中嶋神社

Last-modified: 2013-10-05 (土) 17:37:55
 

中嶋神社
なかじまじんじゃ
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(参拝日:平成24年3月18日)
住所:兵庫県豊岡市三宅1mapionlogo.gif
主祭神:田道間守命
社格:式内社、県社
主な祭礼:4月第3日曜日(菓子祭/橘花祭)

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↑本殿↑
(由緒:パンフレットより)
中嶋神社の創立は甚だ古く、第三十三代推古天皇の御代に田道間守命の七世の孫にあたる三宅の吉士、
中嶋の公が、祖先の田道間守命を初めて此所に祀ったのに由来しています。

中嶋の名は、命の墓が垂仁天皇の御陵のお池の中に中島のように浮かんでいるところから
名づけられたと言われています。

第四十一代持統天皇の時代には更に造営が行われたとされており、
平安時代の延喜式神名帳にも登載されております。

応永年間に火災にあって社蔵の古文書その他を焼失しましたが、
時の領主山名宮内少輔の発願によって再建されました。

応永三十一年十一月に工を起こし、正長元年(西暦一四二八年)八月に竣工し遷宮を行いました。

これが現在の本殿で、二間社流れ造という類例の少ない様式を持つ上に、
彩色を施し、細部の絵様彫刻の精妙、複雑である点、よく室町時代中期の特長を示しています。

元禄十三年には出石城主松平伊賀守が本殿を修復し、
その後の城主仙石久利は、社領三十四石九斗を寄進した。

明治維新となり社領は返還され、六年に村社に、二十八年に郷社となり、
四十五年には本殿が国宝に指定されました。

昭和に入ると、境内を拡張し拝殿、社務所を改築し、十年に県社となり、
十五年より十六年に亘っては、文部省の手により国宝建造物の解体修理が行われました。

二十五年「文化財保護法」によって、本殿の「国宝」の名が「重要文化財」と改められました。

昭和四十四年には、境内を拡張し、四十五年には命の千九百年祭が行われました。
又、この年には高松宮殿下が御参拝になりました。

昭和49年本殿の屋根葺替と塗装をなし、五十四年には大鳥居並びに参道を建設し、
更に平成十一年には大鳥居の塗替えを行いました。

又、平成十七年には本殿屋根の部分補修をしました。

近年菓子業者の信仰により、福岡県太宰府天満宮境内に中嶋神社九州分社を始め、
佐賀県伊万里市に佐賀県分社、愛媛県松山市に四国分社、徳島市に徳島分社、
京都市に菓祖神社、愛知県豊橋市に中嶋神社、岐阜県高山市に久和司神社等の各分社が建設されました。

全国菓子工業組合の主催によってほぼ四年に一度、全国菓子大博覧会が開催されていますが、
その開会に先立ち、この菓祖神を祭り博覧会の成功と菓業界の繁栄を祈願しています。

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↑大鳥居↑
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↑境内↑
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↑社務所↑
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↑境内地図(クリックで拡大)↑
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↑菓子祭(クリックで拡大)↑
(以下、余談)
毎年、献菓祭が行われる神社です。境内のベンチや玉垣には、菓子業者の名前がありました。

田道間守命が垂仁天皇の命を受け「非時香菓」(橘とされる)を常世国(韓国・斉州島とされる)から持ち帰りましたが、
天皇は既に崩御していました。嘆き悲しみながら、御陵に「非時香菓」を献上したと言います。

室町時代の本殿が残っており、重要文化財に指定されています。
二間流流造という当時の時代建築の様式であり、朱塗りで保存されています。

訪問日はあいにくの曇天でしたが、晴天ならばコントラストが写真映えしたのではないでしょうか。