「あれ? 昴、どこか行くの?」
時間は八時少し過ぎ。
ただ何となく家の中をふらついていた小雨は、玄関へと向かう昴を見つけた。
「えぇ。この後の食事会で食材が足らなくなりそうなので、その買出しです」
「ふーん。どこ行くの?」
「? 商店街の方ですが」
質問の意図がよく分からずも、とりあえずは目的地を告げる昴。
すると、それを聞いた小雨の表情に笑みが浮かんだ。
「じゃあ、小雨も着いていくっ」
つまるところ、あの質問の意味はこれだったのだろう。
買出しと聞いた時点で、小雨の中には初めから『着いていく』の選択肢しかなかったのかもしれない。
「……別に構いませんが、小雨お嬢様」
「なぁにっ?」
「お菓子は買いませんよ?」
「――――!?」
「……そんな世界が終わるかのような表情を浮かべなくても」
たかがお菓子ぐらいで大げさな――っていうかやっぱり真の目的はそこだったらしい。
「ご主人様に、小雨お嬢様を甘やかさないようにと日頃から言い聞かされていますので」
「ぱ、パパの馬鹿ーっ!」
「ご主人様は今書斎なので、部屋の方に向かって叫んでも意味は無いですよ」
「パパのどあほーっ!!」
振り返って言い直していた。
しかもなんか酷くなった。
「ふぅ、よしっ」
しかしそれで満足したのだろう。
小雨は清々しい笑みとなってそう頷くと、昴の方へと向き直った。
「それじゃ、いこ、昴」
「……そうですね」
もはや何も言うまい。
昴はそんな心境で、既に玄関へと向かっていた小雨に続いた。
「って小雨お嬢様ー? そんな先に行くと、はぐれますよー?」
「大丈夫だよーっ! はぐれても帰って来れるからーっ!」
「……ですからそう言う問題でないと……」
が、こういう時には小雨が人のいうことを素直に聞くことは無い。
だから昴は、出来るだけ小雨を見失わないよう、小走りで外へと向かったのだった。
そしてはぐれた。
「昴ー? どこー?」
小雨は左右前後を見渡すが、どこにも見慣れたメイドの姿はない。
まぁ、普通に考えて、全力で走る小雨に、メイド服を来たままの昴が追いつけるはずも無かったのだが、
「もう……しょうがないなぁ、昴はっ」
当然ながら、小雨の中にはそんな考えは微塵たりとも存在してはいなかったようである。
「まぁいいや。適当に歩いてようっとっ」
幸い、昴の行きつけのスーパーとかであれば小雨は把握している。
だからその中とか周辺をうろついておけば、その内合流できるだろう。
そう踏んで、小雨が商店街の中へと踏み込んだときだった。
「ひゃぅっ!?」
ドン、と。
小雨の小さい身体は、商店街から出てきた男達の一団にぶつかり、弾き飛ばされてしまったのだ。
「あ? 何?」
「んだよ、ガキじゃん」
「うっわ。今結構吹っ飛んだじゃん。すっげぇ」
その男達は、弾き飛ばされた小雨を見、そんな風に嘲笑を浮かべた。
「う……あぅぅ……」
が、対する小雨は、吹き飛ばされたときに腰でも打ったのだろう。
そこにそんな男達の言葉が加わり、目にはうっすらと涙が浮かび始めていた。
「うわ、コイツ泣いてね?」
「マジかよ? わけわかんねー」
「はははっ、お前がぶつかっといて、そりゃねーだろ」
「うっせーよ!」
だが、そんな小雨に男達は謝ろうともしない。
それどころか、既に小雨には興味を失ったのか、お互いに意味の無い罵り合いなんかを始めていた。
そんな時だった。
「……女の子を泣かせておいて、自分勝手な人達ですね」
凛とした声だった。
商店街のこの喧騒の中、その声は何に遮られるでもなく、透き通るように聞こえた。
「あ? 何、お前」
その声の主に、男達が気づいた。
「大丈夫ですか? 小雨ちゃん」
「え……あ、うん……?」
声の主は、小雨の後ろにいた。
そして後ろから、小雨の肩を支えてそう問いかける。
だが小雨には、いきなりのことでそれが誰なのかはわからなかった。
ただ、聞き慣れた、自分の知る声だということだけが、確かに分かった。
「お前には関係ねーだろ」
「いえ、ありますよ」
小雨を優しく立ち上がらせてから、彼女は静かに立ち上がった。
「私は、この子の友達ですから」
「何、お前。喧嘩売ってんの?」
「そう解釈したいのであれば、ご自由にどうぞ」
「……女だからって、あまり生意気な口聞くと手加減しねぇぞ」
「そうですか。その言葉、そっくりお返ししますよ」
「……いい度胸じゃねぇか、テメェ」
男達の中で、何かが切れたらしい。
まるで男達の言葉に恐れの一つも抱かない彼女を、男達が取り囲んでいく。
周りでは何かと通行人が遠巻きに眺めていたが、やはり彼女の表情には何の恐れも浮かばなかった。
それどころか、
「小雨ちゃん。ちょっと下がっていてくださいね」
「あ……うん」
その輪の外に立つ小雨に、そんな心配を掛ける程だった。
「舐めてんじゃ、ねぇぞっ!」
それで、男達に限界が訪れた。
ただ一人の彼女に対し、一斉に襲いかかる男達。
周りから、一斉に悲鳴が上がった。
当然だ。
その輪の中にいるのは、華奢な体格をした、一人の少女だけなのだから。
「愚か、ですね」
だが次の瞬間。
そこにいた誰もが、驚愕を隠せなかった。
「言葉を投げかけられただけで、暴力に走るなんて。いつの時代の暴力団でもないのでしょう、あなた達は」
「……な、ぁ……っ!?」
結果から言えば、彼女は無傷だった。
あれだけの男に囲まれながら、怪我の一つもしていなかったのだ。
そして――もう一つ。
彼女の姿は、『男達の輪の外』にあったのだ。
囲まれ、身動きが取れるはずも無かった状況で。
彼女は確かに、その状況を抜け出し、そこに立っていた。
「では、こちらも言った通りに手加減はしません」
そして次の瞬間には、誰もが自身の目を疑った。
「ぐ、がぁっ!?」
男の一人の肩を彼女が掴んだかと思うと、目にも止まらぬ速度で足を薙ぎ、その男を地面へと倒したのだ。
しかも倒れると同時、その腕を取って関節を決めるオプション付きで、だ。
「な――」
「あなた達が何もせず立ち去ってくれるなら、私も何もしません。ですが、これ以上何かするというのなら――」
「ッ!? あああぁぁぁぁっ!!」
関節を決められていた男から、悲鳴が漏れた。
「どうなっても、知りませんよ」
その言葉が決めてだった。
男達は、その言葉に恐れをなしたのか、一斉に踵を返して駆け出した。
そして彼女が腕を取っていた男も、その腕が開放されると、一目散に同じ方向へと走っていく。
それを見送る彼女に、周りからは一斉に拍手が巻き起こった。
だが彼女はそれを気にすることも無く、真っ直ぐに小雨のもとへと。
「小雨ちゃん、腰、痛みますか?」
「う、ううん。平気だよ、流ちゃん。助けてくれて、ありがとぅ」
「いえ。友達があんな目にあったんです。当然のことですよ」
そう言い、小雨と彼女――水野流は、お互いに微笑み合ったのだった。