「……でかい」
サメ家――屋敷前。
玄関までは軽く百メートル以上はあるであろう庭越しに、屋敷を見上げながら門の前に立つ少年は呟いた。
「色んな意味で入りづらいよこの家……」
よじ登って不法侵入でもしようものなら、明らかに何らかのトラップが発動するに違いない門を見上げる。
その高さは実に十メートル。
高すぎである。
ちなみに不法侵入を企む不埒物には、意識ぐらいは一瞬で奪うレベルの高圧電流が流れるたりするので、少年の考えは大当たりだったりする。
そんなことを知る由も無い少年は、しばらく躊躇したあとにチャイムへと指を伸ばした。
軽い音が鳴り、そしてしばらくの沈黙。
『はい、どちら様でしょうか?』
だがここまで大きい屋敷だと言うのに、その沈黙は十秒も続かなかった。
ドアホンより聞こえてきたのは、若い女性の声。
言うまでもない、この屋敷に仕えるメイド、昴のものである。
「あー……えっと、小雨ちゃんのクラスメイトのフェイミーといいますけど……。えーっと、小雨ちゃんに学校からの届け物を持ってきたんですが」
少年――もといフェイミーは、そうそう人見知りをするタイプではない。
が、今フェイミーが置かれている状況のせいで若干の動揺があったのだろう、その声はところどころ詰まってしまっていた。
『小雨お嬢さまのご友人……ですね、かしこまりました。門を開けますので、本宅の方までいらしてください』
しかしその辺はさすが手馴れているのか。
その言葉に聞き返すなどという愚行をすることなく昴は答えた。
そしてその言葉の数秒後、重そうな門は意外にも大した音を立てることもなく開いていった。
こうして、フェイミーの眼前に広がったのは広くも綺麗に手入れの成された庭。
目の前にその光景を認識し、フェイミーは改めて思ったそうな。
「……絶対どこかにトラップとかあるよね」
とりあえず巧妙にカモフラージュが施された落とし穴ぐらいは普通にある、サメ家庭である。
もちろん正規のルートを通れば何も起きないので、フェイミーがそれを知る由はないが。
玄関にてフェイミーを待っていたのは、当然のようにチャイムに応答した昴であった。
「いらっしゃいませ、フェイミー様」
「どうも、お邪魔します」
既に何となく昴のような存在がいることは予想が出来ていたので、それ自体に驚く、と言うこともなく、フェイミーはその出迎えを受け入れた。
ついでに言っておけば、この巨大な屋敷内の構造についても同様である。
驚きよりも、やはり予想通りだったための納得の方がどちらかと言えば大きいぐらいだろう。
「こちらへどうぞ、ご案内いたします」
「あ、いえ。届け物だけなので、小雨ちゃんに渡してもらえればそれでいいんですが」
「いえ、遠慮なさらないでください。それに、お客様を玄関先で返してしまう、というのは、私のプライドに反するので。……ただ、お時間などが厳しいようでしたら無理は言えませんが」
「あー……」
その昴の言葉を受け、フェイミーの中での昴の印象は決まった。
簡単に言えば、相手に遠慮と言うものをさせない、と言ったところか。
プライド云々、という辺りは明らかに意図してのものだった。
昴はわざとそう言うことで、その誘いを断ることは即ち、昴のプライドを傷つけるということに直結させている。
そういうのを気にしない、一部の例外的な者はともかく、普通の感覚を持っている者であれば、そんな言い方をされては遠慮をするにも出来なくなってしまうだろう。
現にフェイミーが抱いた思いがまさにそれだ。
しかも、時間が無いなどのどうしようも無い場合などと言った理由に対しては、きちんと抜け道を作っている辺りが用意周到と言ったところか。
「しかし……えーっと」
「あぁ、これは失礼しました。私はこの屋敷に仕える昴と言います」
「じゃあ、昴さん。しかしわざわざ厳しい言い回しをしますね」
が、同時にそれを理解したフェイミーは、昴が話しやすい人物であると認識した。
わざわざこういう言い回しを選ぶほどだ。
こちらも普段の態度を出したとしても、気を損ねる程度ではないのだろう。
「ふふ、何のことでしょうか」
フェイミーが自身の意図を理解したことを悟ったのだろう。
昴の表情にはいつものような柔らかくも馴染みやすい笑みが浮かぶ。
「それじゃあ、遠慮なくお邪魔させて貰います」
「それではこちらへどうぞ」
別段今日は忙しいわけでもない。
というか、言ってしまえば、だからこそフェイミーが届け物をする役目を請け負ったわけなのだから。
「少々待っていただくことになりますが、よろしいでしょうか?」
「? 別にいいですけど、何かあるんですか?」
「いえ、小雨様は現在入浴中でして。もうしばらく掛かるかと思いますので」
「……入浴中」
その瞬間、何かフェイミーの目が光った。
ピカリ、では無く、どちらかと言えばギラリと。
「そうですか、分かりました」
だが昴は、この時のフェイミーの変化に気づくことは無かった。
そして後の昴は語る。
こう言った時のフェイミーの笑顔は、今まで見た誰のものよりも輝いていたと。