チーシャ=カラシュ戦争 | |
宣戦側 | 防衛側 |
チクラシュタル・メクフォステリフォン・フォロノワ連邦およびシャール地溝帯 | カラシュ・セヴェリン |
ナレス帝国 | |
中立国 | |
聖ヨファン騎士団領 | |
期間 | |
2月19日~2月20日、3月18日~3月21日、4月19日~ | |
宣戦理由 | |
カラシュのウラナ併合・食糧危機 | |
結果 | |
チーシャの覇権確定 |
概要
ヤーディシア大陸西部の両雄、チクラシュタル・メクフォステリフォン・フォロノワ連邦およびシャール地溝帯(以下チーシャ)とカラシュ・セヴェリンにより長期間継続された戦争である。
初期から中期にかけてチーシャが攻勢をかけ続けたが、終盤に入ってカラシュは新興のナレス帝国(以下ナレス)との同盟に成功、一転反撃に出た。
結局この戦争は箱庭動乱期の終焉まで継続され、チーシャが領土を拡大した結果、覇権を確定させた。
発端
早い時期からアストゥリヤ共和国?と結び南ヤーディシア海の制海権を握ったチーシャは、アストゥリヤの滅亡後その遺領を吸収し、早くも大陸随一の領域を有しつつあった。
一方、山一つ隔てた内陸に興ったカラシュは、スディカ王国が撤退した南岸の都市「ウラナ」を占領。自由主義勢力を鎮圧し、チーシャやスディカを圧迫し始めた。中でもチーシャはすぐさまカラシュによるウラナ制圧強行を非難。これに対しカラシュは自由に対する君主制独裁の優位を説き、両国間の緊張が急速に高まっていった。
元々、チーシャは自由主義と近代兵器を取り入れ発展を進めてきた国であり、カラシュは中世以来の絶対王政を頑なに貫いてきた大国であった。両者の衝突は、元から不可避と言っても過言ではなかったのではないか。
直接の火付け役となったのは、カラシュで発生した食糧危機だった。
チーシャはこれをカラシュの悪政と結びつけ非難、ついに2月19日に宣戦布告に至る。