かつて阪神タイガースに所属していたマイク・グリーンウェルが、引退理由として発した言葉。
概要
獲得まで
1996年、阪神は「暗黒時代」と形容される球団の慢性的な弱さに加え、前年に発生した阪神・淡路大震災の影響や、中村勝広・藤田平両監督の更迭劇、95年ドラフトの大失敗などを代表するフロントの杜撰さから観客動員数が大幅に落ち込み、オーナーの久万俊二郎が直々にサントリー社長の佐治敬三へ持ち掛けたとされる身売り話*1も土壇場で破談してしまうなど、崖っぷちに追い込まれていた。
在阪メディアも「がんばろうKOBE」を掲げ*2パ・リーグ連覇と日本一を達成したオリックス・ブルーウェーブ(当時はあのイチローも在籍していた)を取り上げる日が多く、阪神は徐々に見放されつつあった。
そこで、オフにはてこ入れのために西武からFAした大物の獲得に動いた。
星野仙一の監督就任まで非常にケチだったことで知られる「電鉄本社の重い金庫の扉」を開け、当時の吉田義男監督も「ユニフォームの縦縞を横縞にしてでも」と獲得への熱い思いをその大物に伝えたが、結果的に巨人にさらわれてしまったことで、余剰資金を流用したグリーンウェルの獲得を計画する。
ボストン・レッドソックスでの活躍から「ボストンの英雄」とまで呼ばれていたグリーンウェルだが、近鉄と上述の大物を失った西武との間で三つ巴の争奪戦が展開され(近鉄は早々に撤退)、契約寸前まで持ち込んだ西武を土壇場(金額の差)で上回った阪神が獲得に成功した。
入団~退団以降
阪神は住居として家賃150万円の高級マンションを提供するも、グリーンウェル側から「狭い」と苦情を入れられてしまう。
大物に機嫌を損ねられては困る阪神は2部屋を借り、壁を取っ払う工事を行なった結果家賃300万円+工事費用を負担する羽目に。さらに、当時全角6文字しか表示できなかった甲子園の電光掲示板にも改良を施した*3。
しかし、翌1997年の春季キャンプ開始(2月1日)には間に合ったものの、2月11日に「副業(牧場と遊園地経営)の事務処理」「夫人との結婚記念日」を理由にキャンプを離脱。
夫人や子供を大切にする傾向が強い外国人選手(これ以外にも出産立ち会いなどで帰国するケースが多い)らしく、「キャンプ途中離脱」自体も契約条項のうちだったが、オープン戦中を見据えていた復帰予定は、直前に代理人から「キャンプ中に背中を故障したため、主治医から来日を控えるよう言われた」と連絡が入り順延。
以後は「主治医にしっかり診察してもらいたい」「徹底してリハビリを行う必要がある」と主張するグリーンウェル側と、「チームドクターが軽症と診断している」「早々に合流して欲しい」と主張する阪神側の間で揉めたために遅延が続いたのち、阪神側からの「デトロイト・タイガースのチームドクターに診察を受けて欲しい」という要望をグリーンウェル側が了承。ここで「軽症」の診断が下ったためにようやく来日したが、4月30日まで離脱期間が長引いてしまった。
一軍への再合流後は5月の2試合で活躍を見せた一方、「日本にはゴルフをしに来ただけ」とさえ言われたほど練習態度は不真面目*4、打撃は本塁打三振四球よりも併殺が多い低打率ノーパワーあへ単ゲッツーマシン*5、右翼守備は過去の故障のせいもあってお粗末、かつ久慈照嘉から「送球がチェンジアップ」と評される弱肩という状態。このため、攻守で阪神ファンを失望させつつあった。
7試合目の出場で自打球により骨折し、本人の意志で強行出場していたものの、靴も履けないほどに患部の状態が悪化したことから戦線を離脱。
そして、再来日からわずか2週間ほどの5月14日に「野球をやめろという神のお告げ」との迷言を残して電撃退団・引退を発表したが、この文言があまりにも衝撃的だったことから、阪神ファンを始めとする野球ファンからバッシングを受けた。
ただし、怪我自体は否定しようのない事実であるほか、当時の会見では「阪神ファンに申し訳ないけれど、いい球団で最後にプレー出来て嬉しい」「野球は金のためじゃなく名誉のためにやっている」との言葉も残しており、周囲を舐めきった発言でも宗教的理由でもないことは考慮したい*6。
吉田監督は入団早々の退団に「あっという間の出来事」「嵐のごとくやって来て嵐のごとく去っていった、つむじ風のような男」と評し、ファンからは「ゴールデンウィーク(G.W.)にだけ来て帰っていったグリーンウェル(G.W.)」等と揶揄され、その後「1試合2570万円男*7」なる異名も生まれた。
グリーンウェルは未だに「NPB史上最低の助っ人」として絶許扱いを受け続けており、ホセ・カンセコによる禁止薬物使用のカミングアウトを糾弾した時も、日本のファンから「グリーンウェルこそ薬物をやってるのでは」と逆に疑われたりした。
ちなみに、これ以後は「ビザ取得などの関係で来日が遅れる」「故障などでキャンプやオープン戦、シーズン開幕に間に合わない」などの条件に当てはまる外国人選手を指し、「グリーンウェルの再来」を懸念されることがある。
マウロ・ゴメスやジェフリー・マルテなどがこれに当てはまり、ゴメスはイニシャルも同じ「M.G」だったため特にネタにされていた。
余談
本命の補強選手を逃した焦りで実質解雇状態のグリーンウェルと高額契約を結び、理想通りの運用を全く出来なかった本件。
この年は他にも「(牽制球以外は)二軍選手のほうがまだマシ」とまで言われたボブ・マクドナルドの体たらくもあり、阪神は「外国人を見る目がない」「ケチな上に金の使い方を知らない」などと盛大な揶揄をされた。
そんな中、中日がレオ・ゴメス、西武がドミンゴ・マルティネス、近鉄がフィル・クラークと、グリーンウェル獲得を見送った(or 獲得に失敗した)球団が皮肉にも当たり外人を引き当てた*8ことで、大枚をはたいて獲得したグリーンウェルの低迷も余計際立つ結果に。
ファンからの風当たりの強さも残当であると言えよう。
この一件が相当堪えたのか、阪神はこれ以後「新外国人を性格重視で獲得する」とも言われており*9、ケビン・メンチやウィリン・ロサリオ、シェーン・スペンサー、ジャスティン・ボーアなどは、成績が伴わなかったものの性格が良いことで知られており、なんやかんやで愛されていた。
同時期にはロブ・ディアー(1994年)やマイク・ブロワーズ(1999年)など、高年俸を払って獲得した大物メジャーリーガーが期待外れに終わることが続発していたためか、2000年代前半は来日時に年俸1億円未満の格安助っ人を獲得する*10か、国内他球団から既に日本で実績を残している外国人選手を引き抜く*11ケースも増えていった。
2005年のスペンサー以降は再び高額な新外国人も獲得するようになっている。
素行面について
上で書かれた阪神・西武・近鉄以外に、第二次星野政権時代の中日も獲得を検討していたが、「背中の故障で調子が悪くなるとすぐ文句を言う」などの性格難や不真面目さを米国の野球関係者から忠告され、獲得を取り止めたという逸話も残っている*12。
この他にも代理人のジョー・スローバーがいわく付きの存在で、阪神の常務取締役であった野崎勝義もグリーンウェルではなくスローバーに警戒心を抱いていたとされ(結局最後まで警戒は解けなかったという)、上述の「マンションが狭い」と文句を付けた件はスローバーの意向が大きかったとも言われている*13。
また、前述のように近鉄が獲得を見送った理由も、同じくスローバーが代理人だったケビン・ミッチェル*14の存在などから、契約下の選手の素行を懸念したため*15。
このほかにもダイエーの瀬戸山隆三球団代表はこの件を指し、「阪神は代理人に騙されている」と評していた。
もっとも、阪神時代の低迷・離脱の原因にもなった数々の故障(背中の故障・肩の手術・死球による親指の負傷・膝の慢性的負傷など)は阪神への入団時点で実際に抱えていたほか、アメリカでは前述のように"英雄”とリスペクトを受けてチーム殿堂入りする、阪神と結んだ高年俸についても契約破棄の際に4割が返金され、契約金も「全額返上する」と申し出る*16など、"性格難””不真面目”エピソードについては少々盛られている部分がある。
関連項目
- ええの獲ったわ!
- 名誉外様
- 絶対に許さない。顔も見たくない
- 論ずるに値しない
- バースの再来/モチベーションが上がらない
- ケイ・イガワ…MLB移籍の顛末が「グリーンウェルの仕返し」とされることが多い(入団したのはニューヨーク・ヤンキースのため、直接は関係ない)。
- アダム・ダン率
- 肩に小錦…投手版。高年俸で入団、パフォーマンスの低さ、故障で引退して批判を浴びたなどの共通点がある。だが無理な起用をしたことと後に球団側のトレーナに施術ミスがあった事が発覚し、現在ではあまり叩かれない。
- ペニス…早期帰国で共通点があるが、人間性の面で大きく異なる。
- イテームズ…目玉選手が故障で早期帰国した類例。ちなみにかつては阪神も狙っていた。
Tag: 阪神 MLB 絶許