エリック・ヒルマン(元メッツ→ロッテ→巨人)が巨人時代に残した迷言のこと。
概要
1995年、ロッテに入団したヒルマンはボビー・バレンタイン監督の下1年目から12勝を挙げ、低迷するチームの2位躍進に大きく貢献。翌1996年には前年をさらに上回る14勝を挙げ、ベストナインにも選ばれた。
伊良部秀輝や小宮山悟と共にリーグ屈指の先発三本柱を形成したヒルマンだが、1996年オフにフロントとの確執が原因で退団。年俸2億5000万の2年契約で巨人へ移籍した。
ところが移籍した途端に左肩を負傷。わずか2試合の登板に終わり(0勝1敗)、Bクラス転落の大戦犯と化してしまう。
オフに手術を行い、春季キャンプでは好投を見せるもやはり「肩に違和感がある」と訴え、トレーナーに「ただの筋肉の張り」と診断されるも再度離脱。この際に「どれくらい痛いんだ?」と問われたのだが、その回答が「肩に(大相撲の)小錦*1が乗っているようだ 」という迷言であった*2。
「昼マン*3」「ミスター違和感」等と揶揄される中、結局1998年シーズン途中に解雇。渡邉恒雄オーナーから「金はやるから出て行け」と言われながらの退団劇だった。
ロッテ時代の名声もどこへやら、高年俸を貰いながら1勝も挙げることが出来なかったヒルマン。「俺をグリーンウェル*4やミッチェル*5と一緒だなんて思わないでほしい」「肩が治ったら入団テストを受けて、もう一度ジャイアンツでプレーしたい*6。」という本人の弁も虚しく、巨人ファンからは完全に黒歴史扱いされてしまったのだった。
トドメと言わんばかりに、退団発表の3日後には日光へ観光旅行へ出かけており、週刊ポストからの取材に対し「そりゃ痛いよ。まだ、左肩の上に小錦が乗っかっている。いや、今は曙*7くらいかな」と吐いてのける様だった*8。
後日談
ところが巨人退団後に肩関節鏡手術を受けたところ、なんと左肩回旋筋腱板の全層断裂という重傷が判明。本人が再三訴えてきた肩の違和感は、サボりの口実でもなんでもなく事実だったのである。
このため現在では同情されているヒルマンだが、事情を知らない一部のプロ野球ファンからは未だにダン・ミセリ級のダメ外人として扱われてしまっている。
なお巨人はヒルマンの他にも、1984年から1990年に在籍した“史上最強助っ人”ウォーレン・クロマティもほぼ同じような目に遭っている*9ほか、後年にも鍼治療での施術ミス(真偽不明)が原因で澤村拓一(現:千葉ロッテマリーンズ)を右肩不調に追いやっており、トレーナーの伝統的な杜撰さが問題視されている。