No150 エメラルド/元ネタ解説

Last-modified: 2018-11-18 (日) 12:21:26
所属Royal Navy
艦種・艦型エメラルド級軽巡洋艦
正式名称HMS Emerald (D66)
名前の由来Emerald 緑柱石の一種で宝石 和名は翠玉
起工日1918.9.23
進水日1920.5.19
就役日(竣工日)1926.1.14
退役日(除籍後)1945 1948.6.23除籍(売却後解体)
全長(身長)170.0m
基準排水量(体重)7580英t(7702t)
出力Yarrow式重油専焼缶8基Brown-Curtis式蒸気タービン4基4軸 80000shp(81109.6PS)
最高速度33.0kt(61.11km/h)
航続距離15.0kt(27.78km/h)/8000海里(14816km)
乗員572名
装備(1944)6inch50口径Mk.XI単装砲5門
ヴィッカース3ポンド単装高角砲4門
ヴィッカース2ポンド機関砲x8(2x4)
エリコン20mm機関砲x18(6x2+6x1)
21inch四連装魚雷発射管2基8門
装甲舷側:1.5~3inch 甲板:1inch 砲塔:1inch バーベット:1inch 艦橋:3inch
建造所Vickers-Armstrongs Limited,Elswick,Newcastle upon Tyne
(ヴィッカース・アームストロング社ニューキャッスル造船所 イングランド国北東イングランド地域タイン・アンド・ウィア州ニューカッスル・アポン・タイン市エルツィック)

イギリス海軍が建造したエメラルド級軽巡洋艦1番艦。生まれは第一次世界大戦の真っ只中の1918年。戦時緊急計画によって建造が決定。エメラルド級の艦名はEから始まるように付けられている。
1918年3月7日、船体をアームストロング社に、機関をウォルセンド社に発注。9月23日にチャタム工廠で起工し、1920年5月19日に進水、1926年1月14日に竣工した。竣工後、東洋艦隊に編入。

 

1927年3月、中国国民党による英領事館及び居留民襲撃事件(南京事件)が発生。エメラルドは同胞を守るため現場に駆けつけた。
1933年7月15日、東インド諸島に派遣され第4巡洋飛行隊に編入。翌年から1936年まで近代化改修を受ける。1937年に勃発した支那事変では、イギリス人と権益を守るため中国近海に進出。
1939年9月3日、第二次世界大戦が勃発。開戦時、第12巡洋艦隊に所属していた。1939年10月からカナダへ5800万ポンドの金塊を運んだ。

 

1940年6月10日、任務のためカナダ軍とともにアイスランドへ向かっていたところ、デンマークがドイツに降伏したとの情報が入った。デンマーク領のアイスランドをドイツ軍に利用されないよう
イギリス軍機が強行着陸を行った。16日、エメラルドは着陸した機から生存者を救出した。

 

1941年からはインド洋に活動の場を移す。4月、イギリス軍の飛行場を攻撃するイラク軍に対抗するため中東行きの船団を護衛した。6月15日、マラッカ海峡で軽巡ドーントレスと衝突。
7月からはアラブ連邦首長国の支援を得て、ペルシャ湾に展開した。この時、マラリアが流行し乗員2名が死亡。70名以上が罹患した。
同年12月、大日本帝國がイギリスに宣戦布告し参戦。エメラルドは東洋艦隊に所属していたが、幸運な事に帝國海軍の爪牙にかからなかった。
1942年8月、ポーツマスへ帰還。修理に入り、1943年4月まで戦列に復帰できなかった。
1944年6月、ノルマンディ上陸作戦を支援。1945年1月、予備役に編入。1948年6月に売却され解体。

 

余談だが1941年2月、通商破壊をしていたドイツ海軍の戦艦グナイゼナウは運悪く英戦艦ロドニーと遭遇してしまう。
正面からではとても太刀打ちできないと判断したファイン艦長はロドニーの艦名を問う信号に対し、「巡洋艦エメラルド」と答えた。
相手が友軍艦かもしれない可能性を突きつけられたロドニーは砲撃できず、グナイゼナウの逃走を許してしまった。