文化十四年(一八一七)九月祖父鍋島清久命、直茂公室彦鶴姫命を合祀、
さらに明治五年に第一代藩主鍋島勝茂命を合祀し、『松原神社』と改められました。
明治六年(一八七三)この御神殿の北側に新たに神殿を造営して龍造寺家をおまつりするようになり、
一般に龍造寺家を松原神社北殿、鍋島家を松原神社中殿と申し上げるようになりました。
<松原神社北殿>
龍造寺家御三神、龍造寺隆信命、政家命、高房命は延享二年(一七四五)正月旧佐賀城内に奉祀されておりましたが、
天保五年(一八三四)佐賀郡北山小川村(現在の佐賀市大和町)に神殿を造営遷座、『敷山社』と号しました。
明治六年(1873)十月九日松原神社に神殿を造営遷座され、一般に松原神社北殿と称していました。
<松原神社南殿>
明治六年(一八七三)松原神社に南殿を造営、第十代藩主鍋島直正命を奉祀、
大正十二年(一九一二)第十一代鍋島直大命が合祀されました。一般にこの御神殿を松原神社南殿と申し上げました。
昭和八年、佐嘉神社を造営、鍋島直正命を「別格官幣社佐嘉神社」御祭神として奉祀、
昭和二十三年十月九日鍋島直大命を合祀、松原神社南殿はなくなりました。
昭和三十六年四月一日、佐嘉神社・松原神社は運営を一本化し、
昭和三十八年、佐嘉神社御鎮座三十年式年大祭記念事業として松原神社並びに佐嘉神社東神苑を合一整備、
松原神社御神殿・中殿・北殿を合一、一殿二座に改築されました。
(三殿の旧跡には松の樹が植えられ、足で踏んだりすることがないよう囲いが設けられています。)
肥前の陶工が寄進した陶器の鳥居や燈籠、河童の木彫を祀る社があり非常に興味深いです。
余談ですが、陶器の鳥居の後ろに見えている建物は公衆トイレです。神社とは思えないくらいお洒落ですね