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宗三左文字

Last-modified: 2017-10-31 (火) 16:44:31
81番
僕を侍らせて、それでどうするんでしょう?宗三左文字(そうざさもんじ)打刀左文字
ステータス(MAX)
生存32(37)打撃34(48)
統率34(42)機動33(41)
衝力26(44)範囲
必殺30偵察33(37)
隠蔽34兵装備スロット2
装備可能刀装
投石/軽歩/重歩/盾/軽騎
ランクアップチャート
宗三左文字宗三左文字 特(Lv20) → 宗三左文字 極(Lv70)
刀帳説明
……宗三左文字と言います。
今川義元が討たれた時、僕を戦利品として得た魔王によって磨上られ、刻印を入れられてから今の僕があります。
……ですから、義元左文字、とも呼ばれています。
その後は豊臣秀吉、秀頼、徳川家康、そして徳川将軍家と僕は主人を変え、天下人の持つ刀として扱われました。
……なぜ、みんな僕に、そんなに執着したのでしょうね……

※ステータスは刀帳に表示されている初期値のもの カッコ内の数値は錬結・内番で強化できる限界値

CV:泰勇気、イラストレーター:鈴木次郎(クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

2015年1月発売の月刊Gファンタジーでは「幾度も主人を変え、その運命を甘受してきた打刀。」と紹介されている。(公式ツイッター本丸通信

現在の入手方法

過去の入手方法

  • イベント報酬

ステータス

  • 打刀の中でステータスは全体的に控えめ。

他の刀剣男士との会話

その他

  • サービス開始当初「本丸(負傷時)」のセリフは二種類存在したが、2015/02/18時点で一種類しか再生されなくなったことがユーザーにより確認されている。
    なお、消されたセリフは「目を閉じれば炎の夢……僕は……」(←要反転) 今後再び聞けるようになるかは不明。
  • 第8回目のイベント「連隊戦」の報酬としても登場。

小ネタ Edit

  • 南北朝に作刀された刀。元は太刀であり、磨上げられ現在の打刀の姿になった。
  • 持ち主の変遷から「宗三左文字」「三好左文字」「義元左文字」の名を持って伝えられる名物であり、「義元左文字」(無銘中心ニ「永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀織田尾張守信長」ト金象眼アリ)として重要文化財に指定登録されている。
    • 織田信長が終生の愛刀としたことから「信長左文字」と称されることもある。
  • 長さ 2尺2寸1分半(67.0cm) (磨上前)2尺6寸(約78.8cm)
  • 反り 5分3厘(1.6cm)

来歴
台詞に「天下人の持つ刀」「天下人の象徴」とある通り、持ち主を変えながらも、各家で重宝とされたエピソードが多く残る刀である。

  • 略歴は三好宗三→武田信虎→今川義元織田信長豊臣家(秀吉・秀頼)徳川家康徳川将軍家15代→建勲神社
    (太字は愛刀として身につけ侍らせた記録のある武将、または重宝とした記録のある家。)

  • 戦国時代、畿内の三好宗三から甲斐・武田信玄の父武田信虎に贈られたものであるという。
    その後、武田信虎から当時抗争を繰り広げていた駿河の今川義元に渡り、義元はこの刀を愛刀として大切にしたと伝わる。
    • 武田信虎は今川氏と和睦を示すものとして娘・定恵院を嫁がせる際(1536年)に引き出物として一緒に持たせたという説がある。*1しかし、その話は根拠不明であり、1549年の江口の戦いで三好宗三の戦死時の佩刀だったものを以後に武田信虎が入手したという話とも時系列や信憑性上の矛盾がある。
  • 永禄3年(1560年)桶狭間の戦いにおいて今川義元を討ち取った織田信長が戦利品として取得。金象嵌で「永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀」裏に「織田尾張守信長」と刻印し、自分の愛刀とし常に身につけていたという。
    台詞にある「魔王」とは、自ら「第六天魔王」を名乗った織田信長のこと。信長はこの刀を終生大切にしており、本能寺の変まで手元においていた。
    • 信長の右筆*2衆であった太田牛一著「信長公記」には、信長は義元から手に入れた宗三左文字で何度も試し切りをさせ、切れ味が良いのが分かったので、常の差し料としたと記されている。*3この記述以降、「信長公記」に信長所持の刀が記される際には、この刀の名が最初に挙げられている。
    • 信長は、2尺6寸(約78.8cm)あった*4というこの太刀を2尺2寸1分(約67.0cm)に磨上げ、刻印を入れたという。磨上げの時期は不明であるが、信長が刻印に記されている「尾張守」を名乗ったのは、永禄9年(1566年)頃の事であるという。また、左文字の刀に施される「筑州住 左」の銘は、この時に失ったものと思われる。
    • 索敵時の台詞の「油断したが故に討たれる」は、義元のことを指すと思われる。しかし、油断したが故に討たれたのは本能寺の変の信長も同じであり、信長の事もしくは両者を指している可能性もある。
    • 今川義元は今でこそ織田信長に討たれるべくして討たれたように描かれることも多いが、当時は押しも押されもせぬ大大名であり、尾張の片田舎から出てきた武家に討たれることそのものが青天の霹靂であった。すなわち桶狭間で負けることは織田家存亡の危機であり、茎に刻まれた金象嵌の刻印には、信長がいかにこの勝利を重要視していたかが現れている。
    • 本能寺の変においては、台詞から今作で採用されているのは本能寺で焼け秀吉の手に渡り、ここで1度再刃された説のようである。*5他に、信長の枕席*6に侍っていた松尾大社の祠官の娘が、宗三左文字を持って逃げ出し、後に父である松尾大社の祠官が文禄元年(1592年)に豊臣秀吉に献上したという説*7がある。
「まけずの鍔」
  • 本能寺の変の後は豊臣秀吉の手に渡った。のちに天下統一した太閤秀吉の死去後はその子、豊臣秀頼へと伝えられた。
    • 豊臣家では、刀が収められていた7つの箱の内、一之箱に収められていた。*8
    • 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの後の、慶長6年(1601年)3月に、秀頼は家康を大坂城に迎えた時に、宗三左文字の刀を贈っている。*9宗三左文字は、関ヶ原後の政治的に重要な時期に豊臣家の重宝として最も初期に家康に贈られたもので、豊臣家においていかに重要視していたかを物語っている。
  • その後、江戸幕府を開府し征夷大将軍となった徳川家康へ伝わる。家康は大阪の陣でこの刀を佩いていたとされる。その後、徳川将軍家の重宝としてと代々受け継がれていくこととなった。
    • 江戸幕府の公式記録である「徳川実紀」には、徳川家康お気に入りの3振りとしてソハヤノツルキ、本庄正宗と共に名を連ねている。
    • 家康は、宗三左文字と菖蒲正宗を特に愛用し、替え鞘をいくつも作らせ常に身に着けていたとされる。関ヶ原の戦いでは菖蒲正宗を、大坂の陣では宗三左文字をそれぞれ佩用した。*10
      • 慶長19-20年(1614-1615年)大阪の陣への帯刀により、宗三左文字は皮肉にも歴代の主が築き上げた一時代の終焉を飾ることとなった。
    • 家康が大阪の陣へ帯刀したことから秀忠も宗三左文字を重視し、嗣子である家光に譲ったのは死の前日であったとされる。
    • 徳川家では至極の重宝として扱われ、特に宗三左文字と本庄正宗は徳川家15代中、御三家に下賜されることもなく常に宝蔵に収められていたと記されている。*11
  • 明暦3年(1657年)江戸時代には明暦の大火に遭うものの、無事再刃される。刀剣乱舞ではこの刀にとってここで2度目の火災、そして再刃となる。
    • 火災により焼失してしまった刀であっても金象嵌は残るものが多く、再刃の際も刀身には熱を加えても、茎は加熱しないので金象嵌への影響は少ない。この事から宗三左文字も下方の一部を除き、金象嵌がほぼ完全な形で残っている。
    • 宗三左文字は火災と再刃により左文字の特徴である作風を、磨上げによって銘を失くしており、現在この刀を左文字の刀であると鑑定する事は難しい。しかし、ほぼ完全な姿のまま残る信長の刻印と、歴代の主が左文字の刀として受け継いできたという記録が、現在もこの刀を左文字の刀たらしめている。
  • 明治維新後、明治天皇が織田信長に建勲(たけいさお)の神号を贈って建勲神社が創建された。その際にこの刀も徳川家から奉納された。

キャラクターデザイン

  • 文字三兄弟の次男。刻印を刻まれたことにより天下人の象徴として扱われ刀として振るわれなかったことや、火災にあったことなどからネガティブな性格になっている。
  • 紋は織田家の家紋である織田瓜と左文字の左の字を組み合わせたもの。
  • デザインを担当した鈴木次郎氏の回答より瞳はオッドアイであるとのこと。
  • 刀剣乱舞一周年記念イラスト(公式Twitterより)

かごの鳥を侍らせたい審神者たちのコメント Edit

鍛刀成果の報告はレシピ報告内に、
ドロップ報告に関してはステージドロップ内にあるコメント欄にて行なっていただけると幸いです。

2015/02/02に設定されました当wikiガイドラインに基づき、入手・ダブり報告【のみ】・未入手の愚痴【のみ】のコメントはおやめ下さい。

ガイドライン周知のため、暫定的に折りたたんであります。




*1 詳註刀剣名物帳
*2 武家において文書や記録をつかさどる役職。
*3 出典『信長公記』今度分捕に、義元不断さされたる秘蔵の名誉の左文字の刀召し上げられ、 何々度もきらせられ、信長不断さされ候なり。
*4 詳註刀剣名物帳
*5 詳註刀剣名物帳
*6 寝所の事。
*7 参考文献『日本刀大百科事典』
*8 「豊臣家御腰物帳」
*9 「御太刀御腰物御脇指」
*10 出典:『徳川実紀』この二振は殊に御祕愛にて。替鞘をあまた作らせ置て。御身さらず帶しめしなり。關原のときは菖蒲。大坂には宗三をはかせられしとか
*11 しかし本庄正宗は徳川4代目まで紀伊家にあり、実際に実行されたのはこの4代目以降である。