熊野神社

Last-modified: 2013-10-05 (土) 16:37:59
 

熊野神社
くまのじんじゃ
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(参拝日:平成24年4月30日)
住所:京都府京都市左京区聖護院山王町43mapionlogo.gif
主祭神:伊弉冉尊、伊弉諾尊、天照大神、速玉男尊、事解男尊
社格:郷社
巡礼:京都十六社朱印めぐり
主な祭礼:4月29日(神幸祭)、5月16日(例祭)

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↑境内↑
(由緒:現地案内板より)
我が国最初の夫婦神である伊弉冉尊・伊弉諾尊と天照大神、速玉男尊、事解男尊の五柱の神を祀り、
縁結び、安産、健康長寿の御利益があるとして信仰されている。

平安時代の弘仁二年(八一一)に修験道の日圓上人が国家鎮護のため、
紀州(現在の和歌山県)熊野大神を勧請したことに始まるとされている。

寛治四年(一〇九〇)に創立された聖護院は、当社を守護神として別当職を置いて管理された。

熊野信仰が盛んであった平安末期、後白河法皇は度々熊野行幸(熊野詣で)を行うとともに
当社を厚く崇敬し、紀州の土砂や樹木を用いて社頭の整備に力を注いだ。

室町時代には足利義満から広大な社地を寄進され、社域は鴨川に至るものとなった。

その後も歴代天皇に崇敬され、庶民の信仰もあつめたが、応仁の乱により荒廃した。

江戸時代の寛文六年(一六六六)、衰微を嘆いた聖護院宮道寛法親王によって再興され、
天保六年(一八三五)には大修造が行われた。
現在の本殿は、その時に下賀神社の旧本殿を移築したものである。

大正元年(一九一二)の市電丸太町線の開通、昭和元年(一九二六)の東大寺通拡幅などにより、
現在の社域となrった。

毎年、五月十六日に例祭、四月二十九日に神幸祭が行われる。
大小の神輿があり、大神輿は光格天皇の寄進によるものである。

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↑鳥居↑
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↑西尾為治像と八ツ橋発祥之地碑↑
(以下、余談)
京都熊野三山の一つです。残り2社は熊野若王子神社、新熊野神社です。

境内ではあちこちに三つ足のヤタガラスを見かけます。
紀州熊野の流れを汲んでいる証拠でしょう。

境内の一角には、西尾為治像と八ツ橋発祥之地碑があります。
西尾為治は、明治12年(1879年)から昭和37年(1962年)までの84年間を八ツ橋の発展に貢献しました。
神社のすぐ北側には「八ツ橋発祥の家」の提灯が架かった、西尾八ツ橋の店があります。
八ツ橋の販売を始めたのは、元禄2年(1689年)にまで遡るそうです。老舗ですね。

余談ですが、東大路通を挟んで反対側には聖護院八ツ橋総本店がありました。
八ツ橋の販売を始めたのは、西尾八ツ橋と同じ元禄2年(1689年)のようです。
四条や京都駅のような繁華街ではないのですが、八ツ橋の店が2店舗もあるのですね。