年表まとめ

Last-modified: 2025-04-17 (木) 05:49:11
1巻
年号西暦出来事巻中の副題
天文19年1550年10月朽木家前当主:朽木宮内少輔晴綱、佐々木越中との戦にて討ち死に。
竹若丸、朽木家の当主に就任
新当主誕生
天文?年?年?月澄み酒、椎茸、石鹸を制作。関所を廃止し、朽木が賑わい始める。
国友村から鉄砲鍛冶を、若狭・美濃・伊勢から刀鍛冶を招聘
始動
天文22年1553年8月足利義藤(後の義輝)、三好に負け朽木へ落ち延びる(2回目)悲惨な一族
天文23年1554年1月朽木の朝廷への献上品が三好に奪われる。三好孫四郎長逸、謝罪の死者として朽木へ。
三好へ寝返るよう3000の兵で脅すが、竹若丸はこれを拒否
会談(一)
天文23年1554年4月三好への寝返りを拒否した事で、足利義藤より火薬の秘伝書を受け取る。材料となる硝石を製作開始秘伝書
天文23年1554年7月くらま流忍者を八門として召し抱える八門
永禄元年1558年12月竹若丸、帝の崩御を利用し将軍家と三好家を和睦させる。将軍一行が京へ帰還
予兆
永禄2年1559年2月高島七頭、朽木家へ侵攻。朽木の鉄砲隊により打ち破られる。
竹若丸、反攻により高島・田中領を併合。同月、永田・平井・横山・山崎が逃げた事で残りの四頭を接収。居城を清水山城へ移す
初陣
永禄2年1559年6月朽木藤綱、朽木成綱、幕府より朽木へ戻る。それぞれ鉄砲隊300・騎馬隊300を任せられる苦悩
永禄3年1560年5月山口新太郎教高、山内伊右衛門一豊を召し抱える母の不安
永禄3年1560年8月六角と浅井が野良田にて合戦。朽木、鉄砲隊にて浅井本体の突撃を防ぎ、六角勝利の主要因となる。
同月、六角家より後藤但馬守が使者として来訪。六角家が所有する高島郡の蔵入地一万石を礼として朽木家に与える
野良田の戦い
永禄4年1561年1月竹若丸、浅井領高島郡へ侵攻し湖北を抑える。朽木の石高が十万石を突破。
同月、六角家観音寺城にて六角の重臣、平井の娘「小夜」との婚約が整う
年賀
永禄4年1561年4月竹若丸、朽木弥五郎基綱として元服。三好長慶の弟、十河一存が病死。
上杉景虎、上杉家の名跡を継ぎ上杉政虎と名乗り、関東管領へ就任
元服
2巻
年号西暦出来事巻中の副題
永禄4年1561年5月弥五郎(以前の竹若丸)と小夜の婚儀が終わり、夫婦となる。
浅井の国人領主、井口越前守経親が朽木へ寝返る。
小谷落城
永禄4年1561年6月朽木と浅井が北国街道にて対峙。井口らの寝返りもあって浅井を下し、朽木家が北近江を抑える小谷落城
永禄4年1561年9月上杉と武田が川中島にて合戦。上杉が完勝し、武田の勢力が大きく後退する。
同月、弥五郎が今川仮名目録を参考に朽木分国法を制定
第四次川中島の戦い(その一)
永禄4年1561年10月朽木直綱、朽木輝孝が幕府から朽木へ戻り、兵糧方へ任命される第四次川中島の戦い(その二)
永禄5年1562年3月朽木家にて各奉行衆や評定衆が任命され、組織体制が整備される虎視眈々
永禄5年1562年4月六角家が一色家に侵攻。一色家の竹中半兵衛、一色龍興に援軍を求めるが無視されやむをえず後退。不破郡が六角の手に落ちる忍び寄る……
永禄5年1562年6月坂田郡の旧浅井家臣が朽木へ服属を願い出る。
弥五郎、六角との諍いを避けるため、石鹸と綿花を坂田郡の旧浅井家臣へ秘密裏に供与
忍び寄る……
永禄5年1562年7月北信濃にて上杉と武田が合戦。終始上杉が押し続け、水内・高井・更級・植科・安曇が上杉の勢力下となる忍び寄る……
永禄5年1562年11月竹中半兵衛、明智十兵衛、沼田上野之助が朽木家へ仕官忍び寄る……
永禄6年1563年1月六角と一色にて和睦が成立。不破郡が一色へ返還される。
六角家では当主義賢が息子の義治へ家督を譲り、出家して承禎と名乗る
御家騒動
永禄年61563年4月六角家にて、六角義治が前当主義賢、弟の次郎左衛門尉、重臣の後藤但馬守を殺害骨肉
永禄6年4月~7月義治・蒲生・三雲とそれ以外の重臣たちで争いが発生。坂田郡の国人領主が朽木へ服属。観音寺崩れ
永禄6年1563年7月朝倉式部大輔景鏡、朝倉家当主を殺害し当主の座を奪う。
三好家、丹波の内藤宗勝を若狭へ侵攻させる
観音寺崩れ
永禄6年1563年10月加賀一向一揆、朝倉へ侵攻。朝倉が対応へ向かった隙を突き、朽木が敦賀を制圧。敦賀制圧
永禄6年1563年12月武田信玄、隠居して跡目を四郎勝頼へ譲る。勝頼、信頼へと改名。
翌日、武田信玄、朽木を恨みながら死去
敦賀制圧
永禄6年1563年12月六角家の新当主が細川晴元の二男、六角左京大夫輝頼に決まる敦賀制圧
永禄7年1564年1月織田三郎五郎信広、塩津浜城にて弥五郎と会談。
織田家と朽木家で同盟が結ばれる
乱世流転
永禄7年1564年2月旧武田家臣、真田・室賀・芦田が朽木家へ仕官乱世流転
永禄7年1564年4月三好家の跡取りが三好左京大夫義継に決定。三好家中が混乱する。
六角家中にて幕臣と重臣の対立が激化。蒲生下野守、家督を息子に譲る
不可思議な後継者
永禄7年1564年7月三好修理大夫が死去不可思議な後継者
永禄7年1564年7月朝倉式部大輔景鏡、加賀一向一揆との戦いで戦死。一向一揆は稲の取り入れのため撤収風前の灯火
永禄7年10月~12月加賀一向一揆、越前の北半分を制圧。
丹波にて、三好方の内藤備前守が反三好勢力に大敗。命は助かるが、丹波は完全に反三好勢力となる
永禄の変
永禄8年1565年1月畠山高政、反三好で挙兵。三好実休・安宅冬康・松永久秀が討伐に向かう永禄の変
永禄8年1565年1月足利義輝、二条御所にて殺害される。永禄の変
永禄8年1565年4月弥五郎より、信長へ美濃攻略案として墨俣城建設が提案される。同年7月までに墨俣城完成。暗雲
永禄8年1565年8月一向一揆が木ノ芽峠に侵攻。朽木勢、木ノ芽峠にて一向一揆を撃破しそのまま南条郡を攻略比叡山焼き討ち
永禄8年1565年9月弥五郎、比叡山を焼き討ちし堅田を制圧比叡山焼き討ち
永禄8年1565年暮れ三好対畠山の戦が終息。互いに疲弊しほぼ痛み分けの結果に
永禄9年1566年6月朽木家、若狭を制圧。弥五郎が朝廷より官位を受け、従四位下大膳太夫となる。
三好家が三好孫六郎重存・松永兄弟 対 三好実休・安宅冬康で分裂
三好家分裂
永禄9年1566年7月六角家重臣、平井加賀守定武が朽木家へ服属。叔父の鯰江も朽木家にて預かる事に三好家分裂
永禄9年9月~12月朽木家、越前へ侵攻。越前の西半分を占領する。
朽木小夜、第一子竹若丸を出産
乱世の掟
3巻
年号西暦出来事巻中の副題
永禄10年1567年5月朽木家、越前の残りを支配下に置く。南蛮よりカルバリン砲とセーカー砲を購入朽木包囲網
永禄10年1567年6月朽木、織田、一色、六角による第一次上洛戦。本願寺の顕如により一色・六角が裏切り。
また加賀の一向一揆に越中・飛騨の一揆勢が参加し、朽木家が包囲される
北陸戦線異常有り
永禄10年1567年6月朽木家と三好家が山城国にて対峙。鉄砲と大筒の活躍により朽木が勝利。
六角左京大夫、朽木の背後を襲おうとするが朽木の別動隊に敗北。六角家滅亡。
近江統一
永禄10年1567年7月朽木勢、三好を撃退後船にて一向一揆の背後へ上陸。
木ノ芽峠の守備兵と共に一向一揆を挟み撃ち、これを殲滅。木ノ芽峠の根切りと称される
近江統一
永禄10年7~9月朽木家、近江・越前・若狭・加賀を領し二百万石に近い領地を得る。近江統一
永禄10年1567年11月朽木基綱、足利義秋(後の義昭)・紀伊畠山家の要請により、畠山左衛門佐・修理大夫親子を能登畠山家の当主に戻す事へ合意能登畠山家
永禄11年1568年2月三河徳川家にて、今川家の調略により御家騒動が勃発。徳川家康、妻子を含む家中の今川派を一掃人物評価
永禄11年1568年5月気比神宮大宮司の娘、雪乃が朽木基綱の側室になる人物評価
永禄11年1568年7月朽木家、上杉家と共に北陸制圧へ。越中に侵攻し、一向一揆の拠点を次々と攻略
同月、朽木基綱と上杉輝虎(後の謙信)が九年ぶりに会談。領地は上杉と椎名に譲り、北陸の安定を優先させる
不愉快な夏
永禄11年1568年8月朽木・上杉合同軍、能登へ侵攻。畠山修理大夫義綱が能登国主として復帰不愉快な夏
永禄11年夏頃織田信長、稲葉山城を攻略し美濃を平定。一色龍興は殺害される。
三好家、畠山家へ攻め込み大勝。畠山は兵の半分を失い紀伊の東へ逼塞するが、同時に足利義栄が死去
波紋
永禄11年1568年11月小夜、第二子松千代を出産波紋
永禄11年1568年11月朽木基綱、織田信長と会談。織田は今川に集中するため、伊勢を朽木に任せるよう取り決められる波紋
永禄11年1568年11月朽木家、伊勢への調略を開始。蒲生下野守の説得により、北伊勢の国人領主が多数朽木家に臣従する波紋
永禄11年1568年12月伊勢攻略の補給路を確保する為、朽木領内の街道整備が開始。
九鬼孫次郎、朽木基綱に接触。南蛮船の絵図面を受け取り、朽木家に臣従する
南近江
永禄11年暮れ能登畠山親子、苛政を宥めようとした温井・三宅を族滅させる想い
永禄12年1569年1月進藤・目賀田の説得により、北伊勢の梅戸が朽木へ臣従想い
永禄12年1569年2月朽木家、北伊勢へ侵攻開始。事前の調略もあり、早期に攻略を完了する。
能登の騒乱を収める為、一度撤収
伊勢侵攻
永禄12年2~8月朽木基綱、軍を二つに分け片方で能登を制圧。同時に南伊勢で米を買い占める伊勢侵攻
永禄12年8~11月朽木家、南伊勢に侵攻。北畠家、兵糧不足でまともに戦えず降伏。
足利義秋の介入により、北畠本家が伊勢に残る事になる
伊勢侵攻
永禄12年1569年11月雪乃、第一子竹姫を出産。
平島公方家、三好日向守長逸らの要請により足利義助を京へ送る
騒乱の芽
永禄12年暮れ朽木基綱の祖父、朽木稙綱が死去。足利義秋が義昭へと改名。
長島一向一揆より、調略の手が北伊勢へ伸び始める
喪失
4巻
年号西暦出来事巻中の副題
永禄13年1570年4月能登にて族滅された温井・三宅の娘が朽木にて保護される。攻略案
永禄13年4~6月長島の一向一揆が伊勢に侵攻、同時に北伊勢の国人衆が多数反旗を翻す。
朽木基綱、ただちに出陣し北伊勢を鎮圧。一向一揆を長島へ押し込める
攻略案
永禄13年1570年6月丹波の波多野が義昭の味方に付く攻略案
永禄13年1570年8月北畠家二男、北畠次郎が朽木に召し抱えられる。
朽木基綱、海外からの需要に応えるため椎茸の栽培方法を家臣たちへ公開
謀攻
永禄13年1570年9月朽木家、長島を援助していた松坂・大湊・山田・宇治を制圧し自治下へ。志摩・桑名も同様に屈服
北畠家長男、右近太夫将監が隠居となり、実質的に朽木に召し抱えられる
世話が焼ける……
永禄13年1570年10月朽木家、九鬼水軍を使い長島を封鎖。
長島及び、長島から援助を受けていた三河一向一揆が弱体化し始める
世話が焼ける……
永禄13年1570年11月朝廷に対し、三好豊前守らによる足利義助への将軍宣下の圧力が強まる。
朝廷、朽木基綱へ相談し、基綱より将軍宣下の諒承を得る
京からの使者
永禄13年1570年11月織田・徳川により、三河一向一揆が鎮圧される将軍宣下
永禄13年暮れ足利義助、将軍宣下を受け第十四代足利家将軍となる将軍宣下
永禄14年1571年2月竹若丸の傅役として竹中半兵衛、山口新太郎が任命。朽木の副将が真田弾正から明智十兵衛へ引き継がれる。
軍略方、兵糧方の人員が増強される
小康
永禄14年1571年4月土佐一条家、長曾我部家に押され朽木へ援助を求める。見返りとして琉球との交易を提示長島攻略
永禄14年1571年4月朽木、長島へ侵攻。長島一向一揆を鎮圧する長島攻略
永禄14年1571年5月朽木基綱の命により、北畠一族が謀殺される。
伊賀、自治を条件に朽木の傘下に入る。同時期、熊野水軍が傘下に入る
謀神
永禄14年1571年8月ヒートアップした足利義助と義秋により、年内の上洛戦が規定事項として広まり始める不本意
永禄14年1571年10月朽木軍が坂本に集結。摂津の池田、伊丹が味方に付いた事で丹波の波多野と丹後の一色が義昭派として旗手を明らかにする不本意
永禄14年1571年10月山城国にて朽木と三好が決戦。三好は敗北し四国へ撤退、朽木が京を抑える第二次山科の戦い
永禄14年1571年11月和泉に内藤備前守、河内に三好孫六郎、大和に松永弾正、摂津に和田が配される。
朽木基綱、足利家からの恩賞を断り堺へ代官を置くことを許される。同時に屋台号を貰い御屋形様と称されるように
第二次山科の戦い
永禄14年1571年11月伊勢氏が政所執事から解任され、義昭たちが自ら政を執り始める。
三好孫六郎、足利義昭の妹、詩を娶り将軍殺しの汚名を雪ぐ
不器用な男達
5巻
年号西暦出来事巻中の副題
永禄14年1571年12月近衛前久、京を追われ朽木へ。朝廷にて足利義助を推していた高倉宰相、水無瀬宰相が四国へ逃亡する。
同じく勧修寺権中納言、蟄居となる
禁裏修理
永禄14年1571年12月幕臣たちが公家に対し、足利義助の将軍解任と義昭の将軍宣下を願い出る。
公家、将軍宣下から日が浅すぎる事と、義昭の力量を危ぶみ難色を示す。代案として禁裏修理を提案
禁裏修理
永禄15年1572年1月雪乃、第二子鶴を出産。小夜、第三子亀千代を出産。
幕府の悪政により、京が混乱し始める
亡命者
永禄15年1572年1月織田・徳川連合軍、東三河にて今川・武田連合軍と合戦。今川・武田の優勢に終わる亡命者
永禄15年1572年3月阿波三好、四国より京へ再進撃。朽木軍の迅速な到着により侵攻を諦め、四国へ撤退反攻
永禄15年1572年4月朽木、三好を追撃し摂津へ侵攻。阿波三好家に協力した堺を服属させる反攻
永禄15年1572年5月伊勢氏が政所執事へ復帰。幕府の政が全て白紙撤回される。
摂津・芥川山城の城代として平井加賀守が任命される
反攻
永禄15年1572年5月足利義昭、朽木討伐の意を幕臣たちへ打ち明ける反攻
永禄15年1572年7月朽木基綱、南近江を完全に掌握するため居城を八幡城へ移す。
同月、堺の商人天王寺屋を介して阿波三好家へ和睦を打診
苦汁
永禄15年1572年7月毛利旗下、伊予の西園寺が土佐へ侵攻。土佐一条家、朽木から援助された鉄砲でこれを跳ね返す。
朽木と毛利、勝手に動く両者へ頭を痛める
苦汁
永禄15年1572年9月足利義昭とその周辺より、朽木討伐の密書が周辺の大名へ送られ始める悪癖
永禄15年1572年12月将軍宣下が1573年2月に決定。紀伊畠山、丹後一色に将軍宣下へ参列させぬよう調略が開始弓八幡
永禄16年1573年2月朽木基綱、将軍宣下に先立ち山城国に滞在する阿波三好家と会談。天下を目指すと宣言困惑(一)
永禄16年1573年2月足利義昭、将軍宣下を受け第十五代足利家将軍となる。諸国の大名、使者を派遣し将軍宣下に参列せず困惑(一)
永禄16年1573年3月朽木基綱に対し、朝廷より天下静謐の任が与えられる。
同時に禁裏御料所を横領する宇津右近太夫頼重を討伐せよとの勅命が下る
困惑(二)
永禄16年1573年5月伊勢に琉球からの使者が来訪。島津から圧力を受けている事を朽木へ相談困惑(三)
永禄16年1573年6月朽木、宇津討伐の為丹波へ侵攻。同時に別動隊で丹後一色へ侵攻。
宇津右近太夫頼重が逃亡した事で丹波攻略の建前を失い、禁裏御料のみ接収し丹後攻略へ専念
困惑(三)
永禄16年1573年7月丹後一色を制圧。朝敵の宇津に加担した一色左京大夫義道は近江にて五千石の領地を貰い朽木の家臣となる警告
元亀元年1573年8月元号が永禄から元亀(げんき)へ変わる警告
元亀元年1573年8月朽木基綱、禁裏御料を取り戻した褒賞として正四位下左近衛権少将へ叙任警告
6巻
年号西暦出来事巻中の副題
元亀元年1573年8月冷害により日本海側が不作に。北近江・若狭で椎茸栽培が軌道に乗り始める。南蛮よりカステーラが献上される疑心
元亀元年1573年8月丹波の波多野家にて、基綱暗殺計画が始動選択
元亀元年1573年10月丹波村雲党が基綱を鉄砲で狙撃。鎧に阻まれ暗殺は失敗襲撃
元亀元年1573年11月朽木より、足利義昭の第一子誕生祝が幕府へ送られる襲撃
元亀2年1574年1月東海道にて織田が今川を押し始める。徳川は織田の出兵に付き合う事で疲弊、不満が溜まり始める
元亀2年1574年2月基綱、京の一条家、土佐一条家が伊勢にて会談。帰り道を丹波村雲党が襲撃するが、影武者により失敗に終わる。村雲党壊滅誘引
元亀2年1574年3月八門の頭領、重蔵が負傷。頭領の座を息子の黒野小兵衛影昌に譲る代替わり
元亀2年1574年4月波多野、赤井、宇津が滅亡。朽木家が丹波を掌握する代替わり
元亀2年1574年5月幕府にて甲賀を使った基綱暗殺計画が検討される。細川藤孝が松永弾正経由で計画をリーク代替わり
元亀2年1574年5月織田・徳川連合が武田・今川・北条連合と一戦。織田側の優勢に終わる閨閥
元亀2年1574年6月御倉奉行の荒川より、銅銭の煩雑さと金銀との交換比率について相談が持ち上がる閨閥
元亀2年1574年7月幕府の基綱暗殺計画が松永弾正・三雲対馬守によって阻止される播磨からの使者
元亀2年1574年9月播磨の小寺家より使者が来訪。小寺官兵衛(後の黒田官兵衛)により小寺家が臣従すると伝えられる播磨からの使者
元亀2年1574年9月毛利による備前の宇喜多家調略が開始分裂
元亀2年1574年11月朽木より、石山本願寺へ朽木の法に従うよう要請が出る。証意以下長島衆1万人が朽木へ降る分裂
元亀3年1575年2月全国の商人を呼び集め、金銀の交換比率が決定。朝廷より発表される本願寺分裂
元亀3年1575年5月伊勢の真田弾正が死去本願寺攻略
元亀3年1575年6月石山本願寺を五万の朽木勢が包囲。朝廷の使いにより和睦、一向一揆は石山を退去となる。石山は西国攻めの後方拠点として山内伊右衛門が城代を任される本願寺攻略
元亀3年1575年7月上杉輝虎、中風にて倒れる本願寺攻略
元亀3年1575年10月織田が遠江を攻略。駿河攻めに取り掛かる父娘
元亀3年1575年11月小夜が百合、雪乃が万千代を出産嫁入り道具
元亀4年1576年2月朽木が播磨へ侵攻。小寺官兵衛が朽木へ臣従する播磨攻略
7巻
年号西暦出来事巻中の副題
年月
8巻
年号西暦出来事巻中の副題
年月
9巻
年号西暦出来事巻中の副題
年月
10巻
年号西暦出来事巻中の副題
年月
11巻
年号西暦出来事巻中の副題
年月
12巻
年号西暦出来事巻中の副題
年月
13巻
年号西暦出来事巻中の副題
年月
14巻
年号西暦出来事巻中の副題
年月

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