堤根神社
住所:大阪府門真市宮野町8-34
主祭神:彦八井耳命、菅原道真
社格:村社
主な祭礼:10月21-22日(例祭)
↑鳥居↑
(由緒:wikipediaより)
門真市宮野町の堤根神社は、淀川の支流・古川の南岸のかつての茨田堤の際に鎮座する。旧社格は村社。
門真市宮野町の堤根神社は、淀川の支流・古川の南岸のかつての茨田堤の際に鎮座する。旧社格は村社。
祭神は彦八井耳命・菅原道真である。
茨田堤築造に関係の深い茨田氏が、堤の鎮守として祖神・彦八井耳命を祀ったものと伝えられる。
平安時代中期に編纂された延喜式神名帳には河内国茨田郡五座の第一位に列せられ、門真で唯一の式内社であった。
鳥居前には河内と大和を繋ぐ行基道が通じており、古くから信仰を集めた。
寛永期(江戸時代初期)にはこの地の領主・永井尚政(永井信濃守尚政)が崇敬していた菅公を合祀し、
以降は「天満宮」と称していた。明治五年(一八七二年)に村社に列格した。
社殿の近くに茨田堤の一部が残り、その上に樹齢五〇〇年以上の樟が生えている。
昭和の初期までは茨田堤跡がもっと長く残っていたが、宅地開発により削られていった。
当社宮司の奔走により昭和四十八年三月二十九日に大阪府史跡「伝茨田堤」に指定され、一部が残された。
↑拝殿↑
↑摂社↑
↑伝茨田堤↑
(以下、余談)
京阪電車・大和田駅から徒歩すぐのところに鎮座しています。
門真・守口・寝屋川市境がそれぞれ近く、住宅が密集した場所にあります。
京阪電車・大和田駅から徒歩すぐのところに鎮座しています。
門真・守口・寝屋川市境がそれぞれ近く、住宅が密集した場所にあります。
神社の裏手には、茨田堤と言われる堤防跡が残っています。
大阪市東部の旭区から約28km先、枚方・寝屋川市境付近まで続いていたとされています。
5世紀頃の大和朝廷が渡来人の技術を用いて築堤したとされています。京都の保津川のようなものでしょうか。
なお、門真市稗島にも堤根神社があります。
こちらは旧称が山王宮ですので、当社との関連はないと思われます。