プロペラモグラーズ

Last-modified: 2023-12-07 (木) 13:31:51

表サクセス

パワプロクンポケットR/パワプロクンポケット1・2/パワプロクンポケット2ドリルモグラーズ編)/パワプロクンポケット3(サイボーグ編)/パワプロクンポケット4日の出高校編)

 プロペラ団の下位組織であるレシプロ財団の所有するプロ野球チーム。オーナーはプロペラ団のボスMr.リッチモンドでオーナー代理は四路智美

 

 ただし「プロペラモグラーズ」は正式な改名ではなく、プロペラ団の傘下になったモグラーズを揶揄してつけられた名前で正式には「ドリルモグラーズ」のままである*1

 

 親会社の方針に嫌気がさし、ドリルモグラーズ時代に日本一に輝いた監督・コーチの野々村耕造磯田修一、主力選手の主人公(2)を始め、倉刈仁志畑山憲男ドミオ・バンデラスら多くの選手が退団したが、一方で水木卓凡田大介らはモグラーズに残留する。また、同時期に古沢小一郎も腰痛の悪化で引退している。

 

 ドリルモグラーズが日本一になった翌年には両リーグの首位打者とホームラン王と最多勝投手が2人ずつ入団するという大幅な戦力強化がなされたが、その年は最下位という結果に終わっている。5の水木によると、フロントの訳の分からない指示やトレードが原因だったらしい。
 この時期はプロペラ団がチームの勝敗を支配していたので、プロ野球を盛り上げるために大番狂わせを演じたのだと思われる(もっとも、シーズン序盤で「モグラーズはひっかけだ」と見破っていた一般人もいるが)。

 

 活躍中であった三鷹光一選手が怪我で1シーズンを棒に振るなどの事故が起こっている(本当はプロペラ団による制裁)。

 

 プロペラ団壊滅後はオオガミがプロペラモグラーズを買収。球団名を「大神モグラーズ」に改名して大神美智男が球団オーナーになる。

 

 以降の沿革は「大神モグラーズ」を参照。


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  • 冴花や主人公(13)も名前を知ってたあたり、13の時代では一般人にも知れ渡ってたのか? -- 2011-01-04 (火) 23:32:10
  • そうじゃないのか、別に不自然とも思わない -- 2013-02-11 (月) 03:24:14

*1 この事は『5』の手久野正巳とのイベントで触れられる。その際に主人公(5)に「プロペラモグラーズ」という名前を知っているかと聞かれるが、態々聞く辺り裏の事情を知っていた人たちの中で呼ばれていた名前らしい。手久野正巳はプロペラモグラーズを知っていた模様だが、裏の世界の人間でないコーチが知っていた辺りに実際にどの程度広まっていたのかは不明。また、『2』でプロペラ団が登場した状態でドリルモグラーズが日本シリーズで日本一になると主人公(2)がアルバムでドリルモグラーズがプロペラモグラーズになった事を語っている為に主人公(2)もプロペラモグラーズを知っていた事が分かる。