村昌福司令官の乗る霞率いる・長波・秋霜・若月と共に第四次船団護衛を行う。
    • この船団は幸運にも空襲をさほど受けず、また輸送船が比較的高速であったため、オルモック湾への人員の輸送には成功する。しかし、輸送のための大発は木村司令官の事前の希望の一割しか用意されていなかった。これは敵の機銃で穴だらけになり使えなくなったり、前日の暴風雨により埋もれてしまったためだという。
      そのため激しくなっていく空襲の中で武器の陸揚げは困難だと判断し、人員のみの陸揚げで打ち切りとなった。このため、ほぼ丸腰で揚陸された兵士も結局陸上戦闘で大多数が犠牲となってしまう。
    • 更に帰還中の空襲で高津丸・香椎丸・第11号海防艦が沈没し、秋霜が大破。人命救助に定評のある木村司令官はこの時も現場に留まり、輸送船には海防艦を、秋霜には潮を付け先に退避させた。霞・朝霜・長波は香椎丸らの生存者を救助し、帰路についた。
  • オルモック湾からの帰還途中、遅れて出撃した第三次船団と遭遇し、朝霜・長波・若月は第三次船団の護衛(島風・浜波・初春・竹・第30号掃海艇・第46号駆潜艇)に移るよう指示される。島風に座乗し船団護衛を率いる早川幹夫少将は第二水雷戦隊司令官であり、第三十一駆逐隊の朝霜と長波は元の所属に戻った形になる。
    • 朝霜らの代わりに第三次船団からは初春・竹が第四次船団に移った。これは事前の予定通りであったという。
      ――そして、これが一水戦と二水戦、両者の運命の分かれ目となるのである。
    (第三次船団、その顛末)
  • 朝霜を残してこの大惨事第三次多号作戦の船団は全滅。ただ一隻この地獄の海から生還した朝霜は、他の駆逐艦と共にマニラから脱出しシンガポールに到着し、ここで駆逐艦勢は艦隊の再編成を行う。朝霜は第三十一駆逐隊から清霜と共に第二駆逐隊を結成する*12。そして第一水雷戦隊からほぼスライドする形で再編された第二水雷戦隊は、礼号作戦に挑むことになるのである。
    (礼号作戦での朝霜)
  • 北号作戦によって伊勢・日向・大淀・朝霜・霞・初霜ら完部隊は内地に帰還する。朝霜はゴムと錫を各50鼎困沈僂鵑任い拭この時既に清霜を喪ったことで第二駆逐隊は解散されており、初霜のいる第二十一駆逐隊に編入されていた。
  • 数々の激戦を生き延びてきた朝霜だが、その船体は多くの損傷を受けており、一刻でも早いドック入りを望まれていた。そして呉第四船渠(戦艦用)へ冬月・初霜・朝霜の三艦が同時に入渠することとなる。
    損傷程度の軽かった朝霜が最後になっていたが、二水戦司令部は「最重要優先事項」として矢矧の電探交換にかかった。杉原艦長も「矢矧電探の件、早急に解決されたし」と意見具申している。「現時点でも戦闘航行は可能だし、当面朝霜の出番はないのだから」と思っていたからである。
  • しかし、その僅か数日後沖縄方面での作戦が決定し、朝霜は満足に修理もできないまま呉から佐世保に移動することになる。
    その途中、僚艦の響が触雷し航行不能となり、朝霜はこれを呉への帰還の途中まで曳航する。響はこの損傷により後の作戦に外れることとなった。
    艦長は再度機関補修を依頼していたが、呉は空襲に遭っていたことなどから拒否されている。
    (天一号作戦と朝霜の喪失)
  • 朝霜の慰霊碑は静岡県三島市の妙法華寺に建立されている。戦後に朝霜乗員の遺族が駆けまわって「朝霜遺族会」を作り、私財で建立したという。
    またその隣には愛宕の慰霊碑も並んで建っている。朝霜の慰霊碑が建立されたことを聞いた愛宕乗員たちが、
    かつて朝霜によって愛宕乗員492名の生命を救われた恩に感じ入り、傍らに建碑することを望んだためである。
  • またこの遺族会の際に出会った前述の小滝大佐の長男国雄氏と、杉原艦長の息女道子さんが、その時の縁が元で結婚されている。
    (参考文献)
  • 朝霜の名は海上自衛隊には未だに受け継がれていないが、海上保安庁の巡視艇にはその名が存在した。
    • 旧・海軍17メートル内火艇「あさしも(CL-63)」がそれである。後に改造され、あさしも型巡視艇「あさしも(CL-302)」となった。
    • なお、いずれの時期においても「はつゆき」と「みゆき」は姉妹艇であった。あさしも型時代には「きよしも」(旧・海軍25トン内火艇(砲艇型)からの改造)と「はつはる」(旧・陸軍AB艇からの改造)も姉妹艇となった。

この艦娘についてのコメント Edit

過去ログ

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • 夏イベで掘れなくて後悔してましたが、4-5にてドロップ。大切に育てようと思います。あと浴衣グラ可愛いですね。 -- 2017-09-16 (土) 19:40:48
  • 今日6-5で2連続ドロップ計4体目かわいいからどうするか悩む -- 2017-09-17 (日) 21:16:51
  • なんだろう凄く可愛い。こういうタイプはそこまで好みじゃなかった筈なのに… -- 2017-09-17 (日) 23:01:56
  • しんどい(イベも4-5も) 坊ノ岬組が君だけなんやが -- 2017-09-19 (火) 16:49:07
  • MVPを獲った時のドヤ声がホント好き -- 2017-09-19 (火) 20:40:41
  • 最初は対潜値たかいから欲しい程度だったのに、ガキ大将的だったり勇敢だったり元気だったりの魅力にやられた。色気を感じさせない可愛さ -- 2017-09-20 (水) 00:01:42
  • このコ、手に入れてみないと魅力がわからないタイプなんだけど、未だに入手困難なのがほんとに惜しい もっと行き渡って欲しいよ、限定グラも持ってるのに・・・ -- 2017-09-23 (土) 21:43:45
  • 図鑑にいるのに艦隊にいない。ウチの朝霜何処へ行っちゃったの・・・? -- 2017-09-26 (火) 06:10:58
  • どうしても声にイメージが引き摺られがちだけど割りと真面目でしっかり者だと思うんだよ -- 2017-09-28 (木) 21:52:55
    • むしろ声聞いたことなかったからきっとかっこいい10割の娘なんだろうなぁとか勝手にイメージしてたけど…普通に…可愛い -- 2017-12-01 (金) 09:55:45
  • 法被modeになるからこの娘だけ一足先に浴衣mode終了 ちょっとさみしい… -- 2017-09-29 (金) 20:06:48
    • 浴衣modeの件追記しておきました(ただ画像の貼り方が分からないのでお手数ですがどなたかお願いできますでしょうか) -- 木主? 2017-09-30 (土) 19:19:18
      • あの画像ってどうやって用意してるんだろうか… -- 2017-10-07 (土) 20:00:44
  • 一年以上お休み後の先だっての夏イベで入手。可愛いなあこの子、集中育成中ですわ -- 2017-10-19 (木) 15:20:42
    • 当方は春イベでした。こつこつ育てて潜水艦狩りやってもらっています。 -- 2017-11-17 (金) 11:57:23
  • 朝雲発見の知らせを見てると、朝霜を見つけてくれんかなーと思う。 -- 2017-11-29 (水) 19:15:27
  • なんか最近この娘がおもしろい 「可愛い」とか「嫁にしたい」とかいうわけじゃないんだが、なんか和むというかなんというか… -- 2017-11-30 (木) 15:16:40
  • この娘いないと任務出来ないから出てくれないかなぁ… -- 2017-12-11 (月) 10:09:10 New
  • いい加減に建造落ちしてほしい -- 2017-12-12 (火) 14:15:54 New
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White




*1 2015春イベントで実装された姉の高波も「第三十一駆逐隊」を名乗っているが、朝霜らが就役した際には既に三十一駆の長波以外の僚艦(巻波・高波・大波・清波)は喪失しており、関わりは無い。
*2 初代艦長は艤装委員長時代を含めても3か月ほどで杉原中佐と交代しており、朝霜の短い一生の殆どは杉原中佐が指揮を執っていた
*3 杉原中佐の戦死時は5歳であった
*4 8度の爆雷攻撃を生き延びた猛者であり、ミッドウェー島砲撃を行う漣と潮を目撃したり、バラスト代わりにフィリピンの銀行から運び込まれた金の延べ棒を積み込んで輸送したり、第三次ソロモン海戦で霧島を雷撃したなどのエピソードを持つ。
*5 日本の駆逐艦が単独で潜水艦を撃沈した例はこれを合わせて4例であり、他はシャーク(山風あるいは)、パーチ(潮)、スカルピン(山雲)。
*6 一方で栗田長官の旗艦となった大和に艦隊司令部通信員は収容されず、第一戦隊司令部の通信員が第二艦隊司令部の通信業務まで代行するオーバーワークで、その後栗田艦隊の情報分析は混迷を増していく。同じく愛宕乗員の救出を行った岸波は大和に乗員移乗させているが、朝霜は直後に高雄の護衛に回っているために移乗させる機会がなく、この愛宕沈没と通信員の戦線離脱が栗田艦隊反転の一因となったと指摘する研究者もいる。
*7 あの坊ノ岬沖海戦でも敵機の総数は386機である。この数の機体が狭い湾内にいる駆逐艦部隊に襲いかかる光景は想像に余りある。
*8 第46号駆潜艇については各証言や記録で若干の食い違いがあるが、この直前に座礁した輸送船せれべす丸の護衛に回っており、湾内には突入していないようだ。
*9 先任参謀をはじめ生存者17名は第7次多号作戦にてオルモック湾に上陸した「竹」により救助された。後に松原中佐は雪風・初霜の17駆司令として宮津港空襲で指揮をとる。
*10 浜波から救助された乗員は十数名とする記述もあるが(『日本水雷戦史』など)、朝霜乗員の証言や浜波乗員の手記から、そこまでの少人数ではなかったと判断しこのページでは269名とした。
*11 陸軍気象班の予測では、実行期間中の三日間は豪雨が続くとのことで強く輸送を要望されていたという事情もあったのだが、「仮に晴れたらどうするつもりなのか」という早川司令官の抗議は無視された。懸念の通り、出撃時には雨天だったものの、オルモック湾突入時には空は晴れ渡っており(相手にとって)絶好の空襲日和となってしまう。
*12 その後、残った岸波が潜水艦によって撃沈され第三十一駆逐隊は解隊した。
*13 前任は北号作戦で共に生還した伊勢の副長であった。それ以前には日向の航海長だったこともあり、伊勢型姉妹に非常に縁のある人である。
*14 この時期の連合艦隊司令部は神奈川県日吉の地下壕内にあった。
*15 伊藤正徳「連合艦隊の最後」より。公の場での上級司令部批判はもちろん最大級のタブーであり、駆逐隊司令が連合艦隊司令部を公式の作戦会議で堂々と罵倒までするのは日本海軍の歴史上でも稀な異常事態である。
*16 映画「聯合艦隊」で、小滝司令による司令部非難が再現されている。