「小雨お嬢様……そんな足取りではまたぶつかりますぞ」
「はぅ……」
まだ眠たそうなそんな声。
昴に出された食事には手を付けず、皆が集まるまで待っていたサメはその声に扉の方を見た。
「おはよう、小雨。……何だ、昨日は遅かったのか?」
「うんおはよぉ……。ちょっと、昨日は友達と電話してたの……」
「小雨お嬢様、あまり目を擦ってはいけませんよ?」
「うん……。あ、昴も、おはよぉー」
「はい、おはようございます」
やはり眠そうに瞼を擦ったまま、小雨はふらふらと揺れながら席に向かう。
果たして何時まで夜更かしをしていたのだろうか。
「小雨お嬢様はまだ小さいんですから、あまり身体に無理をさせてはいけませんよ?」
「し、身長は関係ないよぉっ! その内、小雨だって流ちゃんみたいに大きくなるんだからっ!」
「あらあら。でしたら、当然好き嫌いなんてしてはいけませんよね?」
不意に、そんな発言とともににこりと微笑む昴。
だがその一言の裏にある真意を、長年一緒に暮らしている小雨は敏感に感じ取り、ゆっくりと首を昴の方へ向けた。
「……今日の朝ご飯、何?」
そして、『え? 嘘だよね?』とかでも言いたそうな表情で昴を見るが、
「本日は和食で、ご飯と味噌汁。焼き魚とサラダと――納豆です」
瞬間、小雨の動きが止まった。
「……納豆?」
「はい。納豆です」
「……ネバネバ?」
「ネバネバでない納豆はただの豆ですが」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「………………あ! ちょっと小雨用事を思い出し――」
小雨は逃げ出した!
「逃がしません」
「イヤーッ!!」
しかし回り込まれてしまった!
小さい身体故のすばしっこさでその場を逃げようとした小雨だったが、その事態を想定していた昴にあっさりと掴まってしまっていた。
昴に片手で首ねっこを持ち上げられたその姿は、どう見ても小動物のそれである。
「駄目ですぞ、小雨お嬢様。好き嫌いをしていては美しい女性になれませんぞ?」
「あぅぅ、ネバネバなのは嫌いなのぉーっ!!」
「……ご主人様?」
「あー……まぁ、乱暴するなよ」
「かしこまりました」
「パパの裏切り者ーっ!?」
キャーキャーと納豆からの逃避を続けようとする小雨だったが、昴に抑え付けられて椅子へと戻された。
まぁ、好き嫌いをしては作った人に失礼なので、当然だが。
「鼻を摘んであげますから、頑張って食べましょう。納豆は栄養多いんですよ?」
「うぅ……分かったよぉ……」
もはや逃げられないと悟ったのだろう。
小雨は意を決すると、昴へと合図を送る。
昴はその合図で小雨の鼻を摘み、小雨は箸を構えた。
そして一気に納豆をかけたご飯を一気に口に掻き込んだ。
「小雨お嬢様……? そんなに一気に掻き込むと――」
「んっ!? んーーーーッ!!」
「あぁほら、こうなるじゃないですか」
「ほら、小雨。水だ」
「んーっ!」
サメから受け取った水を一気に飲み干す小雨。
だが、その姿を見ながら、ある点に気づいた者が一人。
「……サメ坊ちゃま。もしや小雨お嬢様は、昔からこんなことを繰り返しているからネバネバしたものを嫌いになったのではないのですか?」
「……言われてみれば、小雨がそういう物を食べる時はいつも喉に詰まらせていたな……」
「小雨お嬢様……」
「あ、あぅーっ! 皆してそんな目で小雨を見るなーっ!!」
これは、ある意味で一生小雨のネバネバ嫌いは直らないのかもしれない。
そうここにいる全員が感じた、穏やかな朝の時間だった。