網走神社
住所:北海道網走市桂町2-1-1
主祭神:市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命
社格:県社
主な祭礼:8月15日(例祭)
↑鳥居↑
(由緒:現地案内板より)
【祭神】
田心姫命・市杵島姫命・湍津姫命
【祭神】
田心姫命・市杵島姫命・湍津姫命
右祭神は宗像三神と称へ旧官幣大社宗像大社、旧官幣中社巌島神社と同一祭神にして
多く海岸に鎮座し福寿円満、海上守護に神徳を垂れ給う。
本道内には同祭神奉斎の神社は釧路留萌両市の厳島神社を始め三十余社を算す。
【由緒】
当神社は文化九年近江の人藤野四郎兵衛が網走川口に小祠を建て漁場鎮護の為に奉斎せるを以て創祀とす。
明治に至りて来住者村落を形成するに及び藤野家に請うて、網走地方鎮守の氏神と仰奉る。
明治十九年八月現今の図書館の地に次いで二十二年七月「ニクル」の高台に移転修築す。
明治四十一年現在の社地に新たに社殿を造営し官幣中社巌島神社の御分霊を奉迎鎮斎し、
九月無格社に大正十二年五月郷社に、昭和四年本殿以下大造営成り、同九年八月八日付県社に昇格、
昭和二十一年二月二日社格を廃止し神社本庁所属神社となる。
全北見沿岸住民の崇敬厚く古くより北見国一の宮と称せられる。
↑参道のホタテ貝殻と拝殿↑
↑社務所↑
↑奉納絵馬↑
↑聖徳太子堂↑
↑網走護国神社↑
↑七福神↑
(以下、余談)
網走市街地に一の鳥居があり、坂をあがると銅板葺きの社殿が見えてきます。
明治初期、一時期に存在していた北見国の一宮でした。戦前は県社でした。
網走市街地に一の鳥居があり、坂をあがると銅板葺きの社殿が見えてきます。
明治初期、一時期に存在していた北見国の一宮でした。戦前は県社でした。
江戸末期の文化8年(1810年)に漁場鎮護のために小祠を建てたのが最初という歴史ある神社です。
社務所には主に大漁祈願のため奉納された絵馬が多数あり、中には江戸時代のものもありました。
参道が真っ白で驚きました。御朱印を頂く時にたずねると、これは全てホタテの貝殻だそうです。
由緒は特にないらしいですが、ホタテの貝殻の廃棄問題から再利用していると聞きました。
摂末社も数多く、道内各地の神社で見られる聖徳太子堂、
片隅に七福神を祀った護国神社の規模が大きいです。
この日は次々と作業員の方が何やら工事をされていたのですが、
その慌しさを感じないくらいに、落ち着いた雰囲気の神社でした。