西宮神社

Last-modified: 2013-08-29 (木) 00:16:20
 

西宮神社
にしのみやじんじゃ
にしのみゃ.jpg
(参拝日:平成25年4月20日)
住所:兵庫県西宮市社家町1-17mapionlogo.gif
主祭神:西宮大神
社格:県社、別表神社
主な祭礼:1月10日(十日えびす大祭、十日戎開門神事福男選び)

にしのみや1.jpg
↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
福の神「えびす様」の総本社として、全国から遍く崇敬を集めている西宮神社は、
銘酒の生産地として名高い灘五郷の一つである西宮市に鎮座し、その地名の由来ともなっています。

御創建の年代は明らかではありませんが、平安時代の百科事典である伊呂波字類抄や承安二年(一一七二)に
行われた広田社歌合に「えびす」の名が見えるほか、高倉上皇の御奉幣をはじめ皇族・神祇伯の参拝が
度々あったことが古文書に記されています。

鎌倉時代の正元年間(一二五〇年代)には、既に十日えびすの祭典を厳粛に行うために「忌籠」が斎行されていました。
延文六年(一三六一年)の市場祭文によると門前は「夷三郎殿の浜の市」として賑わっていたようです。

室町時代になると七福神信仰によってえびす様が福の神の代表となり、また当社がその信仰の本拠地として
人形操りや謡曲、狂言などの芸能をとおして、全国津々浦々にまで御神徳が広まっていきました。

戦国時代には、後奈良天皇から御寄進をうけたのをはじめ、桃山時代には豊臣秀頼、
江戸時代には四代将軍徳川家綱により社殿の御造営がなされました。

また徳川幕府からは御神像札の版権を得て独占的に全国に配布、ますます社勢が盛大になっていくと共に
上方の商業経済の発達に伴って、福の神えびす様が商売繁盛の神として信仰されるようになっていきました。

明治時代以降は、交通機関の発達に伴い、参拝者数も飛躍的に増加し、現今では一月九・十・十一日の「十日えびす」
三日間で百万人を超える参拝者で賑わっています。

にしのみや2.jpg
↑社殿↑
にしのみや4.jpg
↑南宮神社↑
にしのみや3.jpg
↑沖恵美酒神社↑
にしのみや7.jpg
↑庭津火神社↑
にしのみや5.jpg
↑境内地図(クリックで拡大)↑
にしのみや8.jpg
↑燈籠と大練塀↑

(以下、余談)
阪神電車・西宮駅と阪神高速3号神戸線の高架との間に鎮座します。全国3500社ある「えびす神社」の総本社です。
毎年、一月十日の前後になると今年の福男の模様がテレビなどで報道され、今や日本の風物詩となっています。
今回が初の参拝でしたが、福男が走るコースを参拝者として通りました。「あの有名な場所か~」と少し感慨深いです。
この神事は「十日戎開門神事福男選び」といいますが、老若男女を問わず参加出来るそうです。知りませんでした。
ここに過去の福男になった方一覧と参加者数が出ていますが、十年前から急増していますね。何かあったのでしょうか。

「福男選び」ほどは知られていませんが、十日えびすの期間には次の行事も行われ大変賑わいます。
招福大まぐろが毎年一月八日に奉納され、凍ったマグロに参拝者が硬貨を貼り付けます。
毎年一月九日に有馬温泉から金泉を樽で運び、奉納します。献湯式では湯女に扮した芸妓が湯もみを行います。
十日えびすの三日間(一月九日~十一日)で毎年百万人を超える参拝者が訪れます。ものすごい賑わいでしょうね。

この日はえびすさんの期間とまるで関係のない四月だったので、神社は閑散としていました。
それでも、散歩に訪れている人や私のように遠方から来たと思われる人も見かけ、中には外国人もいました。

本殿の前面にある神池の周辺は森が深く、西宮の中心市街地にあるとは思えないほどゆったりした空間でした。