交野天神社
住所:大阪府枚方市楠葉丘2-19-1
主祭神:光仁天皇、天兒屋根命、菅原道真公
主な祭礼:10月6日(例祭)
↑鳥居↑
(由緒:現地案内板より)
桓武天皇は、延暦六(七八七)年、長岡京の南郊の地を選び、郊祀壇を設けて、父光仁天皇を天神として祀りました。
桓武天皇は、延暦六(七八七)年、長岡京の南郊の地を選び、郊祀壇を設けて、父光仁天皇を天神として祀りました。
これは中国の皇帝が毎年冬至に、都の南に天壇を設けて、天帝を祀る例にならったもので、
当社の起源はこの郊祀壇にあるといわれます。
交野天神社本殿は、一間社流造、桧皮葺で、鎌倉時代の嘉禎四(一二三八)年、
室町時代の応永八(一四〇一)年に修理されました。
全体の外観は、雄大な手法で鎌倉時代の様式を残し、蟇股等の彫刻は、繊細で美しいものが多く、
室町時代初期の特色を備えています。
末社八幡神社本殿は、造営年代は天神社と同じですが、小規模で簡素な造りになっています。
構造や形状は天神社に等しく、向拝や蟇股、欄間の透彫に見るべきものがあります。
ともに昭和二十五年、国の重要文化財に指定されました。
↑拝殿↑
↑摂社↑
↑樟葉宮跡伝承地↑
(以下、余談)
交野市ではなく、枚方市楠葉丘に鎮座しています。
住宅街が連続しますが、京都府八幡市との府境が近いです。
交野市ではなく、枚方市楠葉丘に鎮座しています。
住宅街が連続しますが、京都府八幡市との府境が近いです。
継体天皇の樟葉宮跡伝承地が境内にあります。
宮跡には末社・貴船神社が祀られています。看板によると、元は天神社にありましたが、ここに遷されました。
鎌倉時代の関白左大臣・一条実経は「くもらじな ますみの鏡 かげそふる くずはの宮の 春の夜の月」と詠んでいます。
ここからほど近い鏡伝池は観月の名所で、鷹狩の後に鷹を水面に映すのが習わしだったようです。
新古今和歌集にも登場する平安貴族が訪れた場所なのですが、あまり知られてないように思います。
神社では車が次々と訪れて何かを設営していました。今日はお祭りが行われるのでしょうか。