Tier9 ソ連 戦闘機 Yakovlev Yak-19
スクリーンショットはエンブレム・ノーズアートなしで
性能一覧(v2.0.4.8)
項目 | 初期状態 | 最終状態 |
---|---|---|
火力 Gun Armament | 17 | 29 |
爆装 Bombs and Rockets | 0 | |
抗堪性 Survivability | 12 | |
耐久値 Hit Points | 380 | 400 |
速度 Airspeed | 65 | 70 |
最適高度最高速度(km/h) Top Speed at Best Altitude | 800 | 860 |
最大降下速度(km/h) Maximum Dive Speed | 900 | 920 |
機動性 Maneuverability | 86 | |
一周旋回時間(s) Average Time to Turn 360 deg | 8.6 | |
横転率(°/s) Rate of Roll | 140 | |
最適速度(km/h) Optimum Airspeed | 418 | 437 |
失速速度(km/h) Stall Speed | 160 | |
高度性能 Altitude Performance | 42 | |
最適高度(m) Optimum Altitude | 1,400 | |
上昇率(m/s) Rate of Climb | 144.1 | 150.4 |
フラップ | あり | |
ブースト時間(s) | 6 | |
本体価格(Cr) | 3,450,000 |
装備
武装
機首機銃 | ダメージ/秒 | 発射速度 (rpm) | 有効射程 (m) |
2x 23 mm Sh-3 (C) | 150 | 480 | 800 |
---|---|---|---|
3x 23 mm Sh-3 (C) | |||
3x 23 mm NR-23 (C) | 170 |
その他の項目
名称 | 耐久値 |
Yak-19 | 380 |
---|---|
Yak-25 | 400 |
名称 | 推力 (kgf) | 推進方式 | ブースト時間 (s) |
RD-10 | 900 | ジェット | 6 |
---|---|---|---|
RD-10F | 1,100 | ||
RD-500 | 1,590 |
1 | Pilot |
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派生軍用機
解説
ソ連のTier9戦闘機。
公式HPでは機銃換装に条件は無いように書かれているが、
実際は機体換装(25800exp)が必要なので、乗り出しは23mm2門と苦しい。
最終砲の23 mm NR-23 (C)はYak-15と全く同じで、Tier10のLa-15と同じ武装でもある。
機銃は機首下面に装備している。
どうせなら左舷側にも1門追加しておいて4門にしといてよヤコブレフさん・・・。
初期砲とは大きく差が有るので真っ先に機体を開発し、23 mm NR-23 (C)3門にすることを最優先にしよう。
エンジンに関しては、中間エンジンのRD-10FがYak-15とSu-9の最終エンジンのため、とりあえずそれを使っておけば良い。
本機の最終エンジンRD-500はLa-160の最終エンジンでもあるため、こちらで開発しておくと楽になるだろう。
拡張パーツを発展させると、このティアにして機動性数値が100超えも可能。
非常に小回りの利く機体。 格闘戦が好みのプレーヤーにはうってつけ。
- v2.0
最適高度は脅威の1400mになってしまった。
一方で、旋回性能は日本機が相対的に低下した結果、Tier8の時と同じくトップに浮上した。
Ki-162-Iと比較しても1割以上良いため、低空のドッグファイトならば最強だ。
ただし、Tier9ともなると敵機が孤立することも少なく、離れているところからも速度を活かして距離を詰められるため、単機で無双はできない。
せめて1機はBotの味方を連れておけば、Botならそちらにターゲットを向けることもあるので、その隙に落としていくと活躍できるはずだ。
30mm砲装備機が増えているため、攻撃を回避することは楽になっているが、その反面で米軍機の12.7mmが脅威に感じるようになっている。
特にFJ-1はそこそこ運動性も良く、旋回で引き剥がそうとしているうちに延焼ダメージで思ったより被害を受けやすい。
友軍の30mm砲が有効に働くことを期待して、小型の機体を積極的に落としてあげよう。
- v1.9
最適高度は地上攻撃機を除けばTier9ワーストの1650m。
ただ上昇率は比較的良いので、迂闊な上昇で逃げる敵機にダメージは与え易い。
迂闊でない高高度機の急降下襲撃はJ7W2のように耐え忍ぶしかない。
史実
Yak-19はソ連初の「エンジン排気口より後ろまで胴体が伸びない形式」のジェット戦闘機(つまり、Yak-15のようなレイアウトでないということ)であり、またヤコブレフ設計局初の全金属製戦闘機である。
1946年の4月から5月にかけて、ソ連邦人民委員会議と共産党から「国産のTR-1エンジンを用いた戦闘機を設計せよ」というプロジェクトが指示された。
このプロジェクトを割り当てられた設計局はミグ(I-305・MiG-9改造機)、ラボーチキン("154")、スホーイ(SU-11)、アレクセーエフ(I-211)、そしてヤコブレフであった。
しかしながら、肝心のTR-1は開発作業が難渋に難渋を重ね、しかもどうにか出来上がるエンジンも動かしてみるとあまりうだつが上がらない具合と散々な有様のエンジンであった。
こんな状況だったTR-1に見切りをつけたのであろうか、ヤコブレフ設計局は前年よりTsIAM(航空エンジン中央研究所)と共同で進めていたRD-10へのアフターバーナー搭載作業に着目し、これの研究成果を新型戦闘機へと用いることにした。
既存の機体を流用しない完全新設計、かつ新機軸を多く導入した野心的機体であるにもかかわらず、設計作業をわずか50日で済ませるという突撃的テンポで進められた開発作業の結果、発注からわずか半年ほどしか経っていない46年11月29日にYak-19の試作第一号機は完成した。
早速設計局近傍のホディンカ飛行場へと運ばれたYak-19は地上でのタキシング試験を開始した。しかし、12月12日にエンジン内部ガスケットの品質の悪さに起因する燃料漏れから火災事故を起こしてしまった。
修理が終わり、Yak-19が初めて地上から空へと舞い上がったのは翌年の1月8日のことであった。この瞬間、Yak-19は「ソ連において始めて飛行したアフターバーナー付きエンジン搭載の航空機」となったのである。
しかしながら、交換用エンジンの調達に手間取って3月初頭から5月中旬まで丸々飛行作業が中断してしまった結果、作業が再開する頃には「ソ連において初めて飛行中にアフターバーナーを作動させた航空機」の栄誉がラボーチキンのLa-156に奪われてしまっていた。どうにも気まずいことである。
6月6日には翼端に200リットル入り燃料タンクを追加し、水平・垂直尾翼を小改修した試作第二号機が完成した。この二号機は8月3日の航空ショーへ参加した後、10月17日に空軍科学研究所(現在の国立航空試験センター/GLITs)へと引き渡され、社内テストから国によるテストの段階へと移行した。
空軍科学研究所における試験の結果は芳しくなく、「アフターバーナー機構の信頼性が低い」「アフターバーナーの制御が複雑である」「エルロンを動作させるにあたって操縦桿操作に多大な労力を要する」「操縦席の換気および暖房機構の欠如、ならびに防弾版の不足」といった理由により、「当機の正式採用は推奨できない」と結論付けられてしまった。
とはいえ、この時既にヤコブレフ設計局ではYak-19をベースとする更なる新型戦闘機の開発作業が本格化していたため、Yak-19の設計作業がそれ以上続けられることはなかったのである。
~ここまで機体換装前の解説~
~ここから機体換装後の解説~
ソ連が英国よりロールスロイス・ダーヴェントVを買い付けることに成功すると、(同時に買い付けたニーンとは違って)実物がすぐさま届いたことも手伝って多くの設計局がこれを用いた航空機を開発することとなった。
ヤコブレフ設計局も例外ではなく、ダーヴェントVを搭載する新型戦闘機を二種類開発する運びとなった。Yak-15・Yak-17と同じ、古いが実績ある機体レイアウトに基づくYak-23と、新機軸をふんだんに用いたYak-19に基づいたYak-25である。
Yak-25の胴体は前部と後部の二つの区画に分割して設計され、主翼後部のコネクタから後部胴体を取り外すことでエンジン取り外し作業が行えるようになっていた。
コクピットには厚さ57mmの防弾ガラスと6mm厚の防弾甲板が備えられ、さらに射出座席の背もたれにも8mm厚の防弾甲板が内臓されていた。Yak-19の反省からであろう。
武装はYak-19から引き続きSh-3-23機関砲を2門搭載予定だったのだが、この機関砲は設計上の問題から150発以上の長時間射撃を行うと銃身内で銃弾が暴発するリスクを孕んだ大問題児であったため、替わりにNR-23が3門搭載されることとなった。
一見すると門数が増えて強化されたように見えるが、弾薬搭載量はSh-3-23の2門各150発からNR-23の3門各75発へと減じられており、そこそこ大きな代償を支払ったと言える。
Yak-25の設計案は2月1日に完成し、10月31日には試作一号機による社内テストが開始されている。操縦性と上昇率は良好であったが、高速時に激しい振動を起こす問題が発見された結果再設計を余儀なくされた。しかし、開発中に起きた問題と言えばそれぐらいである。実質的にはYak-19改修型であるためだろう。
その後、一号機の試験結果に基づいて操縦席を与圧構造とした試作二号機が作成され、この機体が国によるテストへと供された。
48年9月に終了した試験においては高い機動性を示したし、ツシノでの航空ショーにも参加したものの、Yak-25の立場が「試作戦闘機」から変わることはなかった。
ほぼ同時期により先進的で、より有望な機体が国によるテストに合格していたためである。
一歩目のYak-19が大きな一歩だった分、二歩目のYak-25は慎重に小さな一歩としたことが裏目に出たと言えよう。
その後はYak-25のエンジンをRD-45に換装した護衛戦闘機設計案であるYak-27も作成されたようである。
エンジン吸気口の位置が異なる二種類の設計案(「正面に一つ」案と、「側面に二つ」案)が作成され、更にはより強力なVK-1の搭載も検討されたようであるが、紙の上から出ることは決してなかった。
コメント
- 4門にしたいところだけど、弾薬ベルトのスペースが取れないくらいキツキツだから無理だろうな(WTのYak-30のx-ray画像を見るに) -- 2018-09-26 (水) 20:29:11