バースの再来

Last-modified: 2024-04-30 (火) 19:40:10

1985年に阪神タイガースを初の日本一に導いた左打ちの一塁手、ランディ・バースのような助っ人の再来を期待し、在阪マスコミによって阪神に入団した助っ人野手に付けられる通称である。元祖と同じく「左打者の一塁手」である選手を呼ぶことが多いが、少なくとも「(主に長打を期待されている)外国人野手」という最低条件さえ満たしていれば、投打や守備位置の違いがあってもバースのような活躍を願って呼ばれる場合も少なくない。

なお、この「バースの再来」という項目は、基本的にネタ的要素の強い項目は問答無用で即削除させる方針にあるWikipediaにも登録されている*1

【目次】


前史

ランディ・バースは、1982年オフに阪急ブレーブスとの争奪戦を制して阪神が獲得し、1983年から1988年にかけて在籍した。現在でも語り草となっている1985年4月17日の対巨人戦での「バックスクリーン3連発」に代表される掛布雅之岡田彰布らのクリーンナップの中核としての活躍が特に知られている。バースは同年、打率.350、54本塁打、134打点で三冠王を獲得し、同年の日本シリーズ(対西武戦)でも打率.368、3本塁打、9打点を稼いで最高殊勲選手に選ばれた。翌年には、2023年シーズン終了時点で未だ破られていないNPB記録となる打率.389をマークして2年連続の三冠王を獲得するなど、実働6年で通算打率.337、202本塁打を放つなど数々の記録と伝説を残して、2023年にアレックス・ラミレスと共に野球殿堂入り*2を果たした。「日本野球史上最強の助っ人外国人」「神*3」「神様・仏様・バース様」などと称された。

しかし1988年、バースは息子の難病を機に帰国するが、阪神球団側の不手際が原因で退団が決定する*4。この年は結果的に、バースの退団騒動が起因となる当時の球団社長の自殺、掛布の現役引退まで重なったことからチームは一気に崩壊し、1990年代の暗黒時代に突入、バースの活躍は暗黒期に入る前の最後の輝きとして語られるようになってしまった。


再来という名のフラグ

この惨状から、デイリースポーツサンケイスポーツあたりの在阪マスコミがバースのような助っ人の活躍を再び願い、阪神に入団する(主に一塁手の)助っ人外国人に期待を寄せる際、半ば神格化する形で殺し文句として枕詞的に「バースの再来」の句が使われるようになり、選手本人を見ていないにも関わらず、左打者と聞くだけで「バースの再来」と騒ぐのは毎度の恒例行事であった。しかし、期待を掛けられてこの称号を頂戴した助っ人は大抵期待を裏切るというジンクスがあり、中には球団に対して洒落にならない損害を出した選手も数々輩出して来た。

1988年にバースが退団した後に阪神タイガースへ入団し、「バースの再来」などと称された数々の選手を以下の表にまとめた。なお下表にあるように初代「バースの再来」はルパート・ジョーンズだが、ルパートの退団後も「バースの再来」が来日しては目立った実績を残すことなく去り行く状況に対して、皮肉を込めて「バースの再来の再来」(または「グリーンウェルの再来」のように「〇〇(やらかした選手)の再来」)と称することがある。いわゆる「ハズレ選手」が多発したことから近年では大抵「フラグという意味で」使用され、故に「虎の恋人」「怒りの撤退」と並ぶ、阪神タイガースの「秋冬三大季語」扱いされる事が多い。


「バースの再来(の再来)」の選手たち

「年次」欄は一軍出場期間のみYYYY/MM(/DD)表記。年だけの場合はシーズンフル。

1988~2000年

1988~2000年

名前守備位置打席年次
成績(打率/本塁打/打点)
備考
ルパート・
ジョーンズ
外野
一塁
左打1988
.254/8本/26点
バースの後釜に据えられた元祖「バースの再来」。背番号はプロ野球史上初の「00」。
元々は三拍子揃った好選手だが阪神時代は故障もあって衰えていた。晩年の金本知憲同様、左肩の故障で満足にプレーできる状態ではなく、左翼からの返球は下手投げで、試合後には投手顔負けのアイシングをしていた。その後、不慣れな一塁を守らされてエラーを連発(27試合で7失策)し、一塁から二塁への送球も投手への返球も満足に出来なかった。
そのせいか打率も振るわず、とんがり頭のスキンヘッドという容貌から「00怪人」と呼ばれた。
マーベル・ウイン外野左打1991
.230/13本/44点
メジャー通算940試合に出場と実績は十分で、佐々木打撃コーチ(当時)の強いプッシュで入団したという。しかし同期入団のオマリーとは対照的に日本野球に対応できず「凡打製造機」の渾名を付けられた。唯一輝いたのは7月の巨人戦2試合だが、その内訳は決勝本塁打とボテボテのサヨナラ内野安打。
ロブ・ディアー外野右打1994
.151/8本/21点
メジャー通算226本塁打を放った大砲。オマリーの紹介でパチョレックの後釜として契約したが、三振率.396と粗さが目立つ。というのもディア―自身が日米双方での「三振のレジェンド」で、かつてはMLBのシーズン最低打率を保持していた。8月に右手親指じん帯の断裂で帰国し、そのまま退団。
その一方でメディアには好意的に対応したり、悩んだ末に首脳陣に自らスタメン落ちを直訴するなど、ナイスガイで人格的な一面もあった
クレイグ・
ワーシントン
三塁右打1996
.267/3本/12点
1996年に、中途解雇されたグレン・デービスとスコット・クールボー*5の後釜。
まずまずの成績を残すも8月に肉離れで離脱、最終戦には出場するも結局そのまま解雇。
ケビン・マース一塁左打1996
.245/8本/42点
クレイグと同じ飛行機で来日した4番候補。登録名にかけて「打ってクレイグ、たのんマース」と書かれた。
クレイグ同様、加入直後はそこそこの成績を残すも、打てないコースが多過ぎたせいかあっさり攻略されて解雇。ちなみに応援歌は、名前の発音が近いという事でバースの応援歌が流用された。
フィル・
ハイアット
三塁
一塁
外野
右打1997
.204/11本/30点
長打力はあったが、ディアー同様、確実性に欠ける打撃で活躍ならず。後述のシークリストらに押し出される形で降格後、解雇。
2003年途中にダイエーが、故障で全休した小久保裕紀の代役として獲得を検討したが、結局はフリオ・ズレータを獲得した。
マイク・
グリーンウェル
外野左打1997/5/3-5/11
.231/0本/5点
全身ボロボロのロートル助っ人を大枚を叩いて獲得し、大失敗した典型的な例。「NPB史上最悪の助っ人」とまで呼ばれたが、その理由はご存知の通り。詳細は当該項目を参照。
リード・
シークリスト
三塁
外野
左打1997
.192/0本/4点
不調とケガに悩まされたハイアットと、神のお告げで早々に退団したグリーンウェルの代役で加入。
前半戦こそ良かったものの後半戦は扇風機と化し、シーズン終了を待たずして9月に解雇された。
デーブ・ハンセン三塁
一塁
左打1998
.253/11本/55点
ハンセン側が阪神球団へ売り込む際に、2度にわたって同じ内容のビデオを見せられた吉田義男が、別の映像と思い込んで「成長した」と騙され契約した事で有名。打力はともかくシーズン17失策とお粗末な守備で解雇。翌年にMLB・ドジャースへ復帰すると代打の神様として大活躍、パドレスとマリナーズを転々としながら2005年まで現役を続けた。
アロンゾ・パウエル外野右打1998
.255/9本/28点
中日時代は首位打者を3回獲得するなど長きに渡って安打製造機として活躍したが、獲得前年は膝の故障で低迷*6し、広いナゴヤドームでは守備難も目立ったことから解雇され、阪神に拾われた。
だが阪神でも膝の古傷の影響で前年同様パッとしない成績であり、坪井智哉の台頭で控えに回ることが多かった。同年8月の対ヤクルト3連戦にスタメン出場したのを最後に解雇。
デジ・ウィルソン一塁
外野
左打1998
.167/0本/3点
デジー・ウィルソンとも。
阪神フロントが欲張って第三の外国人選手として契約したまではいいものの、上述のハンセンとパウエルを登録させたために結果として一軍出場は同年8月から9月までの短期に終わり、オフに解雇。
マイク・
ブロワーズ
三塁
一塁
右打1999
.251/10本/43点
当時の野村克也監督と打撃スタイルで揉め、二軍へ落とせないという条項でトラブルになったため解雇。彼の解雇以降、それまで好調だったジョンソンの成績も下降していった。
ベースからあまりに離れて立つスタイルのため、外角球に全くと言っていいほど対応できなかった。
マーク・
ジョンソン
一塁
外野
左打1999
.253/20本/66点
強烈なアッパースイングを武器に前半は19本塁打と大暴れするも、後半になるとバッチリ対策され沈黙、僅か1本塁打に終わって解雇された。
退団した翌年、メジャーに復帰。
ハワード・バトル三塁右打2000
.227/1本/1点
一時期は昇格即ベンチ入りすると勝利する試合が多かったことから、風貌と相まって「勝利の大黒様」と呼ばれた。しかしそのジンクスも長く続かず実力不足が過ぎた。特に三塁守備はお粗末そのもので「太りすぎて二軍スタート」という情けないエピソードさえある。
あまりの使えなさに途中で解雇されたが、その後に金銭トレードで入団したマイカ・フランクリンは移籍直後に故障してそのまま二軍で燻り続ける羽目になり、後述のハートキーを使い続ける羽目になった。なお、バトルの解雇によって阪神がシーズン途中に外国人を解雇するのはこれで5年連続ということになる。
トニー・
タラスコ
外野左打2000
.239/19本/57点
陽気な性格から「地下足袋トニー」で親しまれたものの打撃は粗末で、強引に引っ張る打撃のために安打では無く三振を量産。ただし当たれば飛ぶタイプで、シーズン19本塁打は新庄、大豊に次ぐチーム3位の数値だった。
また俊足好守を活かした外野守備は評価が高く、新庄との右中間は鉄壁そのものでシーズン中盤からは6番に定着した。打率こそ低いが本塁打数と守備面での貢献度は高く、ここで挙げられている助っ人の中では上位に位置する選手であり、のちに大麻所持で解雇されたもののニューヨーク・メッツにも復帰した実力者だった。
ジェイソン・
ハートキー
三塁両打2000
.272/4本/27点
「置物」ハワード・バトルが役に立たず緊急補強で獲得。陽気で派手なタラスコと違って、地味だが堅実な守備と打撃が定評とされた。
多少は打率を残したものの、一発長打を期待されがちな助っ人としてはあまりに非力で、バットに当てるのは上手いが物足りなさは否めなかった。堅実なはずの守備でも(76試合で)14失策を記録*7し、打撃でも12併殺を記録するなど、攻守とも力不足が目立った。しかし当時の阪神は深刻な戦力不足に陥っており、また同時期に在籍していた外国人内野手が使い物にならなかったことから、シーズン後半から「3番・サード」で使わざるを得なかった事情がある。
その様は島田紳助に「あれは助っ人じゃなくて、野球が出来る外国人をアメリカから連れてきただけ」と貶され福本豊には名前を忘れられ「心筋梗塞」とまで呼ばれたが、打率以外の面でも特段鈍足という事もなく真摯な姿勢でプレーしていた傍ら、ダメ外人にありがちな言動も全く無かったため、逆を返せば「助っ人ではないが野球は一応出来ていた」こと、即ち「野球が出来る外国人」という点は見事に的を得ていたことが微妙な笑いを誘う。
2001年以降

2001年以降

名前守備位置打席年次
成績(打率/本塁打/打点)
備考
イバン・クルーズ一塁
外野
左打2001
.234/14本/34点
メジャーに移籍した新庄剛志の後釜として入団。
オープン戦では活躍したが開幕後は振るわなかった。巨人戦で1試合3本塁打も同じ試合で■■も1試合3本塁打を放ち、結果的にチームも敗れてヒーローになれず。終盤に肩を痛めてそのまま退団となった。一応、当たれば飛ぶだけのパワーは備えていて本塁打は時折放ったが、打率の低さと三振の多さは否めなかった上に守備面の貢献度もあまり無く、ほとんど前年に在籍したタラスコの下位互換状態だった。彼の放った14本塁打は一応チームトップの数字で、当時の監督である野村克也は「怪我が治れば打つだろう」と残留を検討していたが結局退団となった。
2003年に中日に入団するも、これまたオープン戦で大暴れはしたがシーズンが始まってからは活躍できず、阪神時代以下の数字を残して退団。そう言う意味では「怪我が治って打ったがその後が続かなかった」というのがまた悲しいところ。
エドワード
・ペレス
一塁
三塁
外野
右打2001
.222/3本/19点
ペレスはバースよりも、どちらかと言えば「オマリーの再来」と呼ばれていた。
何故か中日の岩瀬仁紀相手には無双していた。
トム・エバンス三塁右打2001-2002
.242/2本/14点
2001年は守備固め要員として活躍したが、翌年はオリックスから移籍してきたジョージ・アリアス、デリック・ホワイトが優先起用されて余剰要員となってしまう。
シーズン途中にトレードで西武ライオンズへ移籍して15本塁打と活躍するもオフに退団。
デリック・
ホワイト
外野
一塁
右打2002
.227/7本/21点
「チームのためならバケツ運びでもする」とまで言った人格者。
最初は活躍したが技術的な行き詰まりと手首痛に悩まされて冷温停止状態に陥り解雇。選手としては見切りをつけられたが、骨折しながらもベンチ入りして戦意高揚の声出しに務める姿は当時の田淵幸一コーチを感服させるなど、やはり最後まで人柄的には評価されていた。
その後は楽天の駐米スカウトを務め、AJことアンドリュー・ジョーンズケーシー・マギーを連れてきた。
マイク・
キンケード
三塁右打2004
.233/3本/7点
オマリーがスカウトして来た外国人助っ人で、2000年シドニー五輪野球アメリカ代表の金メダル獲得メンバー(正三塁手)。
内外野から捕手までイケるユーティリティプレーヤーで、「キンちゃん」の愛称で親しまれるものの、来日初打席初っ端に上原浩治から死球を喰らい、以降26試合12死球1未遂という当時の2chの野球chのスレでもネタにされる勢いの死球王で、別の意味で「当たり助っ人」ではあった。
8月にアリアスの代役として復帰するも、復帰翌日にダイビングキャッチを試み再び負傷してそのまま解雇とスペ体質でもあった。
シェーン・
スペンサー
外野
一塁
右打2005-2006
.237/15本/50点
オマリーが連れて来た外国人。
打率はパッとせず守備走塁でもやらかすが、ムードメーカーとして優勝に貢献した事が評価され残留。さらなる活躍を期待された翌年、開幕直前に車から降りる際に足を踏み外して右足首を捻挫してしまい長期離脱。交流戦後辺りから調子を戻して満塁弾も放ったが、濱中治の活躍もあって出場機会が減少し、9月に降格後はそのまま退団した。
阪神入団前、ピザ屋相手に暴行事件を起こしたことから素行を不安視されたが、打線が沈黙している中でチームメイトを鼓舞したり、延長10回に入ってからも犠牲バントを試みたり、「スケベ代表」「馬鹿外人」という襷やシャツを着用して登場するなど、例によって人柄的には悪くはなかった様子。
ルー・フォード外野右打2008
.225/3本/11点
オマリーが連れて来た(ry。
2004年にはメジャーで15本塁打・72打点をマークした。
しかし「ノーパワー・低打率・鈍足・守備難」というダメ外国人の要素を全て兼ね備え、その姓から「廃車」「ポンコツ車」と揶揄され、メンチやコンラッドが来る前のヘボ外国人の代名詞だった。ある種ベンツの元祖である。打席に立ってもワンバウンドするボール球に立て続けに手を出して三振に倒れる珍事をやらかし、当時の岡田彰布監督から「1人野球がわかっとらん奴がおる」と痛烈に批判される有様。日本では全く振るわなかったが2012年にはメジャー復帰を果たし、ポストシーズンにも出場した。2023年現在、47歳という年齢ながら選手兼コーチの現役独立リーガーとして頑張っている。
ケビン・メンチ外野右打2009
.148/0本/2点
オマリーが(ry 。
本名がケビン・フォード・メンチなので、「ルー・フォードの再来」とも。当該項目参照。春季キャンプでの紅白戦では盗塁王を5度獲得した赤星憲広をアウトにするなど肩の強さも見せたが、速球に対応できない弱点が露呈してからは活躍できず。守備においても外野への打球の処理にもたつく有様だったが、決して怠慢なプレーを見せたことは無く、降格後もコーチにアドバイスを求めながら練習に熱心に取り組んでいたり、慈善事業に積極的な姿勢を見せるなど、これまた人格面は評価されていた。
ブルックス・
コンラッド
三塁
二塁
両打2013
.175/0本/0点
GM(当時)の中村勝広が4番候補として「ビデオを2分だけ見て決めた選手」とすら噂されている*8
69打席10安打・打点0の伝説を打ち立てた、ある意味で「バースの再来の再来…の化身」。打撃面では、一併殺にもかかわらず印象的な併殺により、「一打で二度死ぬコンラッド」とネタ*9にされたこともある。またユーティリティとの触れ込みだったが、どこを守ってもイージーエラーを連発した。しかし、元々拙守で知られMLB時代は基本的に代打要員だった。
解雇後、当時海外スカウトのアンディ・シーツに無断で獲得に動いていたのが発覚し、中村の見る目のなさが改めてクローズアップされたのは言うまでもない。
あまりの醜態に次の助っ人外国人は1打点上げたら当たりとネタにされた。
ネルソン・ペレス外野
一塁
左打2015-2016
.000/0本/0点
当時打撃不振に陥っていたマット・マートンとマウロ・ゴメスの両外国人の代わりとして獲得したが、直後に両者が復調し、外国人枠の関係で二軍暮らしが続いた。
一軍で打点どころか安打すら放てなかったのは阪神史上初めてだが、これは10打席という非常に少ないチャンスしか与えられなかったことによるものであり、二軍では好成績を残していたこともあってかネタ外人としてのイメージすら無いに等しく、基本的には忘れられがちである。
マット・ヘイグ一塁
三塁
右打2016
.231/2本/11点
当時の最多安打記録保持者であるマット・マートンの後継となる中距離打者として入団するもオープン戦は不振。開幕直後こそ好調だったがその後は不振に陥り、甲子園と鳴尾浜を往復する毎日。守備難もあって結局1年で退団した。
エリック・
キャンベル
一塁
三塁
外野
右打2017
.191/1本/5点
エリック・テームズ(元巨人)獲得が不発に終わり獲得した助っ人。
内外野守れるユーティリティープレイヤー」との触れ込みで入団したものの「ヘイグの再来」を危惧されるほど全く期待されていなかった。案の定、実力不足を露呈し、怪我も加わって開幕直後は代打での出場がメイン。5月25日の対DeNA戦で3打点を挙げたことが評価されてスタメン起用されたが、翌日からは25打席連続で快音無しとなり降格。当時新人の糸原健斗大山悠輔にも遠く及ばない惨状で、そのまま戦力外になった。
成績自体はメンチ・コンラッド級だが、推定7000万円とあまり高くなかったことやあまりに地味だったため彼らほどネタにされることは多くない…どころか忘れられがち。2021年に一旦は引退を表明したものの撤回し、34歳にしてメジャー復帰を果たした。結局同年限りでの引退となったが、現役生活の最後に花を添えた。
ジェイソン・
ロジャース
一塁
外野
右打2017/7-11
.252/5本/23点
キャンベルの代わりとして獲得した選手。歴代阪神助っ人の中ではマシな成績でこちらも割安だったが、金本知憲監督からはパワー不足と見なされ*10ロサリオの獲得により自由契約となった。
ウィリン・
ロサリオ
一塁
捕手
右打2018
.242/8本/40点
平成最後の三億円事件。ディアーやクルーズの再来とも。歴代の外国人に比べるとまずまずの成績を残しているが、外角のスライダーに極端に弱く三振を量産。推定年俸3.4億では割に合わず退団。詳しくは当該項目参照。
エフレン・
ナバーロ
一塁
外野
左打2018-2019
.264/3本/27点
外国人としてはどちらかといえばパワーよりもバットコントロールと守備力に優れた選手で、2018年はロサリオの登録抹消後、一塁のレギュラーとして活躍した。
しかし、2019年は開幕直後こそレギュラーを守ったものの、怪我で出遅れていたジェフリー・マルテの復帰後に二軍落ち。二軍でも打率1割台と振るわなかったことで戦力外となった。
ただ、人格が優れていたことや、第2回プレミア12のメキシコ代表として大活躍したこと、近年の阪神助っ人のそれ以上の不甲斐なさもあり、バースの再来どころか優良助っ人とするファンもいる。
ヤンハービス
・ソラーテ
三塁*11
外野
両打2019
.188/4本/9点
グリーンウェルの再来。強打のスイッチヒッターであったが、加入してしばらく経つと左右両打席で三振を量産する体たらくで8月下旬に二軍落ち。
9月に一軍昇格したが、昇格当日に当時の矢野燿大監督へ「モチベーションが上がらない」と直訴し広島から帰阪、シーズン途中で解雇された。当該項目参照。
ジャスティン
・ボーア
一塁左打2020
.243/17本/45点
メジャー通算92本塁打を放った大砲。
だが左投手に極端に弱く、開幕から18打席連続無安打を記録するなど早々に「バースの再来の再来」認定を受けてしまった。その後は一時的に打率3割を記録するなど総合的には悪くない成績であり、また日本の野球や文化に積極的に馴染もうとするなど人柄もよく、残留を望む声もあったが、調子の波や高年俸がネックとなり1年で退団した。これでも近年の阪神助っ人では活躍した方である。
メル・
ロハス・ジュニア
外野両打2021-2022
.220/17本/48点
新型コロナウイルス感染拡大に伴う入国制限で来日が4月まで遅れたことによる調整不足の影響もあり、前述のボーアを超える開幕20打席連続無安打を記録。この年は後半戦こそ持ち直し、2年契約2年目も8月のクラスター発生時にチームの連敗を止める救世主的な役割を務めることもあったが、全体の数字は芳しくなく、推定年俸の3億には割に合わず退団。
シェルドン・
ノイジー
外野右打2023-
.240/9本/56点
広い守備範囲と強肩を誇るが、打者としては対変化球を含む打撃技術は高いものの中距離打者という評価だった。
レギュラーシーズンではリーグトップとなる捕殺12を記録したが、全体的には指標上でブービー争いをするほどだった。打撃に関しても前評判通りの程々な成績で上記の「バースの再来の再来」よりはマシというべき評価だったが、 日本シリーズでオリックス相手に2本塁打・5打点を稼ぐ活躍で残留を勝ち取った*12

上で紹介した選手の中にはジョンソン、タラスコ、ハートキー、ナバーロ、ボーア等、外国人選手としては打率・長打力等に物足りない点こそあれど一軍でそれなりに試合出場しまずまずの成績を残した選手や、クルーズ、スペンサー、ロジャース、ロサリオのように時折光るものを見せた選手もいたものの、「バースの再来」という看板は重くその多くが1年以内にチームを去っている。特に高い前評判がありながら散々な結果に終わったグリーンウェル、メンチ、コンラッド、低い前評判通りの悲惨な結果を残したフォード、ヘイグ、キャンベルらはダメ外人の象徴に挙げられやすい。

なお、こんな魑魅魍魎だらけの阪神助っ人事情であるが、自前外国人には

  • 後のMLB大打者セシル・フィルダー*13
  • 1992年に暗黒期唯一のシーズン2位と後の1995年ヤクルト移籍早々日本一に貢献したトーマス・オマリー
  • 1年目に214安打でイチローの持っていた当時のシーズン安打数記録を更新し、その後も安打製造機として6年にわたり活躍したマット・マートン
  • マートンと組み109打点を叩き出し2014年CS突破の原動力となったマウロ・ゴメス
  • 上述のシェルドン・ノイジー

他球団から獲得した助っ人には

  • オマリーの相棒ジェームス・パチョレック
  • 平成の3連発メンバーで2003年リーグ優勝に貢献したジョージ・アリアス
  • 3年連続ゴールデングラブ賞を獲得し、後に阪神の敏腕スカウトとなるアンディ・シーツ
  • バース以来の本塁打40本超えと平成のクリーンアップ3連発メンバーであるクレイグ・ブラゼル

また投手*14に関しても

  • 暗黒時代を支えたマット・キーオベン・リベラ
  • ムエンゴに悩まされながらも奮闘したグレッグ・ハンセル
  • 投げては2年連続二桁勝利、打席でも野手顔負けのバッティングを見せ、2003年リーグ優勝に貢献したトレイ・ムーア
  • 阪神一筋10年で日本通算98勝と、先発投手陣の大黒柱として活躍したランディ・メッセンジャー
  • ジェフ・ウィリアムス、ジェロッド・リガン、スコット・アッチソン、呉昇桓(オ・スンファン)、マルコス・マテオ、ラファエル・ドリス、ピアース・ジョンソン、ロベルト・スアレス*16ら21世紀の阪神を支えたリリーバーたち

など、平成以降だけでも有力な助っ人は多数存在する(詳細については趣旨から外れるのでここでは割愛する)。



バースは2023年に日本の野球殿堂入りを果たし、加えてこの年には盟友の岡田彰布が率いた阪神タイガースが38年ぶりの日本一を掴み取った*17

バースはこの日本一の後に

といったコメントを残している。


派生

2016年10月29日の日本シリーズ第6戦の8回表、当時日本ハムファイターズの投手であったアンソニー・バース*18が、広島カープのジェイ・ジャクソンからセンター前ヒットを打った際には、「バース緊急来日」とネタにされた。

なお、一応海外スポーツでもスケールの違いはあるが類似のものに、NBAのマイケル・ジョーダンの後継者の登場を願う「ネクスト・ジョーダン」、サッカーアルゼンチン代表だったディエゴ・マラドーナの後継者を望む「マラドーナ二世」などが存在する。


関連項目


*1 他にも阪神関連項目ではカーネル・サンダースの呪いも登録されている。ちなみに「33-4」の項目は流石に存在しないが「334」の項目で軽く触れている
*2 外国人競技者としての受賞は、1960年のヴィクトル・スタルヒン以来63年ぶりの事である。
*3 阪神の新聞などでの一文字略称は阪急(当時。現:オリックス)との被りを避けるため(神)であり、バース(神)といった表記をされていたことが由来と見られる。
*4 なおバース自体はその後オクラホマへ帰って牧場経営を行い、2004年から2019年の多選上限までオクラホマ州議会上院議員を務めた(アメリカではこちらの経歴が著名である)。
*5 右目の炎症に伴い解雇。ちなみにスコットの弟マイク・クールボーは現役引退後に兄弟揃ってコロラド・ロッキーズ傘下の2Aタルサでコーチに就任したが、2007年7月22日の試合中にファウルボールが頭を直撃し、これがもとで35歳という若さで死亡した。この事故がきっかけとなり、翌2008年シーズンからMLBで、NPBでも2010年シーズンから一塁及び三塁ベースコーチのヘルメット着用が義務化された。
*6 打率.253、14本、56打点
*7 ただし本来ハートキーは二塁手であるため、慣れた守備位置ではなかったという弁護の余地はある。
*8 ニッカンスポーツ2012年11月27日付「青木の元同僚コンラッド、阪神と契約」より。なおこれに対し中村本人はMBSラジオの番組にゲスト出演した際に「ビデオだけが決め手になった訳ではない」と釈明したが、後述の通り無断で獲得していた。
*9 金鳥のゴキブリ獲り器・コンバットのキャッチコピー「一度で二度効くコンバット」の捩り。
*10 大山を優先起用したかった金本に不満があったとされる。実際、大山の方が本塁打は多かった上に守備力が比較にならなかったのもある。
*11 ヤンガービス、ヤンジャービスとも。本職の三塁に加え内野は全ポジション守れるとの触れ込みだったが、阪神では大半が二塁手としての起用だった。
*12 なお、この年は代打中心だったとはいえノイジーよりさらに低調な成績(.222/5本/16打点)に終わったヨハン・ミエセスも残留となっている。
*13 息子はプリンス・フィルダー(元MLB)。
*14 下記の選手達は結果を残した反面、暗黒時代のボブ・マクドナルドや2007年のみ在籍した3億円のボーク王*15ことエステバン・ジャン等、上記のバースの再来達に劣らないネタ助っ人が存在する。
*15 NPB歴代最多となる1シーズン12ボークを記録。104.1イニングでこの数であったため約9イニングに1回はボークを記録していた。
*16 スアレスはソフトバンクからの獲得であり、ここにいる面々で唯一の他球団からの移籍選手である。
*17 なお、バースは同年3月31日の開幕戦(DeNA戦、京セラドーム大阪)で始球式に参加しており、岡田や平田などの1985年戦士と再会を果たした。なおこの試合は阪神が勝利
*18 彼の本名もアンソニー・バス。同姓のランディー・バースにあやかって登録名をバースにした。