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日向改

Last-modified: 2017-09-14 (木) 07:24:51
No.103
やっと時代が私に追いついたのか……。日向・改(ひゅうが)伊勢型 2番艦 航空戦艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久77火力63 / 86
装甲-- / 92雷装0
回避36 / 77対空45 / 92
搭載47対潜0
速力低速索敵24 / 60
射程30 / 79
最大消費量
燃料95弾薬105
艦載装備
1135.6cm連装砲
11瑞雲
11未装備
14未装備
改造チャート
日向日向改(Lv10)
図鑑説明
航空運用能力を付与された航空戦艦、日向だ。
レイテでも奮戦したぞ。
戦略物資輸送作戦「北号作戦」も思い出深いな。
ああ、そうだ、海自のDDH「ひゅうが」に名は受け継がれている。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。
最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:大坪由佳、イラストレーター:しばふ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

  • 基本的な部分は伊勢改を参照されたし。
  • 伊勢と同様、史実ネタにかけて運の数値がさらに+15上昇している。
  • 台詞では姉や最上改をはじめ、航空戦力好きな一面を見せてくれる。
  • 2014年4月23日のアップデートで弾着修正射撃が実装された結果、(制空権争いに勝つ必要はあるが)姉ともども昼夜を問わない連撃・カットインの鬼と化した。
    敵に空母がいない場合は、瑞雲シリーズや晴嵐のみでも制空権を取れるので、運用の幅も大きく広まったといえる。
    航空戦艦時代の到来かっ!?
  • 2014/10/24メンテにて装甲最大値が87→92に上方調整され、伊勢改と全く同じになった。
    • 同メンテ前に姉より2低かった理由は諸説あるが、「幾度もの事故で体に無理が来ている」説が有力か。
      バスト胸部装甲のサイズ説も根強い。
  • 2014/10/24メンテにて艦載機搭載数が44→47に上方調整された。
    • 〜2014/10/24 搭載数44【11,11,11,11】
    • 2014/10/24〜 搭載数47【11,11,11,14】(4スロットのみ+3)
      ※燃料/弾薬を補給しないと艦載機が補充されないことに注意
  • 2016/04/22メンテにて姉共々火力最大値が+4、対空最大値が+3、索敵最大値が+11された。
  • 2017/06/23メンテにて姉共々火力最大値が+3された。
  • 「これからは航空火力艦の時代だな」「単なる戦艦の時代は終わったな」「艦載機を放って突撃、これだ」「まあ、そうなるな」「VLS?そんな装備は知らんぞ」
    などなど名言(迷言)が多く、提督同士の会話で上記のセリフやそれを改変したものなど、日向のセリフに由来する言葉がたびたび交わされている。
    • 期間限定ボイスなどで瑞雲への言及が多いことや上記の名言などから、ついたあだ名が「日向師匠」。艦これにおいて単に「師匠」と言えば十中八九日向のことを指す。
      二次作品では瑞雲の魅力について延々語ったり、航巡たち相手に瑞雲のレクチャーをしたりとやりたい放題。
    • Commandant Testeの放置ボイスで瑞雲を布教渡していることが判明、半公式化(?)されてしまった。
      • 真面目な話をすると、4スロ・甲標的不可・瑞穂を上回る搭載数 という特徴を持つCommandant Testeは手数と索敵を稼ぐ瑞雲や制空補助の水戦に対する適性が高く、
        日向の行動も、彼女の適性を見抜いた上での瑞雲布教であると考えられる。そうだと言ってくれ。
  • 今でこそ「日向=瑞雲」のイメージが強いが、彼女が「瑞雲」に直接言及したのは2014年の年末ボイスが最初であり、巷で言われているような瑞雲愛好家的な側面は、少なくとも表面上は見受けられないことに注意。
    彼女の言動は、戦艦の火力防御力と航空戦力の融合による「航空火力艦」推しである。
    • なのだが、最近実装された海外艦に、瑞雲のなんたるかを教授しているようである。
  • 2017年6月23日のアップデートにて富士急ハイランドコラボとして鎮守府「瑞雲」祭り【法被mode】が実装された。
    • 同時に最大火力も上方修正された。気合を入れた結果なのだろうか?
    限定イラスト:法被mode

小ネタ Edit

  • 航空戦艦姉妹(妹)。が、例によって艦載機の配備遅延などで航空戦艦としては運用してもらえなかった。
    この時の事情は、2014年3月14日にめでたく新実装された瑞雲(六三四空)の小ネタで解説されている。
    • が、その飛行甲板に山のように対空火砲を増設。*1
      同時期の長門金剛榛名をも軽く上回る圧倒的な防空火器を備えている。さすがに最終型大和には劣るが、攻撃側としては回れ右したくなるような対空火線を誇った。*2
  • 航空戦艦改装時、海軍は改装計画として三つの案を持っていた。
    • 後部の砲塔2基を撤去して飛行甲板をつける第1案。
      これが採用されたのだが、この案を強く推したのは、意外にも航空戦を管轄する航空本部だったという。
      一番航空機搭載数が少ない案なのだが、工期が短期間で済むという利点があり、航空本部が母艦戦力をどれだけ渇望していたかがわかるというものである。
    • 後部と中部の主砲4基を撤去して前部の2砲塔だけ残す第2案。
      工期が長引くということで蹴られた案だが、軍令部の「昭和18年度中に工事を完了すること」という最重点指示を満たせると呉海軍工廠は自信を持っていた。
      搭載数40機程度を確保できる案だが、主砲2基4門だけでは砲撃戦で有効な砲撃ができなくなることや、ここまでやっても艦上機の着艦が不可能なこと、第1案に比して工期が長引くことなどの理由で流れた。
    • 完全空母化する第3案
      計算では、1段の格納庫と全通飛行甲板を備えることで、蒼龍並みの搭載数を持ち、防御力に優れるが速力に劣る空母になるとの試算だった。
      速力25ノット程度では、通常は天山や彗星といった新型機の発艦が困難ながら、戦艦譲りの巨体を活かして飛行甲板に余裕ができるため、それらの発艦・着艦も支障なく行えるというものだった。
      完成予定が昭和19年中旬以降にずれ込み、また資材の余裕もなかったために真っ先に蹴られた。
    • こういった紆余曲折を経つつも、日向と伊勢の改装はそれぞれ約半年で完成した。建造中止になった大和型戦艦4番艦の資材を流用しての改装だった。
  • 仮に計画通り航空機を搭載して、計画通りガチンコの空母決戦に投入できていたら・・・
    雑誌「丸・平成26年7月号〜伊勢型戦艦特集」の記述を借りるならば、
    伊勢・日向二隻の艦載機だけで赤城の艦攻・艦爆数に匹敵し、連続射出可能なカタパルトで短時間で全機発艦でき、空母戦の肝である先制攻撃で敵空母の甲板を爆撃で叩き潰し、
    敵前衛艦隊の追撃を自前の艦砲で蹴散らし、突撃しての掃討戦にも威力を発揮するという夢の様なロマンが実現していたかも・・・・・・しれない。
  • 一時解隊後再編成された四航戦(第四航空戦隊)の旗艦を拝命し、改装後初の実戦としてレイテ沖海戦に参加。
    姉ともども艦長が素人同然だったが、松田司令官謹製の爆撃回避マニュアルと航空改装で増強された対空火力ががっちりかみ合い、ほぼ無傷と言っていい状態でエンガノ岬沖海戦を生き延びる。
    一連の海戦において帝国海軍は大敗したものの、日向と伊勢は作戦を完遂して無事帰還した。
    • いわゆるエンガノ岬沖海戦の前夜、日向と伊勢は小沢艦隊から分離し、秋月・若月・霜月・初月を率いて松田少将指揮による松田支隊を編成、前衛部隊として南下していた。
      • ところが、栗田艦隊との連携の不備により、艦隊が孤立すると考えた小沢艦隊旗艦瑞鶴は、22時30分に日向率いる松田支隊に対して再合流の命令を出した。これにより松田支隊は小沢本隊に合流し反転北上した。
      • 実はこの時、日向と伊勢は、シャーマン少将指揮下の空母エセックス・レキシントンを基幹とする空母部隊に至近距離まで接近していた。
        もし栗田艦隊と小沢艦隊の連携が上手く行っていたら、日向と伊勢は南下を続け、この正規空母群と雌雄を決する夜戦が出来ていたかもしれない。
      • ただ、四航戦司令官松田少将は、戦後のインタビューで「この時シャーマン部隊と遭遇していたら、彼我戦力差から見て多勢に無勢で全滅していただろう」という旨の発言をしている。*3
    • エンガノ岬海戦において、空母が壊滅したあとの第四次空襲で大型艦である伊勢と日向が狙われたのだが、この時日向に来襲した来襲した機数は10数機(日向戦闘詳報)と記録されていて、日向は大多数の敵機と渡り合った伊勢程の集中攻撃は受けていないと思われる。
      それでも、新米と言っていい艦長の指揮のもと、無傷で防ぎきったのは賞賛に値するのだが。
      • 艦隊を二分していた小沢艦隊にあって、第一群の瑞鶴・瑞鳳を護衛していた伊勢はこの時小沢長官の乗る軽巡大淀と一緒に行動し、第二群として千歳千代田を護衛していた日向は、駆逐艦霜月と共に伊勢らと合流すべく追尾中であり、それぞれ別個の航空隊が来襲している。
    • 海戦後の帰途においても、日向と伊勢は潜水艦に付け狙われ、空襲直後、潜水艦による日向への雷撃を皮切りに少なくとも3回にわたる雷撃を受けている。
      日向と伊勢はそれをも全て回避して無事呉に帰還した。
      同じ頃、栗田艦隊の戦艦金剛らが、同じく潜水艦の追撃を受けて犠牲になっている。
    • なお、大淀に移乗していた小沢長官は、途中の奄美大島で旗艦を日向に変更している。
    • 航空戦艦に改装され、後部5・6番主砲を撤去したことで重量バランスが改善され、運動性が上がったという証言がある。
      もともと伊勢型は舵の効きがピーキーで操艦が難しい艦として有名だったが、レイテでの回避力は改装の副産物とも言える運動性向上の恩恵もあったかもしれない。
  • 海戦後一旦内地に戻った日向は伊勢と共に射出機を取った後、輸送任務に従事するため再び東南アジアへと進出することとなる。
    旗艦日向の頭文字から「H部隊」と名づけられたこの部隊は、日向・伊勢の四航戦と軽巡五十鈴駆逐艦霜月・涼月・梅・桐・槙・桃・桑・杉からなる第三十一戦隊を伴ってフィリピンのマニラに向かう。途中で軽巡大淀や重巡足柄、複数の駆逐艦と合流し共に各地を転々とした。
    この時期に外地でまとまった戦力として活動していたのは最早このH部隊だけである。
    停泊中は四航戦と足柄・大淀が敵役となって駆逐艦の訓練相手をしていたと言う。*4公式4コマで伊勢型姉妹が教官役をしているのはこれが由来かもしれない。*5
    • ちなみにアメリカ軍は四航戦をフィリピン戦線の懸念材料*6としており、この大移動は残存勢力の集合と捉え、
      「いつ攻めてくるか分からない」と北号作戦まで執拗に追いかけ続けることになる(特に攻撃を許した礼号作戦後はさらに彼女らの動向にピリピリしていた)。
    • しかし偵察機を飛ばして彼女らを見つけても、偵察機の存在に気づかれていて逃げられもぬけの殻だった、というのを何度も繰り返す羽目になる。
      特にエンガノ岬沖海戦で取り逃がして以来四航戦に執心していたアメリカ海軍第三艦隊指揮官のハルゼーはそのたびに歯噛みしていたとか。
    • その意図を読み取ってか、北号作戦において松田少将もフィリピンに突入すると見せかける航路を取り、米軍に脅しをかけていた。
      まさか輸送作戦に従事していたとは夢にも思っていなかったのである。
  • 44年12月末、ベトナム沿岸のカムラン湾に進出していた日向は、礼号作戦に出撃する足柄から南西方面艦隊司令部を移乗させて、支援任務とともに木村艦隊の指揮を執っている。
    その後も伊勢・大淀足柄らとともに、連合軍の執拗な空襲を時には回避、時には迎撃しつつマレー半島やボルネオ島などの各地を渡り歩いていた。
    • 礼号作戦では、日向と伊勢は低速かつ大型のため港湾突入に不向きとされて、木村艦隊の後方支援を行っていた。
      木村艦隊の帰還の際、敵の追撃を阻止するべく出撃した日向と伊勢は無事に木村艦隊と合流、ちょうど昭和20年の正月だったため、以下木村艦隊の各艦艇に餅を振る舞ったという。ただ、餅は若干古くなっていて酸っぱくなっていたそうな。
  • 45年2月には戦略物資輸送作戦「北号作戦」に艦隊旗艦として参加。格納庫に戦略物資を満載して僚艦ともども無傷で帰還した。
    全滅覚悟の作戦だったが、それでも全艦無事に帰投した彼女らを見て海軍上層部が狂喜乱舞したらしい。
    「完部隊」と名付けられた北号作戦参加艦艇は、日向、伊勢、大淀初霜朝霜の6隻。2015年冬イベントで朝霜が実装されたことによって、完全再現が可能となった。
    • 護衛戦闘機や哨戒機の支援なき過酷な任務だった。航空戦隊でありながら日向・伊勢共に搭載機はなく、艦隊の航空戦力は大淀搭載の零式水偵2機のみであった。
    • 全艦に積めるだけの物資を目一杯積みこんだが、伊勢姉妹と随伴艦の持ち帰った物資は総計しても中型輸送船1隻ぶんにも満たなかった。
    • この北号作戦において日向は伊勢に攻撃を仕掛けようとしていた米ガトー級潜水艦「バッショー(SS-241)」に向けて主砲を発射、命中こそしなかったものの至近弾によって追い払うことに成功している。なおこれが日本海軍の戦艦による「艦船目標」に対して行った最後の「主砲発射」である。
    • この作戦中に日向以下の完部隊を狙った敵は、航空機延べ100機以上、潜水艦が米英合わせて26隻にものぼる。
      損害無く成功したのはまさに奇跡であった。
    • 途中、完部隊は台湾や中国などから第一駆逐隊の駆逐艦神風・野風や駆逐艦汐風・蓮の護衛を受けたが、揃って老朽艦でかつ悪天候だったこともあり、16〜18ノットで航行する完部隊に追従するのもやっとの状態だったという。
      • 完部隊と偶然遭遇した駆逐艦「蓮」は、感激した艦長が勇んで護衛を買って出たはいいものの、艦隊に追従できずにわずか30分ほどで脱落してしまったという。
        鈍重な戦艦に軽快な駆逐艦が追いつけないという面白い事例である。
    • 帰還した時、松田少将による燃費重視の航行の甲斐もあって、日向と伊勢の燃料タンクには相当量の燃料が残っていた。しかし、その燃料も大和に移され、これを以って大和は最後の戦いに散っていった。
      • 松田少将はこう回想している。
        「富岡君*7がわざわざ呉に来てね、おかげさまで助かります、と言った。呉に入って「大和」の伊藤第二艦隊長官*8に挨拶に行ったら、油は全部おれのところへくれ、と言われた。そこであるだけ全部を「大和」に移した。「大和」はそれで沖縄特攻に出て行ってしまった。だから建艦を立案して「大和」を産み落としたんもおれだし、「大和」に末期の水をくれてやったのもおれだ、と私(松田)は言うんです」*9
    • 燃料を譲った日向と伊勢は、ほとんど損害無く健在であるにも関わらず行動能力を失い、昭和20年3月1日、ついに第四航空戦隊は解隊された。
    • 予備艦となった日向、野村留吉艦長の心境は・・・「霊あるものと信ずる軍艦日向の為に万斛の涙流る
  • 以上のように、戦中は改装中を除いて第二戦隊・第四航空戦隊の旗艦を務めていたが、彼女が旗艦を務めた戦隊・艦隊・作戦とも、
    日向の直接指揮下の艦艇には一隻も損失がないという、特に戦争末期に活動した艦としては非常に幸運な記録を持つ。*10
    • この件について顕著な例がある。
      駆逐艦神風・野風・汐風からなる第一駆逐隊は、北号作戦において一時的に日向の指揮下に入っていた。北号作戦の命令文にもそう記載されている。
      まず神風と野風が台湾海峡で護衛し、途中で汐風と交代したのだが、神風と野風が日向の指揮下をはなれた直後の2月20日、野風が潜水艦の雷撃を受けて戦没したのであった。
    • 戦艦時代の事故連発が嘘のようである。航空戦艦となってからは「無事之名艦」とでもいうべき活躍だった。
      戦艦時代の暗い言動とうって変わって、航空戦艦で吹っ切れたような艦これでの彼女の変化は、この辺りを意識したものなのかもしれない。
    • 海軍内でも彼女の強運は有名だったようで、全滅も懸念されていた北号作戦の時も「日向、伊勢、大淀は運が強いからきっと大丈夫だ」という意見も出てたほど。*11
    • 彼女たちが被弾したのは、北号作戦後に第四航空戦隊が解隊された後である。
      燃料不足のために第一予備艦(作戦参加の機会ができれば直ちに復帰できる状態)となり、動けなくなってはさすがの日向もどうしようもなかった。
  • 連合艦隊主力艦でも数少ない生き残りだった榛名ともども呉鎮守府近海に停泊していたが、3月19日と7月24日の2度行われた呉軍港空襲で大破。
    草川淳艦長(北号作戦後に野村留吉艦長と交代)以下計204名が戦死し、重軽傷者は600余名に及んだ。
    • 沈没ではないにも関わらず、乗員の死傷率は7〜8割にも達するという壮絶な戦闘であった。
    • 前記のように、特にレイテ沖で取り逃がした「航空戦艦」をこれまでつけ狙っていたハルゼー麾下の攻撃隊は、24日の空襲でその約7割が日向に殺到したという。
    • 多数の至近弾が弾薬誘爆を起こし、浸水で7月26日に着底したが、残存クルーが無事だった機銃と12cm対空噴進砲で28日の空襲にも応戦し、終戦まで戦い続けた。
      航空写真を見ると甲板の半分近くが水面下だが、それでも迎撃を行ったクルーの根性には頭が下がる。
    • 戦後、アメリカ軍が着底した日向を調査した貴重な映像がカラーで残っている。
      艦首は吹き飛び、飛行甲板も直撃弾でボコボコにされ、艦橋もボロボロのままで佇む姿は、いかにこの空襲が激しいものだったかを伝えている。
      しかしここまで破壊されても、戦艦の命とも言える主砲は4基とも最期まで無事であった。
    • 姉妹とも大破着底とは言え、日本海軍の「軍艦」で姉妹共に生存していたのは伊勢型のみである。
  • 戦後に復興資材として引き揚げられ解体されたが、この時の逸話がまた凄まじい。
    • 解体するために引き取ったスクラップ業者が、作業のために日向を浮揚させたところ、これに目をつけた鉄泥棒が艦内に侵入。
      泥棒が金でできたバルブを叩き壊すと、浸水してまた着底してしまった。生涯二度も着底した軍艦など、探してもそうはいない。
    • これを裁く裁判で、浮揚したとはいえ航行能力のない船は、刑法260条(建造物等損壊の罪)でいうところの「艦船」になるのか?という議論がわき、結局「艦船」ではなく「建造物」として裁かれたという。(窃盗未遂器物毀棄被告事件 広島高等裁判所昭和28年(う)第196号
      • 海底に6年間も沈んでいて錆で腐食し、さらに3分の2を撤去されていたためもはや航行能力はないという理由で艦船ではないとされ、さりとて下甲板以下の巨大な構造をまだ残しており、さらに毎日7,80人ほどの作業員が解体作業のため出入りしており、地上ではないとはいえ一定の場所に係留されていたため単なる器物やスクラップの塊とも見なされず、結果として建造物扱いを受けるに至ったようだ。
    • さらに、浮揚作業員の待機所として使われていた第59号海防艦が、荒天のために日向と接触して沈没してしまった。
      • このように人災天災の連続で、日向1隻を浮揚する作業で逆に2隻が着底してしまったという、非常に困難な作業だった。
    • その後生涯2度目のサルベージを受けて、昭和22年7月4日、播磨造船所呉ドックにて解体が完了した。
      呉海軍墓地にある「軍艦日向慰霊碑」とは別に、この困難だった浮揚解体作業を記念する「伊勢日向浮揚解撤記念碑」が、広島県呉市音戸町にある。
  • 唯一残された航海灯と軍艦旗が大和ミュージアムに所蔵されている。
  • 数多くの有名軍人を輩出した歴代艦長の中でも、特筆すべきは第30代艦長の松田千秋(海兵44期)大佐であろう。日向艦長の後に大和の三代目艦長を務めて少将に昇進、四航戦司令官として再び日向に座乗した人である。
    • ガチガチな印象の強い砲術出身であるが、駐米武官の経験もあり視野の広い指揮官だった。でも渡米経験のある士官としては珍しくアメリカ嫌い。
    • 総力戦研究所所員時代、研究生採用試験にあたって現在も広く使われている面接という単語を提唱した。
      • 現代の面接のように試験官と受験者の対面形式の試験自体はこの当時すでに行われていた。この形式の試験名に「面接」という単語を松田が提案し、採用されたということである。
    • 大和型戦艦の建造計画に重大な影響を及ぼしており、また伊勢型・扶桑型の航空戦艦構想を主導したのもこの人である。
      またこの人の主張で電探の採用・開発が加速した経緯*12もあり、色んな意味で先見の明と行動力に富んだ提督だった。
    • 標的艦「摂津」*13の艦長時代に航空攻撃回避術*14と弾幕射撃術*15を研究し「空襲は全て回避できる」と豪語し、日向と伊勢の四航戦司令官として実際にそれをやってのけた超人であった。
      この人のおかげで日向と伊勢は航空戦艦となり、艦これでも強運・高回避艦になれたと言って差し支えないであろう。
    • 松田氏は大和艦長を退任後、少将に昇進し、軍令部の作戦部長に請われてその補佐を務めた際、「この戦はどうやっても負ける、ならばせめて艦長として戦いたい」と希望した。
      しかしすでに少将に昇進していて艦長にはなれなかったため*16、それでは司令官にということで、第四航空戦隊司令官に就任している。
  • 総力戦研究所勤務時代に、長期戦になれば日本は確実に負けることを予言し、またミッドウェー海戦直前の連合艦隊による図上演習において米軍指揮官を担当し、南雲機動部隊をフルボッコにしたことで、ミッドウェー海戦の大敗をある意味予言していた人物でもある。
  • 戦後はその構想力を活かして会社経営、発明家として100個以上の特許を取った。
  • 時は流れ平成の世、横浜で1隻のヘリ空母ヘリ搭載護衛艦が進水した。
    • 護衛艦として初めての全通甲板を持ち、自衛艦として初めて統合司令部機能を備え、災害派遣でも活躍できるよう医療体制も完備し、
      また初めて女性自衛官が乗り込むことを前提に設計された船でもあり、まさに革新的な新世代護衛艦の1番艦だった。
    • その記念すべき最新鋭護衛艦にDDH-181「ひゅうが」と名付けられた。海上自衛隊として初めての旧国名採用であった。
    • 「ひゅうが」の多目的室の一角に、ひゅうがと、その背後で守護神のように見守るかつての伊勢型航空戦艦の絵が展示されている。贈呈者はかつての敵手であったアメリカの企業である。
      米企業とは「ロッキード・マーチン社」。ひゅうが型護衛艦に搭載されるのではないかと一部で噂されていたF-35を作っている会社だったりする
      実は後ろで見守っている戦艦なのだが、後部マスト上部の取り付け位置から察するに日向ではなく伊勢だったりする。
    • またこの時、宮崎県(旧日向国)から「日向の名を持つひゅうがの活躍を県民一同期待して」という祝電と共に東国原英夫(そのまんま東)知事(当時)のサインが贈られている。
  • だいいちごえいたいぐんって・・・なんだ・・・
    • あなたの子孫「ひゅうが」が2015年3月まで旗艦を務めた、海上自衛隊第1護衛隊群のことです。海軍で言えば第1艦隊旗艦、つまり連合艦隊旗艦のような立ち位置なんですよ。*17*18
      • 当時の「第一護衛隊群のご先祖隊」を、「日向」のほか、「島風」「村雨」「」「金剛」「」「秋月」のうち6隻で組める。興味のある提督はお試しあれ。*19
        なお、あと1隻は「ありあけ」→「有明」(初春型・未実装)である。
    • 当然ながら1護群やVLS(垂直ミサイル発射装置)は知らないのに、ロクマル(UH-60シリーズ)は何故かご存知なんですね、航空機に関しては抜かりがない、さすがは航空戦艦です。
    • 貴女の子孫ひゅうがは、竣工直後で参加が間に合わなかった「いせ」の分まで、航空運用力を最大に活かして東日本大震災の救援活動に奮闘しました。
      さらに、平成28年の熊本地震においても、「ひゅうが」は熊本沖で救援ヘリのプラットフォームとして大活躍してくれました。
    • 上述の通り、「ひゅうが」は平成27年3月25日付けで、退役する「しらね」の後継として舞鶴の第3護衛隊群に転属となりました。
      あらたに部下となった「愛宕」「妙高」「夕立」「巻波(夕雲型・未実装)」「冬月(秋月型・未実装)」「涼波(夕雲型・未実装)」らの子孫を従え、日本海の最前線を支える大黒柱としてこれからも活躍してくれることでしょう。
  • なお、日向が望んでやまなかった航空戦艦の時代という夢はレーガン政権下の米国で一度復活しかけていたりする
    ヘリコプターの発展やVTOL機の開発によって垂直離陸が可能な航空戦力が強力になったので、米海軍がアイオワ級戦艦の三番砲塔を撤去し、そこに飛行甲板を設けてハリアー攻撃機やヘリコプターを発進させようとしたのだ。
    • だが冷戦が終焉を迎えはじめた時代、いくら米帝と言えど大金をかけてわざわざそんな浪漫改装を施すはずもなく、すべからくすべて廃案となり、アイオワ級の改装もトマホーク巡航ミサイルの搭載程度にとどまった。
    • でも先走っちゃったメーカーから、航空戦艦アイオワやニュージャージーのプラモが発売されていた。F-19戦闘機*20といい、この頃の模型メーカーはこういうお茶目な失敗が多い。
    • 目線を東側に向けると・・・当時のソ連は、ボスポラス海峡の空母通行不可を定めたモントルー条約をすり抜けるために、事実上の自前火力マシマシの空母である自称「重航空巡洋艦」を就役させていたりする。
  • 日向の言うとおり「ただの戦艦の時代」は確実に終わりを告げ、その後の「航空火力艦の時代」は確実に来ていたのである。
    • 現実はもとより、未来を扱うSF作品においても登場する宇宙戦艦は大体事実上の航空戦艦だし、航空火力艦のロマンは、現実・創作を問わず脈々と受け継がれるのである。

この艦娘についてのコメント Edit

過去ログ

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • あんな掛け軸実装されたら不満たまるわな。 -- 2017-08-05 (土) 19:38:05
    • やぁ釣れてますかな? -- 2017-08-05 (土) 19:48:41
  • 掛け軸が素敵だから余計に改二実装して欲しい… -- 2017-08-05 (土) 23:11:25
  • 釣り乙 -- 2017-08-06 (日) 14:52:04
  • 提督「航空戦艦日向の甲板ならばF-35は難しくてもSH-60やハリアーならば行けるのではないか?」 -- 2017-08-09 (水) 23:10:26
  • やっぱり富士急に出向してたんだろうか@公式4コマ -- 2017-08-11 (金) 12:20:20
    • そりゃ任務だし…なぁ -- 2017-08-11 (金) 21:47:01
  • 改二で設計図2枚とか3枚使っていいからロクマル等の現代兵器を積ませよう -- 2017-08-13 (日) 10:20:20
    • アイオワ改2が持ってくる(かもしれない)ハリアーをぜひ載せてみたい -- 2017-08-20 (日) 06:54:00
    • 昼は瑞雲を飛ばして突撃 夜は魚雷を飛ばして突撃…これだ -- 2017-09-01 (金) 16:02:49
    • もし改二があるなら「彗星」が載りそう。(彗星を運用する計画があったらしいので) -- 2017-09-09 (土) 15:07:05
  • 日向、時報まだだったのか…他も調べてみたらそこそこ未実装艦が居て驚く、何とか全艦娘に実装してあげてほしいもんだ -- 2017-08-19 (土) 18:51:02
  • 瑞雲とお酒か@三越コラボ -- 2017-08-25 (金) 20:44:09
  • E6輸送で法被着て熟練瑞雲カットインで無双してくれてる。えもいわれぬ嬉しさがこみ上げてくるな… -- 2017-08-27 (日) 12:43:11
  • 今回、E-1に伊勢、E-6輸送で日向使ったな。穴あけ機銃でPTにバンバン攻撃当ててるの驚いたわ。 -- 2017-08-29 (火) 14:26:25
    • うちも、今回は伊勢日向は傑出したPT殺しとして活躍してくれた。何故かめちゃくちゃ当たるんだ -- 2017-09-09 (土) 07:44:49
  • E1 で狭霧掘っていて、そういえば四「航」戦だったなと思いました。(瑞雲系47機発艦させながら -- 2017-09-04 (月) 02:53:05
    • 第二戦隊でも良いんだよ?(主砲48門斉射しながら) -- 2017-09-12 (火) 22:27:50
      • 砲門オオスギィ!! -- 2017-09-14 (木) 14:18:19
  • イベント中コツコツと改修してきた瑞雲634を熟練にできました!ありがとうヒュガー市長! -- 2017-09-09 (土) 15:00:26
  • 航空カットインか・・・瑞雲+主砲で航空火力カットイン・・・これだ [tip] -- 2017-09-12 (火) 21:39:04
    • 単なる戦艦の時代は終わったな -- 2017-09-13 (水) 01:36:24
  • 日向と瑞雲・・・・俺はどっちを選べばいいんだ・・・ -- 2017-09-16 (土) 18:15:41
    • どっちを選んでも、もれなくもう一方が付いてきます -- 2017-09-20 (水) 07:38:21 New
  • 観艦式で他の声優からも「師匠!」って呼ばれてて「ありがとう(キリッ)」と返したのは草。完全に瑞雲キャラを固定させたな -- 2017-09-16 (土) 21:17:55
    • お客さん(俺ら)からも師匠コールされてて愛されるキャラになったねw -- 2017-09-17 (日) 01:43:02
    • 満場一致で人気ダントツの艦娘だったなw特に夜の部 -- 2017-09-17 (日) 12:51:17
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*1 飛行甲板の両脇に、空母のように対空火器を並べていた。また、甲板上には移動式の25mm単装機銃11基を並べることも出来た。
*2 飛行甲板上にも機銃を並べたことで航空運用力を失ったとする意見が散見されるが誤解である。甲板上の機銃は移動可能で、飛行機を載せるときは機銃をどかすことが出来た。伊勢日向が航空運用力を失ったのは、レイテ沖海戦後にカタパルトを撤去した時である。
*3 「艦長たちの太平洋戦争」より。
*4 光人社『巡洋艦「大淀」16才の海戦』より
*5 日向は四航戦編成前に、一ヶ月だけだが錬成部隊である第十一水雷戦隊の旗艦を務めていたりもする。
*6 レイテ沖海戦後東南アジアに展開していた戦艦は四航戦の二隻のみだった事、またその海戦での激しい航空攻撃をほぼ無傷で乗り切ったので四航戦を「練度も高い危険な有力艦隊」と見ていた為。
*7 富岡定俊少将。松田の1期下の海兵45期。大淀初代艦長で当時軍令部第一部長。主に残された艦の燃料がなくなることを理由に沖縄特攻に反対していた。戦後降伏文章調印式に出席。
*8 伊藤整一中将。海兵39期。
*9 『歴史と人物』 昭和56年5月号より。
*10 厳密には、礼号作戦の折、日向は出撃する足柄から第五艦隊兼第二遊撃部隊の旗艦を引き継いだ時期があり、日向の直接指揮ではないながら、隷下の木村艦隊で清霜が戦没している。
*11 これを言ったのは氏名不詳ながら軍事参議官だという。軍事参議官とは、海軍大臣や軍令部総長などの要職を務めた将官が任命される役職である。
*12 艦長時代にこの電探の動作試験に携わっていた。
*13 河内型戦艦2番艦、金剛型の一世代前で、日本最初で最後の弩級戦艦(超弩級ではない、準弩級という解釈もある)。標的艦となり、演習爆弾等に耐える装甲と無人操縦設備を持つ。日向と同じく呉軍港空襲で着底した。なお、1番艦河内は火薬庫爆発事故で沈没しており、同じような事故を起こした日向の強運を強調する存在にもなっている。
*14 敵機が急降下爆撃の態勢を取ると同時に急転舵すると言うもの。
*15 高射砲や対空機銃が各自敵を狙うのではなく、高射長が指定した目標に向かって一斉に弾を撃ち込み、弾幕を張ると言うもの。
*16 艦長は原則として大佐が任命される。
*17 これは海軍において、第一艦隊旗艦が連合艦隊旗艦を兼務していたことを表しての記述である。現在の海上自衛隊には連合艦隊旗艦にあたる「護衛艦隊旗艦」は存在しない。過去には護衛艦「むらくも」や「たちかぜ」らが旗艦を務めていたが、平成22年度を最期に護衛艦隊制度は廃止された。同時に洋上艦隊司令部制も廃止され、現在は横須賀・佐世保・舞鶴・呉の各基地に司令部を置いている。
*18 護衛隊群は第1から第4まであるが、第1護衛隊群(1群)は司令部が横須賀と東京に近い場所にあるため、マスコミの取材や政治家の視察は1群で行われることが多く、「広報の1群」のあだ名がある。
*19 2014年に「しまかぜ」が第4護衛隊群へ編成替え、2015年3月「いずも」が就役して第1護衛隊群に編入され、「ひゅうが」は第3護衛隊群(司令部は舞鶴)に転出している。
*20 模型メーカーが先走って勝手に作っちゃった架空の米空軍ステルス戦闘機のプラモ。後のF-117とは全く関係ないが、ロッキードの関係者はこのインチキプラモのおかげで防諜ミスを疑われたとか。