おまC

Last-modified: 2023-07-24 (月) 04:05:12

5ちゃんねるの板「お祭りch」を「おはD」や「すごC」風に略した呼び名。

 

由来

2011年5月2日になんJのサーバーが移転し連続投稿規制が厳しくなった事を受け「お祭りch」に移住したなんJ民が、「おはD」・「すごC」風に「おまC」と呼んだ事が由来となっている。
ちなみにこの移住運動は失敗し、おまC原住民に深い傷跡を残しただけの模様。

その後、2011年11月20日に行われた日本シリーズ第7戦において、9回表に中日の井端弘和がソフトバンクのブライアン・ファルケンボーグへピッチャーライナーを放ち、それがファルケンボーグに直撃したことなどの影響からサーバーがダウンし、なんJは一時消滅した。
この時、誘導が一切行われなかったにも関わらず殆どのなんJ民が迷うことなく板移動に成功し、「おまCはなんJの植民地」という認識が浸透しているのが明らかとなった。
そのため、5月のおまC移住は「避難訓練」として実質成功であったとするなんJ民もいる。
顔文字表現では、おまC住人は(´・c・`)*1と表現される。

 

第一次移民運動(2011年5月2日)

前述の通り連続投稿規制、すなわち忍法貼がなんJに適用されたあと、板全体でスレの新陳代謝が著しく鈍化。
これに業を煮やした一部の住民が過疎板を探したところお祭りch(おまC)を発見、板の設定も比較的似通っていたことからその場で植民地とされることが決定された。
なぜか同時刻に原住民が野球に目覚め、(カーテンコールという蛮族の抵抗があったものの)入植した先遣隊とともに既存文化の大部分を破棄し植民を歓迎した。しかし移住した先で過去に野球ch崩壊の源となった自治騒動が勃発し、嫌なムードが漂い始めていた。
同じころ本国なんJにおいて水遁荒らしに対しての対抗処置ができたこともあって一部の開拓民を残して大部分が帰還。
結果的におまCは植民地化と同化政策に留まるのみでその後はなんJが落ちた時の緊急避難先として使用されるスーパーサブ的な位置づけに落ち着くこととなった。

第一次移民運動後のおまC書き込み数
4/28 39
4/29 44
4/30 51
5/01 45
5/02 14162
5/03 5506
5/04 1696
5/05 1013
5/06 696
5/07 666

 

第二次移民運動(2011年11月20日)

この直前になんJの置かれているサーバーが、hatsukari鯖から野球chやニュー速等を筆頭とした混雑板が集中するuni鯖に移された事が、今回の悲劇の始まりであった
日本シリーズ中は高負荷をまだなんとか捌けていた様子であったが、最終戦においてはさらに混雑が増していた。
そして9回表において前述のように井端のピッチャー強襲打球がファルケンボーグに直撃し降板に追い込まれ、さらにその後起きた馬原の0球により限界を超えたサーバーが落ちてしまった。
他の板はその後復旧したものの、一番負荷が集中した(と思われる)なんJは板自体が破壊され機能不全に陥った。
その後、避難所として周知されていたおまCに再び大量に入植、わずかに残存、復興した既存のスレは完全に破壊され、なんJそのものとなった。
レス数ランキングでは11月21日で5位に位置づけると、翌22日にはニュース速報+板を抜き4位に繰り上がった。

その4日後、なんJがようやく復活し、入植民の多くが帰還。スレの残骸のみが残されたおまCは「まるでゴーストタウンだ」と評される事となる。
かくしておまCは繋ぎの4番的な頼もしい活躍を見せ、ますますなんJ民に周知されることとなったのである。
なお入植民が去った後に残されたお祭りch固有スレッドは「祭があったら報告するスレ」ただ一つのみである。

第二次移民運動後のおまC書き込み数
11/14   112
11/15    91
11/16    86
11/17    71
11/18    65
11/19    82
11/20 25672
11/21 74390
11/22 78182
11/23 96377

 

第二次移民運動の画像

bb6f3fa6.png

なんJ民を導く自由の井端

2295595.jpg
井端、ファルケンボーグの他にネルソン金本小笠原道大、なんJ民が描かれている。

関連項目



Tag: なんJ


*1 原住民の顔文字(´・ω・`)との違いは鼻がcとなっている点。