櫻井神社
住所:兵庫県尼崎市南城内116-11
主祭神:桜井氏代々城主
社格:郷社
主な祭礼:9月27日(例祭)
↑社殿↑
(由緒:パンフレットより)
当神社は、明治十五年、尼崎城内に建立されました。
当神社は、明治十五年、尼崎城内に建立されました。
当社御祭神・櫻井家の祖、初代信定公は、その勢力安定に尽力されました。
戦国の世のならいで、七代目忠頼公が、若死されましたが、八代目忠重公の血のにじむような努力と、
徳川家康公のはからいでお家再興がかないました。
十代目忠喬公の御代、遠州掛川より尼崎城に移ってこられました。
即ち尼崎初代の殿様です。
代々の城主は文学、芸能にすぐれ中でも尼崎三代目城主忠告公は亀文と号して、多くの句を読まれ、
その内の一句は境内の石柱に刻まれております。
「まづ霞む竈々や民の家」 亀文
最後の城主忠興公は西南戦争(一七八八)において敵味方の区別なく、戦傷者を看護され、
博愛の精神を覆い鬼発揮されました。
これが世界赤十字に認められ、日本赤十字社の誕生を見るに至りました。
又学問向上にも全力を傾注され、明治六年、尼崎最初の学校を建立されました。(元 開明小学校)
この精神は市民にも引き継がれ、明治二十三年、櫻井神社境内に尼崎最初の幼稚園が誕生しました。(現 博愛保育園)
この時、子供たちの無事成長を願って建てられたのが、神社境内に現存する博愛地蔵です。
↑博愛地蔵↑
↑旧尼崎城の軒瓦↑
↑句碑↑
↑おまもり自動販売機↑
(以下、余談)
阪神尼崎駅から海のほうへ向かって歩いていくと、駅前の住宅街の中に鎮座しています。
旧尼崎城の一角、庄下川に面するやや狭い境内です。当時、使用されていた軒瓦が片隅に残されていました。
最後の城主・櫻井忠興公は西南戦争で敵味方の区別なく、戦傷者を看護されました。
その博愛の精神が世界赤十字社に認められ、日本赤十字社の創設をみました。
境内には博愛地蔵や博愛社の記念碑がありました。
熊本城稲荷神社でも見かけた、おまもり自販機が置いてありました。
こちらは絵馬も販売していますね。初詣や七五三などに活躍するのでしょうか。