No126 プリンストン/元ネタ解説

Last-modified: 2023-03-31 (金) 18:29:33
所属United States Navy
艦種・艦型クリーブランド級軽巡洋艦→インディペンデンス級航空母艦(1941)→軽空母(1943)
正式名称USS Tallahassee (CL-61)→USS Princeton (CV/CVL-23)
名前の由来アメリカ合衆国フロリダ州レオン群タラハシー市
→Battle of Princeton アメリカ独立戦争プリンストンの戦い
起工日1941.6.2
進水日1942.10.18
就役日(竣工日)1943.2.25
除籍日(除籍理由)不明(レイテ沖海戦/Battle of Leyte Gulf 1944.10.24自沈処分)
全長(身長)225.9m
基準排水量(体重)14900英t(15139t)
出力Babcock&Wilcox式重油専焼缶4基メーカー不詳蒸気タービン4基4軸 100000shp(101387.0PS)
最高速度31.5kt(58.33km/h)
航続距離15kt(27.78km/h)/13000海里(24076km)
乗員1569名
装備ボフォース40mm機関砲x22(11×2)
エリコン20mm機関砲x16
艦載機45
装甲なし?
建造所New York Shipbuilding Corporation, Camden, New Jersey
(ニューヨーク造船所 アメリカ合衆国ニュージャージー州カムデン郡カムデン市)
勲章American Campaign Medal
Asiatic-Pacific Campaign Medal(9 stars)
World War II Victory Medal
Philippine Presidential Unit Citation
Philippine Liberation Medal
  • アメリカ海軍が建造したインディペンデンス級航空母艦。元々はクリーブランド級軽巡洋艦タラハッシーとして1941年6月2日に起工されたが、空母戦力の増強を望む軍部によって設計が変更された。
    1942年3月31日、プリンストンに改名。同年10月18日に進水を果たす。
  • 1943年2月25日竣工。カリブ海で訓練を行った後、第23任務部隊に編入。7月15日にインディペンデンス級軽空母に艦種を改めた。そして太平洋戦線へと送られ、対日戦に参加。8月9日、真珠湾に到達した。
  • 9月1日、初の任務としてベイカー島で建設中の飛行場を護衛。9月14日、艦載機が日本軍の偵察機を撃墜し、初の戦果を挙げる。翌日、日本軍拠点があったタラワを空襲。攻撃後、真珠湾へ帰投。
    11月1日から翌日にかけてブイン、ブカを空襲して飛行場を破壊した。この時期はサラトガとチームを組んでいる。
    10月20日、ブーゲンビル島のブカとボニスの飛行場へ艦載機を派遣。オーガスタ湾の日本軍機を迎え撃った。
    11月5日午前、サラトガとともに97機の艦載機を発進させ、ラバウルを空襲。重巡愛宕高雄摩耶最上、筑摩、軽巡阿賀野、能代、駆逐艦若月と藤波に手傷を負わせ、トラックへと後退させた。
    同日夕方、日本軍が艦攻14機を繰り出して、第一次ブーゲンビル島沖航空戦が生起。日本側はプリンストンとサラトガの撃沈を報じたが、彼女は健在だった。
  • 1944年1月、第58任務部隊へ転属。19日からクェゼリンとメジェロの攻略作戦を支援するためタラワを空襲。そして2月2日には、次の攻略目標であるエニウェトク環礁を偵察。翌日、同環礁へ3日間に及ぶ空襲を行った。
    作戦後、補給のためエスピリトゥサント島へ寄航。3月23日、日本船団を求めて哨戒。4月21日から29日にかけて、ニューギニアへ向かうオランダ軍の船団を上空から支援した。
    4月29日と30日にトラックを、5月1日にボナペを空襲し日本軍の戦力に打撃を与える。5月11日、真珠湾に戻るが、18日後にメジェロに向かって出港。
  • 6月11日、サイパン上陸作戦に先立ってグアム、テニアン、サイパンを空襲。6月19日のマリアナ沖海戦でも30機を撃墜し活躍。多くの戦いで八面六臂の活躍を見せた。
    8月2日、エニウェトクで補給を受けた後、フィリピン海へ進出。9月9日、ミンダナオ島北部の飛行場を空襲。中旬にはパラオとルソン島を攻撃、特にクラーク及びニコルス飛行場への攻撃は苛烈を極めた。
    同年10月12日には台湾沖航空戦に参加。日本側の航空戦力撃滅に貢献し、後のフィリピン攻略戦を有利なものにした。
     
  • 1944年10月24日朝、レイテ上陸作戦に参加し、支援をしていたところに第二航空艦隊の彗星艦爆が1機出現。急降下爆撃を受け、午前9時38分に大破炎上。彗星は対空砲火で撃墜されたが、プリンストンは危機に立たされる。
    格納庫でガソリンに引火し、15分後には全ての格納庫が火の海となった。被弾の衝撃で故障したのか、スプリンクラーも作動せず、機関室は早々に放棄された。
    10時2分から20分にかけて、格納庫から連続した爆発が発生。この爆発でフライトデッキと両エレベーターが破壊され、要員は機械室からの避難を余儀なくされる。
    10時10分より僚艦の軽巡バーミンガムが消火をするべく近づいた。順調に消火が進み、要員にも安堵の表情が広がり始めた13時30分、日本軍の航空機が接近中との報告が入る。
    バーミンガムは慌てて消火活動を切り上げて退避。しかしこの判断がプリンストンの命運を分けてしまう。
    報告は誤報であると知ったバーミンガムは安全な港へ曳航しようと横付けする。その瞬間、プリンストンの弾薬庫に引火し大爆発が発生。プリンストンは魚雷の輸送も務めており、不運にもそれに引火してしまったのだ。
    船体が当たるほど接近していたバーミンガムは爆風と破片をもろに受け、損傷。右舷甲板にいた乗員のほぼ全員が死傷し、その数はプリンストンの負傷者数の半数に上った。
    ここに至り、プリンストンの放棄が決定。リノとアーウィンによる雷撃で撃沈処分された。