当社は應神天皇の御代、当地海人部の民の守護神として、長洲の地に奉斎された伝統をもつ古大社です。
その長洲の地には現在も貴布禰神社が鎮座しています。
文亀元年(一五〇一)の大洪水をはじめ、元禄六年(一六九三)及び文化十三年(一八一六)の火災により
史実の文書が散逸焼失したため由緒の探求は誠に難しいところです。
尼崎の総氏神にして往古には社領が八〇〇石ありました。また中世以来、尼崎城主の崇敬篤く、代々祈願所を務めて参りました。
御社殿の造営をはじめ、祭礼費用などを負担され、元尼崎城内三の丸に鎮座していました。
元和三年(一六一五)に戸田氏鉄が改築城を行った際、汐町に、その後正徳五年(一七一五)に現在地に遷座しました。
昭和二十年六月十五日戦災に遭い、文政八年(一八二五)に創建された壮麗なご社殿など大小二十四棟の建造物、
古記録などを焼失しました。現在のご社殿は昭和二十五年七月に、阪神間戦災神社に先駆けて復興されたものです。
また、平成七年(一九九五)一月十七日に置きました阪神大震災では大鳥居が倒壊、そして戦前よりの建造物である
南門などが被害を受けました。大鳥居は平成八年十月に銅板製にて再建、南門は、屋根瓦の葺き替えなど修復工事により
元の姿を取り戻しました。そして平成十四年にはご社殿銅屋根の葺き替えなど改修が行われました。
昔と変わらず現在も市民安泰・産業発展の守護神、工都尼崎の産土神として市民や会社工場から篤い崇敬を受けています。
(以下、余談)
尼崎市の南部、国道43号と阪神高速3号神戸線が神社の前を通っています。
この道路の南側は、多数の工場が立地していますが、北側のこちらは住宅が広がります。
京都・鞍馬の貴船神社が総本社で、西日本を中心に全国約460社ある貴布禰神社のひとつです。
創建年代は不詳ですが、国道に面して立派な表門があります。尼崎市の神社では表門があるのは珍しいそうです。
阪神淡路大震災を経験しましたが修復し、今でも毎日開閉している現役の門です。