生國魂神社

Last-modified: 2013-05-10 (金) 23:39:03
 

生國魂神社
いくくにたまじんじゃ
いくたま8.jpg
(参拝日:平成24年10月8日)
いくたま10.jpg
住所:大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9mapionlogo.gif
主祭神:生島大神、足島大神
社格:式内社(名神大社)、官幣大社、別表神社
巡礼:神仏霊場巡拝の道48番
主な祭礼:7月11-12日(生玉夏祭)

いくたま1.jpg
↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
社伝によれば、神武天皇が九州より難波津にお着きになった際、現在の大阪城付近(のちの石山碕)に、
生島大神・足島大神を祀られたのが当社の創祀と伝えられています。

そのそち、相殿神として大物主大神をお祀りされています。

当社についての初見は、『日本書紀』孝徳天皇(七世紀中頃)に「生國魂社」と記されており、
平安時代の「延喜式」には、「難波坐生國咲國魂神社」二座と記され、
御祭神は特別に生島巫によって祀られるなど、国家の祭祀(八十島祭)の社として知られています。

中世では当社に隣接して「石山本願寺」が建てられ、
そして天正十一年(一五八三)に豊臣秀吉公が大阪城築城のため、
社領を寄進し社殿を造営し、同十三年(一五八五)に現在の鎮座地に遷されたと伝えられています。

そののちも豊臣・徳川と時代の変遷はありましたが、両家の保護のもとに神域は守られ、
以来「難波大社」の尊称をもって広く朝野の信仰を集め、明治には官幣大社に列せられるなど、
国土の守護神・大阪の総鎮守として人々に崇敬されています。

いくたま3.jpg
↑拝殿↑
いくたま5.jpg
↑城方向八幡宮↑
いくたま6.jpg
↑境内地図(クリックで拡大)↑
いくたま2.jpg
↑井原西鶴像↑
いくたま4.jpg
↑上方落語発祥の地碑↑
(以下、余談)
難波大社とも呼ばれる、大阪を代表する神社です。
遷座する以前は、大阪城内にあり、更に以前は石山本願寺(石山御坊)の中にありました。

境内には、大阪城守護神として、北方向を向いている城方向(きたむき)八幡宮が鎮座しています。
その他には、鴫野神社・家造祖神社・浄瑠璃神社・鞴神社と、それぞれ特色ある社が並びます。

上方落語は、京都で露の五郎兵衛が始めましたが、大阪では米澤彦八が当社を舞台に広めました。
当時の境内には、芝居小屋や見世物小屋が立ち並び、彦八は軽口囃や「しかた物真似」を演じて、
市中の評判を得たと言われています。その記念碑が境内の一角にありました。

『世間胸算用』『好色一代男』などで知られる井原西鶴は、当社境内で矢数俳諧を行い、
一人で4000句を詠みあげるという偉業を延宝8年(1680年)に行いました。
その功績を称えて、坐像が建てられていました。

数々の大火や歴史の変遷はありましたが、
「生國魂造」の本殿には参拝者が絶えることはない神社でした。