錦天満宮

Last-modified: 2013-05-10 (金) 23:34:24
 

錦天満宮
にしきてんまんぐう
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(参拝日:平成24年4月30日)
住所:京都府京都市中京区新京極通四条上ル中之町5374mapionlogo.gif
主祭神:菅原道真公
主な祭礼:5月25日(春季大祭)、11月25日(秋季大祭)

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↑外観↑
(由緒:パンフレットより)
当天満宮は平安時代前期の十世紀初頭、学問の神となられた
菅原道真公(菅公)の生家『菅原院』に創建されました。

菅公薨去の後、菅原院は『歓喜寺』と寺名に改称、
その後、嵯峨天皇の皇子源融公の旧邸六条河原院に移山、
塩竈宮を鎮守に天満大自在天神をお祀りしました。

三百年後、この地は、後に、時宗道場、歓喜光寺と称される京都八幡の善導寺に寄進され、
同時に、歓喜寺(菅原院)は『天満宮』に改められ崇敬、奉祀されました。

当錦天満宮は歓喜寺に由来しており、
又、菅公聖跡二十五拝の第二とされるのはこの伝承によるものです。

そして、「歓喜光寺」の創建から二七四年後、
桃山時代天正年間に行われた豊臣秀吉の都市計画によって、
時宗四条道場としても有名な「金蓮寺」の敷地に移転。

以後四〇〇年余、「錦天満宮」として同地に鎮座しております。

このような歴史の中、享保十四年(一七二九年)には前関白輔実公の申請で唐破風獅子口を許され、
明治五年(一八七二年)には神仏分離令によって社が独立。

「歓喜光寺」は東山五条へ(後に山科へ)と移り、
残された神社は、同年、新京極通開通の際に社地を縮小し、現在に至っております。

約二〇〇坪の境内には、京の街のど真ん中にありながら、
四季折々の花々が咲き、地中からは良質な名水・錦の水が湧きでております。

繁華街唯一の鎮守社として「智恵・学問・商才の神様」「招福・厄除け・災難除けの神様」として
霊験あらたかに、近隣の方々をはじめ、国内はもとより、海外からも御参拝いただき親しまれて参りました。

近代的・経済的に繁栄し続ける京の町で、伝統的・精神文化的な神社として調和共存を唱えながら、
誰もが気軽に立ち寄れる「錦の天神さん」として、人々の幸せを願っております。

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↑拝殿↑
(以下、余談)
京都でも指折りの繁華街・新京極のアーケード街にある神社です。
錦市場の東端でもあるので、菅原道真公の学業成就に加えて、商売繁盛も御利益に謳われています。

錦小路通の寺町と新京極の間に鳥居がありますが、両側にビルが建ったために、一部がビルにめり込んでいます。
境内に人だかりが出来ていましたが、「錦の水」と呼ばれる湧水を汲みにきた方々でした。

他に、機械仕掛けの獅子舞が御籤を届ける「からくりみくじ」もあります。