憎井酷俊

Last-modified: 2023-11-09 (木) 08:48:04

増井浩俊(元日本ハム→オリックス)の蔑称。読みは「にくいひどとし」。


概要

増井は北海道日本ハムファイターズ所属時代、武田久に次ぐ右のセットアッパー・ストッパーとしての地位を築く。プロ入り2年目の2011年から5年連続で50試合以上に登板、2012年には最多ホールドも獲得するなど中心選手として活躍していた。

ところが2016年、クローザーであった増井は極度の不振に陥ってしまう。投球の軸である直球・フォークの制球が定まらず、6月20日に二軍落ちするまで3勝2敗10S・防御率6.30という散々な成績から、ハム専では連日「増井死ね」や「マスコロ(増井殺す)」などのコメントが増えていく。そんな中で「増→憎」「浩→酷」と漢字の旁(つくり)などの連想から蔑称が生まれたようである。


先発転向

その後栗山英樹監督は二軍落ちした増井に先発での再調整を指示。当初はこれに首を捻るなんJ民が大半だったものの、復帰初戦からカーブを解禁した投球により好投。さらに8先発で6勝*1と見違えるほどの活躍ぶりで、9月には5登板で5勝無敗・防御率1.10で月間MVPまで獲得した。大谷翔平の故障離脱で抜けた先発ローテーションの穴を埋めてチームの日本一に貢献するなどなんJ民の手首を破壊、「憎井と増井は別人」と言わしめた。


元祖マスコロの真骨頂

【2017年6月4日の対阪神タイガース戦】
抑えとして登板したが3連続四球を与え逆転サヨナラ負けのきっかけを作った上、試合後の「体が言うことをきかなかった」という言い訳のせいで批判を一身に集めた。
自責点を記録されたリリーフが両チームでも増井のみであること、四球・自責点数が阪神先発として7イニングを投げた小野泰己と同数だったことも増井への批判に拍車を掛けた。
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憎井、畜生化

2017年オフには複数年契約を重視したFA宣言、平野佳寿がMLBへ移籍したことで抑え候補を探していたオリックスへの移籍が決まった。

するとオリックス移籍後、古巣・日本ハムの打線について

  • 一緒にやってるときは『もっと点を取ってくれよ』とか思ってたので(笑)
  • 打線が強いという感じじゃなかったので、1年間ファイターズからは点を取られないように頑張りたい*2

と発言*3したため、日本ハムファンからさらなる反感を買い別の意味でも「憎井」呼ばわりされた。さらに「畜井」という蔑称も与えられ、移籍後もハムファンからはヘイトを集めている模様*4
オリックス移籍後は2018年こそクローザーとして活躍したものの、2019年以降は不安定な投球が続いてクローザーの地位をあっさり剥奪された。平野が復帰した2021年以降は先発と中継ぎを行き来する起用が続いていたが、山崎颯一郎・阿部翔太・宇田川優希らの台頭で一軍での出番が激減した。
結局、残るは対ヤクルト戦の勝利だけだった前人未到の全球団勝利・全球団セーブ・全球団ホールドを果たすことができずに2022年オフに戦力外通告を受け、翌年1月引退を決意した。


関連項目


*1 9月30日に引退登板として先発し1/3イニングのみを投げた武田勝の後を受け登板、この登板で自身初の10勝目を挙げており実質「9先発7勝」だった。
*2 2018年は6試合に登板し1失点だった。
*3 リンク記事
*4 オリックス戦の増井登板時、四球を出した際に、ファイターズの応援団から出塁テーマに合わせて「増井!増井!アホ!アホ!増井!」とコールされるなど。