解説
「辛い+ゲッツー=ツラゲ」という造語であり、阪神時代に命名された。
通常の併殺打だけでなく、三振ゲッツーなど記録上併殺打にならないケースでも新井自身が絡んでアウトを2つ増やせば変則ツラゲ扱いとされる(事例後述)。
元々4番などの主軸は前に走者が出ていることが多く従って併殺機会が増え、さらに「右打者」「足があまり速くない」ともなればさらに確率は高まる。これを全て満たしていた新井は実際の併殺数の多さ*1に加え、1002打席無併殺の日本記録を持つ前任者と比べられることから新井=併殺打のイメージが特に強い。
第1期広島時代から併殺打は元々多かったが、阪神時代はさらに増えたことについては「狭い旧広島市民球場から広い甲子園球場がホームになり、長打より確実性を求めた」との指摘がある。また、打撃好調だった2008年に腰を故障し、この時の離脱がその年のV逸の大きな要因になっただけでなく、この影響もあって打撃が崩れ、翌年以降も怪我に苦しめられることになった。
2015年の広島復帰後、併殺が減ったのは石井琢朗打撃コーチ(当時)と二人三脚で阪神時代の打撃スタイル*2をリセットして一から作り直した賜物だと言われている。また新井自身が述べる*3には打撃の何たるかが掴めたのは阪神最後の年となった2014年だった模様。
変則ツラゲの例
2011年8月28日 対東京ヤクルトスワローズ戦(甲子園)
3回裏一死1・2塁(1走・鳥谷敬、2走・平野恵一)で新井貴浩に打席が回った事でツラゲの危険性は高まったが、先発・由規の暴投で走者は進塁して状況が変化。誰もがツラゲは回避されたと考えていた。
すると新井は遊ゴロ、川島慶三が本塁へ送球すると平野が三本間で挟まれてしまい鳥谷が3塁へ到達、平野は逃げるのを諦めタッチアウトに。ところが新井は平野のランダウンプレー間に1塁を回っており、それに気付いた川本良平が二塁へ送球。新井は間に合わずタッチアウトになってしまった。
※ツラゲそのものは7分25秒、変則ツラゲは9分20秒から開始
記録上は遊ゴロ+走塁死でゲッツーではない*4が、6-2-4の変則ツラゲとして扱われている。
他にも有名なものとして大相撲甲子園場所における俺達対ツラゲという夢の対決、弟・新井良太*5(元中日→阪神)とコラボした「兄弟アベックツラゲ」、1イニングで打者一巡中に自身が二度凡退する「時間差ツラゲ」などのパターンも見られた。
一人トリプルツレー
2014年4月10日 対横浜DeNAベイスターズ戦(甲子園)
横浜先発・三嶋一輝を攻め立て6回裏無死1・3塁から代打で登場すると、三嶋の暴投を捕手・高城俊人*6が大きく弾き3走・新井良太を手招きして本塁に突っ込ませるも憤死。
その後自身は遊ゴロを放つも2走・鶴岡一成が守備妨害を取られてアウト、打者走者として残るが次打者・福留孝介の打席で高城が弾いた隙に(福留が制止しているにも関わらず)進塁を試みるも憤死と、自身がプレーに絡んでイニング全てのアウトを献上したレアなケースであった。
一人ツラゲ
ソフトバンクとの2018年日本シリーズ第6戦で野間峻祥の代打で登場。現役時代最後となったこの打席はツライダーを引っ掛けてのショートゴロで終わったが、仮に1塁ランナーが居た場合は6-4-3の芸術的ツラゲが完成していたため(ネタ的に)1塁ランナーがいなかったことを惜しまれたり「一人ツラゲ」と言われたりした。
242
242とは、新井がプロ野球生活20年で放った通算併殺打数のことだが、これをネタにしたTシャツを會澤翼や金本知憲に作られてしまった。
更に広島球団公式で叫ぶ新井を中心にこの併殺打数と生涯三振数(1693)*7と生涯失策数(175)*8をコラージュした赤のTシャツ(通称逆三冠Tシャツ)を作られ、背番号25と新井の達成した記録と獲得したタイトルを書かれた黒のTシャツとセットで「栄光の新井Tシャツ」として期間限定枚数制限上限無しで販売*9、当然の如くバカ売れしてしまった。*10
一方、金本が自身の野球殿堂入りパーティーで公開したTシャツは表は併殺を打って辛い顔をする阪神時代の新井と、裏は「僕も殿堂入りを狙っています」と書かれたワンオフ物である。
番外編
2020年に新井が金本とともにプロ野球スピリッツAのYoutube企画で金本と対戦した際、自分が操作する「新井貴浩」の打席で6-4-3のゲッツーを放つ*11様子がテレビCM等で放映され「芸術的なツラゲ」と話題になった。
このCMは日本シリーズの試合中にも流れたが、その際CMのネタだけで1スレ完走しツラゲの人気ぶりを証明した。
派生
新井以前の併殺打の代名詞といえば礒部公一(元近鉄→楽天、2009年引退)であり、野球板時代から「ISOBE」で表されてきた。
また和田一浩(元西武→中日)は「高級アイス」、仁志敏久(元巨人→横浜)は名字の読みを捩った「二死」と呼ばれていた。
ちなみに「○○ゲ」の元祖は新井ではなく城島健司である。セ・リーグ最多併殺を記録した2010年ごろに城島の三塁へのゴロが「サードゴリ」と呼ばれ、併殺打が「ゴリゲ」と言われたのが「○○ゲ」の発祥とされる。その後、これまた併殺の多い新井に波及して元祖の城島以上に併殺打の代名詞となった。
と、言われているが実は2003年の時点で大道典良*12のゲッツーがオミゲと呼ばれている。
http://baseball.s33.xrea.com/dictionary/a.html#omige
なお2003年の城島もリーグ最多併殺打を記録している。