二ノ宮神社
住所:大阪府枚方市船橋本町1
主祭神:建速須佐之男命、稲田姫命、大己貴命
主な祭礼:10月15日(例祭)
↑鳥居↑
(由緒:現地案内板より)
社殿では、仁徳天皇の時代に創祀されたとしています。戦国時代には交野郡の二宮牛頭天王社と称されました。
社殿では、仁徳天皇の時代に創祀されたとしています。戦国時代には交野郡の二宮牛頭天王社と称されました。
豊臣秀頼は大阪城鬼門鎮護の神社として崇敬し、慶長八年(一六〇三)には片桐且元を奉行として本殿・摂社などを
修理させました。その時の棟札は今も当社に伝えられています。
明治時代初期までは船橋・養父・宇山村の鎮守社であったのが、養父・宇山村とも村内に産土神を勧請し分離したので、
江戸時代後期には船橋村のみの鎮守となりました。
十八世紀後半に祠官をつとめた井上桐亭・金橋父子は詩歌にすぐれ、坂村の岡田本房・三浦蘭阪らと文人サロンを
形成しました。彼らが当社へ奉納した和歌も多数のこされています。
なお、当社の付近には、船橋遺跡(弥生時代から中世)がひろがっています。
なかには、古代の瓦が多数出土する地点があり、幻の寺跡が地中に存在する可能性を秘めています。
↑拝殿↑
↑猿田彦神↑
↑東参道↑
(以下、余談)
大阪のベットタウン、枚方市の住宅街の中に鎮座します。
参道がY字形に伸びていて、入口の鳥居が2ヶ所あります。
大阪のベットタウン、枚方市の住宅街の中に鎮座します。
参道がY字形に伸びていて、入口の鳥居が2ヶ所あります。
すこし前に某掲示板では「おかげ様」参りで有名になりました。当時はお蔭様守りを扱っていたようです。
その時は賑わったのかもしれませんが、今では落ち着きを取り戻した地元の神社でした。
杜の中の参道を吹き抜ける風が心地よく、すがすがしい心地になりました。