坐摩神社

Last-modified: 2013-05-10 (金) 23:38:16
 

坐摩神社
いかすりじんじゃ
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(参拝日:平成24年4月8日)
住所:大阪府大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺3mapionlogo.gif
主祭神:生井神、福井神、綱長井神、波比岐神、阿須波神
一宮:摂津国一宮
社格:式内社、官幣中社、別表神社
巡礼:神仏霊場巡拝の道49番
主な祭礼:12月2日(懸鳥祭)
webサイト:坐摩神社

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
当社の創祀には諸説がありますが、神功皇后が新羅より御帰還の折、
淀川南岸の大江の岸・田簑島、のちの渡辺の地(現在の天満橋の西方・石町附近)に
奉祀されたのが始まりとされています。

平安時代の「延喜式」には攝津國西成郡の唯一の大社と記され、産土神として今日に至っています。

また、朱雀天皇の御代、天慶二年(九三九)以来祈雨十一社中に列し、
以後たびたび祈雨(雨乞い)のご祈請・奉幣に預かりました。

天正十年(一五八二)豊臣秀吉の大阪築城に当たり替地を命ぜられ、寛永年間現在地に遷座されました。

現在の鎮座地名を渡辺と称するのも、元の地名が移されたもので、
全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります。

旧社地と伝えられる石町には現在も当社の行宮(御旅所)が鎮座されています。

明治元年(一八六八)の明治天皇大阪行幸の際には当社に御親拝なされ、相撲を天覧されました。

昭和十一年(一九三六)官幣中社に列せられた際に御造営された壮麗な御社殿は、
残念ながら戦災により焼失しました。

現在の御社殿は昭和三十四年(一九五九)に鉄筋コンクリート造で戦前の姿のままに復興されたものです。

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↑境内↑
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↑繊維神社↑
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↑上方落語寄席発祥の地↑
(以下、余談)
全国の渡辺姓発祥の地であり、上方落語発祥の地であり、陶器神社や繊維神社がある商業の中心地です。
周囲はオフィス街であり、雑然としているのですが、
この一角だけは都会の喧騒から離れているように思えます。

(真偽の程は分かりませんが、)神功天皇の代から2000年以上続く神社が、
ビルだらけの都心にあるとは驚きです。

御神紋が鷺丸というものですがカッコイイです。そして、かなり珍しいと思います。
その由来は、神功皇后が坐摩神の教えにより、田蓑島(天満橋付近)の白鷺の群れる所を選び、
坐摩神を奉斎されたとの由緒によるものだそうです。
一見すると、JALのマーク(鶴丸)みたいですが、こちらの方が爪が立っていて、眼力もありますね。